大袈裟ではなく、プエブコの素材探しは命懸け。
〈プエブコ〉のものづくりもご多分に漏れず、各工程に分かれている。まずは最初の素材探し。ただし、〈プエブコ〉の場合はデザインありきではなく、素材にプライオリティが置かれる。というのも、「素材から商品アイデアを着想することはよくある」からだ。
〈プエブコ〉の素材は幅広い。家具、布、ガラス、大理石、木、鉄、ブリキ、紙など多種多様だ。だけど、ヴァージンマテリアルは少なく、セカンドハンドのものが多い。つまりアップサイクルだ。




インド各地に眠るあらゆるものが〈プエブコ〉の製品になる可能性を秘めている。
「インドでは、SDGsやリサイクルをしている環境が自然発生的に存在しています。それは、ゴミとして捨てられたものを “資源” としてお金に変えようというひとたちがいるから。日本だったらゴミになるものが、こちらでは捨てられずに、リサイクル業者などが集めて、売る。そういう経済が回っているんです」
〈プエブコ〉はインドのリサイクルシステムを上手に利用して、インド各地の業者を縦横無尽に回り、素材を集めている。
インドにおける素材探しは、とにかく重労働。素材探しのチームの田中さんとマヌージさんは、行った先々の業者が用意してくれた素材をエアコンの効いた部屋で、吟味する…なんていう世界はここにはない。
ある日は、古い紡績工場へ。アンティークレベルに年季の入った紡績機がガッシャンガッシャンと大音量で生地を編んでいく様子を一通り見せてもらったあとで「他に何かないの?」と倉庫のような場所に案内されて、生地の山をしらみつぶしに見ていく。

年齢不詳の職人が紡績機を操る。
こちらはぜひ音ありで視聴を。短い動画だが工場の空気感が分かるはず。
ある日は、タオルの問屋街へ。けたたましくクラクションを鳴らすクルマやバイクを避けながら進み、気になる店に入っては出て、入っては出てを繰り返し、目当ての生地をなんとか探し出そうとする。「こっちのドライバーはタイヤが歩行者に当たろうがお構いなしだから、気をつけてくださいね」と田中さんは注意を促してくれる。誇張なく、素材探しは命がけだ。
問屋街のストリートはこのような感じ。
ある日は、ミリタリーサープラスへ。服はもちろん、無線機、電線、水筒、ヘルメットなどありとあらゆる軍放出品が、申し訳程度の屋根の下で、ビル3階の高さまで積まれている。その上を歩く田中さんの姿は、あたかも登山家のようだ。山のなかから断片的に飛び出しているものを見て、ちょっと気になれば引っ張り出すと、ようやくそのものの全貌が確認できる。一時が万事、こんな具合。こんなことを50度にもなるインドの炎天下で一時間も続けていれば、Tシャツを絞れるくらいの汗が吹き出す。熱中症への不安は常にある。しかも、それが徒労に終わることも珍しくない。




外は灼熱地獄。いつ潰れてもおかしくない屋根の下にうず高く積まれた軍放出品から探す途方もない作業。
「欲しいものがパッと見つかることなんてないです。それが前提だから、苦労とは思っていませんけどね。でも、こんなウルルン滞在記のような感じだと思わなかったでしょ?」と田中さんは自嘲するが、言い得て妙。確かにあまりにハードだし、砂の中から針を探すかのように根気強さと体力が必要な作業だ。何も見つかりませんでした、では話にならない。どうにかして見つけなきゃいけない。そんなプレッシャーを背負っているのだろう。素材を探している時の田中さんは、ハンターのような目をしていた。普段は気遣いのひとで、冗談を言って我々を笑わせてばっかりだったけど、この時だけはちょっと話しかけづらい雰囲気があった。
とにかく田中さんは、自分の足で歩き、自分の手で触り、自分の目で見ることを大切にしている。素材探しを誰かに任せることはしない。いや正確にはできない。
店内を反物で埋め尽くす生地問屋街でのこと。「これの違い、分かりますか?」と差し出されたのは、2枚のストライプの生地だった。ひとつは、織りでもうひとつはプリント。「織りの生地は、テクスチャーがモダンで上質になる。少なくともつくる側はこの差を感知して、ものづくりをしなきゃいけないんです」と田中さんは言った。


生地問屋を何軒もはしごし、イメージに合う生地を見つけ出す。
この素材ごとの微細な差を、ひとに伝えて代わりにやってもらうことは不可能に等しい。実際インドの仲介人だろうと、〈プエブコ〉の社員だろうと、これまでにどれだけ言葉を尽くして伝えても、ポカーンという顔をされることが多かったという。取材中、マヌージさんは「あらゆるものを素材として解像度高く見ているのが、田中さんのスペシャリティだ」と教えてくれた。
〈プエブコ〉の価格は安く抑えられているのに、安っぽい素材はひとつとしてない。その秘密の一端に触れた気がした。