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【FOCUS IT.】韓国アートシーンを席巻する作家・AOKIZYが、日本初個展「プラナリア」を開催。メールインタビューで明かされた、日本の漫画への敬愛、あいまいさに期待するもの。

AOKIZY(アオキジ)は韓国を拠点に活動するアーティスト。人間の顔をクローズアップして描いた作品が多く、そのどちらともつかない表情や独特な作品の佇まいには国内外でファンが多いという。本国ではアート界の新鋭として絶大な人気を誇り、さらには韓国のヒップホップアーティストやバンドのジャケットを手がけるなど、その活躍は目覚ましい。そんなAOKIZYが日本初となる個展を開催するにあたり、フイナムでメールインタビューを実施しました。開催前々日の設営時の写真とともにご覧ください。(展覧会詳細はこちらのニュース記事から)

Photo_Kohei Kawatani
Edit_Yuri Sudo


オリジナリティを問う。

デジタル機器の進化は、イメージを大量に生み出し、流布させる起因となりました。あらゆるものが生まれては流れてを繰り返し、そのとてつもないスピードに、ユーザーは享受というよりももはや消費をする事態。さらにはコピーやオマージュ、パロディなど、次から次へとイメージの焼き増しや組み換えが行われ、本物の所在が不明瞭になってきました。

AOKIZYは、そんな時代の流れに目をむけつつ、オリジナリティを問う作家です。具体性を排除したモチーフと表現方法は、観る者を立ち止まらせ、考えさせる引力があります。日本では大きく取り上げられたことがまだなく、ウェブメディアにすら日本語での情報が載っていないなか、「パルコ」が満を持して個展開催をオファー。

今回は、作品の制作方法やAOKIZY自身の考え方に加え、韓国のアートシーン、これからの展望まで聞きました。きっと作品について思案する一助になるはず。以下にてメールインタビューのほぼ全文を掲載します。


あいまいさゆえの余白。

ーまずはどのような幼少期を過ごし、アーティストを目指そうと思ったのか教えてください。

子供の頃から音楽CDやDVD、漫画を集めることが好きでした。最近では技術が発達していて、すべてのコンテンツを簡単に手に入れることができますが、だからこそより一層好きなものを “所有したい” という気持ちが強くなりました。アーティストになったのは、所有欲のひとつの現れだと思っていて、私が欲しいもの、見たいものを自ら作りたいと思っています。

ーちなみに韓国の雑誌のインタビューで、日本のアニメに影響を受けたと答えられていましたが、どのようなきっかけでハマったのでしょう?

そもそも漫画に対する興味を持ちはじめたのは、韓国でiPhoneが初めて発売された2009年末。当時、私はiPhoneで韓国の漫画(ウェブトゥーン)を読みはじめたんです。ウェブとモバイル環境に移植されたデジタル漫画を、それもスマートフォンという最新のデジタル機器を通して見るのが非常に新鮮でした。その後、日本の漫画を掘るようになりました。

ー具体的に日本の漫画のどういったところが好きなのでしょう?

日本の漫画に惹かれた点は、極端な設定と様式を発展させているところ。詳しく言うなら、漫画の線と陰影は情報を驚くほど圧縮したものです。日本の漫画の顔の表現方法は独特で、その圧縮された結果をさらに参照としてもう一度圧縮していると私は思います。言い換えれば、漫画は個人の才能に関係なく誰でも簡単に描けるものとして考案され、発展してきた芸術の形式であり、創作者の効率的な生産と協業を保障する、とても計画的で産業的な芸術のひとつだと思います。

ー他に影響を受けた作家がいれば教えてください。

日本の作家の中でも特に、永井豪氏の作品に大きく感嘆し、多くの影響を受けました。時々、私は永井氏を西洋の芸術家カラヴァッジョに例えることがあります。それはカラヴァッジョと当時の芸術界の関係がそうであったように、永井氏は日本漫画界の主流とも、ディズニー系とも全く異なっていて、強烈な構図と色彩を通じて残酷性と暴力性を示す衝撃的な作品をつくっていると感じるのです。

ーAOKIZYさんの作品は人物の顔にフォーカスを当てた作品が多い印象ですが、なにかこだわりがあるのでしょうか?

わたしの作品はたしかに、極端にクローズアップした顔をモチーフにすることが多いです。背景や顔以外の身体の情報が完全に排除されたクローズアップにすることで、観客に作品に没入してもらい、おのおのの解釈を促したいという意図があります。

ークローズアップだと、顔の特徴が作品の雰囲気をつくる上でも重要となってきますが、AOKIZYさんはあえてその具体性を曖昧にしているのではないかと感じました。

わたしが描いている人物たちには地位、文化、ジェンダー、時代などの要素を入れていません。だれかがわたしの描いたキャラクターを語るときに、男性/女性など性別で分けることもありますが、わたし自身は作品のモチーフに限らず、仕事仲間やギャラリー関係者などに関してもすべてそういった分け方で見ていません。せいぜい「長い髪」「短い髪」などでしか区別していないんです。キャラクターが人間だと思う余地さえ全く与えないタイトルを付けることもあります。観るひとが自由に解釈することを望んでいるんです。

ー顔そのものに具体性がないのに対して、表情は具体的な瞬間を捉えたように見えます。なにか設定やストーリーを想定したうえで描いてるのでしょうか?

最初は肖像という馴染みのあるテーマを新鮮に見せるために、意図的に強烈な表情を描くことに集中していました。怒っていたり、戦闘やレースの最終局面のような悲壮な表情です。しかし、映画を観た観客が監督の意図とは違った視点から感想を述べるように、わたしの作品を観た観客が私の意図とは違って作品を受け入れていることにあるとき気づきました。なので最近はもっと曖昧な表情にするようにしていて、たとえば韓国の伝統仏像が持つ表情を参考にすることもあります。

ーアーティストを始めた頃と比較して、心構えや作品スタイルは変わってきましたか?

最初はさまざまなソースからひとつのイメージを作り出すことに集中していました。どんなものをサンプリングしたのかを推測できるように意図的に作業することもありました。最近では、自分がつくり出したイメージをもとに、新たな図像を生み出すこともあります。いわばセルフサンプリングのような。この部分が一番大きな変化です。次第に、いちばんはじめのサンプリングがどんなものだったかは曖昧になっています。

ー作品づくり以外に、アーティストのカバーアルバム制作などの広告案件もされているそうで、そのときの姿勢はやはり違うものでしょうか?

広告案件においては、クライアントと妥協点を見つけながら進めなければいけない部分があって、それが個人制作との大きな違いです。ただ、私もクライアントも予想していなかった成果が生まれることもあって、次の制作のヒントになることもあります。なので、広告案件の依頼がきた時もポジティブに考えるようにしています。

ー作品をつくったあとの話もすこし聞かせてください。インスタグラムを見ると、作品が展示会場に設置される途中の様子を、意図的に写真に残している印象を受けました。自分の手から離れた先の、作品の行方にも関心があるのでしょうか?

おっしゃる通り、実際にどのように設置され展示されるかに興味があります。私の作品は実物なのかデジタルデータなのか、言わなければわからないので、それも気になる理由かもしれません。また、オフラインの通常の展示だけではなく、オンラインのようなスケール、はたまた物質性のないオフラインの空間でどのように使用されるのかも気にして見ています。

さらに興味深いのは、わたしの作品をSNSのプロフィール画像やインテリア小物として消費しているユーザーがいる点。もっと言えば、作品と記念グッズを、ほぼ同一視しているところもおもしろく捉えています。


日本の漫画文化を再び。

ー本展覧会「プラナリア」では、平面、立体、映像などさまざまな形での作品を観ることができて、同じモチーフでもどの形でアウトプットするかを実験的にトライしているように思えました。どのような経緯で多様な手法を用いるようになったのでしょうか?

最初に制作した平面絵画は主にマスキングテープを活用したきれいな作品でした。この平面から派生してレリーフ(平面作品から盛り上がるように肉づけした彫刻の手法)を用いたり、立体は白い石膏像や金属で3Dイメージをつくっていました。次第に立体の表面は荒くなり、風化した石のような様相になってきたり、個々のメディアも小さなサイズから大きなサイズへと進化してきました。

最近は再び平面に集中していますが、これまで立体と映像で行ってきた試みを混ぜた2.5次元のような雰囲気になってきています。

ー過去の作品を見ると、同じモチーフを複数並べた作品が多いと感じました。今回テーマを「プラナリア」を掲げ、その作風がさらに明確になったと感じましたが、このタイミングでこのテーマを選んだ理由を教えてください。

現代のイメージ文化は、単に大量複製されたイメージを無関心に消費しているのではなく、多くの人々が最初に接したイメージを基に部分的に再生産していると考えています。これまで展覧会でつけたタイトル「UN ORIGINAL」や「JPEG SUPPLY」などのタイトルは、このような循環と無差別な時代を一言で説明したものですが、「プラナリア」はより隠喩的で、総体的なもの。

無脊椎動物であるプラナリアは同じ形で分裂し再生しますが、実際にはすべてが新しい独立した個体として認識されています。親と子とははっきり分かれておらず、部分的には原本が存在し、実際にはどれも本物ではないとも言えます。このタイトルは海外展覧会を活発に進めている今のタイミングで、より効果的だと思いました。

ー韓国以外にも、これまでロンドン、中国、スペインなど海外でも展示を行ったと聞きました。それぞれの観客の反応に違いはありますか?また、今回日本の観客に作品が公開されることについて、どの点を期待していますか?

海外での展示のうち、イギリスと中国はコロナ期間中に開催されたたので、観客の反応をよく知ることができませんでした。なので事実上、海外の反応を知れる最初の展示が今回の日本です。

私が描く絵は日本の漫画と形式的に類似しています。韓国の歴史において日本の漫画や文化の影響は欠かせない部分です。韓国は1998年から日本の漫画の輸入を本格的に始め、私はそれよりも10年遅れて漫画に接しました。私は好きな漫画が日本のものか韓国のものか区別もつきませんでした。原本と複製が入り混じったていた記憶があります。なので、自分自身は漫画そのものよりも、国籍や形式、内容を問わず多彩な視覚文化のエッセンスを吸収して、自己化した成果物だと考えています。日本人に馴染み深い漫画の形式が、このような複雑な文脈を経て再誕生したという点を感じ取っていただけると嬉しいです。また、オンラインでしか接したことのないイメージが、実際に物質性を伴って目の前に立ち現れたときの反応も気になります。

ー最後に、AOKIZYさんは現在の韓国のアートシーンをどう見ていますか? そして、そんな業界の中でAOKIZYさんは今後どのようなアーティストとして活動したいかを教えてください。

現在の韓国アートシーンを見てみると、新たな消費者の登場が重要な出来事です。主な消費層である50-60代の韓国人は、日本の漫画やアニメ、ハリウッド映画を積極的に輸入して見ていた世代です。それより若い消費者はインターネットやスマートフォンを活用した視覚文化に非常に積極的です。世代は異なりますが、みんな個人的な趣向をコレクションとして作り、趣向が明確になりました。それは、私がつくるイメージが韓国のさまざまな世代によって同時に消費されている理由でもあると思います。

わたしは常に自分が認識している流れの中で、“現在” を描こうとしていて、未来においても過去のものとしてではなく “現在” として記憶されるアーティストでありたいと思っています。

INFORMATION

AOKIZY「プラナリア」

会場:渋谷PARCO 4F・PARCO MUSEUM TOKYO
期間:2024年6月7日(金)~2024年6月24日(月) 
営業時間:11:00~21:00
※入場は閉場の30分前まで。
※最終日は18時閉場
入場料:無料

展覧会特設ページ
PARCO ART公式インスタグラム
AOKIZY公式インスタグラム

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