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蔡俊行フイナム発行人ファッション関係のマーケティング全般に関する仕事が主業務。WEBマガジン「フイナム」の発行主。

代官山通信

蔡俊行
フイナム発行人

ファッション関係のマーケティング全般に関する仕事が主業務。WEBマガジン「フイナム」の発行主。

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2009.07.21

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 金曜の夜、葉山で翌土曜日那須。あれどこかで聞いたことあるなと思ったら、両方とも御用邸でした。図らずも連日、それぞれの御用邸のすぐ側で過ごしていたとは。ちょうど半藤一利さんの「昭和史」を読んでいる夏なのでイメージは膨らんでとても良かったです。

 那須ではバーベキューをしたりゴルフをしたりしたのですが、最もエキサイティングな時間を過ごせたのは温泉でした。九尾のキツネの伝説で有名な殺生石のすぐ側にある「鹿の湯」さんです。

 古き良き湯治場の雰囲気が残る温泉なんですが、一歩足を踏み入れたとたん、もうどこか違う国に来たのかと思う超絶なる違和感。温泉は小さな6つのポットに分かれていて、温度は41度から48度に分かれています。

 行った時間はお昼前だったのですが、大勢の人が湯船のまわりを取り囲み、地べたに座ってぐったりと休んでいます。休んでいるというかもう本当にぐったりして精も根も尽きちまったよと嘆息しているような雰囲気。みなさん表情がないというか目に光がないのです。どこか東アジアの共産主義国ってこんな感じなんですかね。

 こっちは初めてだしどうやって入るのか作法も分からず一番混んでいる41度、42度をすっ飛ばし、43度から挑戦しました。これが案外気持ちよく、結局3分弱いることができました。

 しかし湯船から上がり休もうとしたところ、息は上がり立ちくらみもする始末。いつの間にか地べたにぐったりと座り込んでしまいました。軽い湯あたりです。なるほど皆さんも大なり小なりそういう状態だったわけですね。

 回復するのにおよそ5分。せっかくここまで来て10分程度で出るわけも行かず、将来の負けず嫌いも顔をもたげたので、その後も徐々に温度を上げ、最後には48度の釜の側までやってきました。46度の勝負では2分が限度。ベテランのおじさんたちは平気で5分近く入っています。

 しかし48度の周りには常連の栃木訛りの激しいおじさんが友人らしき人とふたりだけで喋っています。スペースとして空いているので、そこに座り46度からのダメージ回復を図っていると、48度に挑戦に来た者にこのおじさんがアドバイスするわけです。

「波は立てちゃならねえ」。

 若い兄ちゃんが湯もみ板でかき混ぜていたときです。おじさんがおもむろに声を上げました。

 波を立てると波が熱いお湯が体にぶつかり痛くて入ってられないというのです。ここにある湯もみ
板は湯をかき混ぜるためにあるのではなく、お湯を鎮めるためにあるのだというのです。波は鎮めても中はまだ水流が残っているので最低5分は置いておいてそしてそーっと入れというのがその教えです。

 挑戦者は、ほとんどの人が腿までで悲鳴を上げます。わずか人だけが肩まで浸かるのですが、入った瞬間、まるで熱湯コマーシャルのようなリアクションをします。

 しかしそのヌシのおじさんはへそまでだけどしっかり3分入るのを繰り返すのです。もう人間業ではありません。

 ぼくは結局腿まででした。熱いと言うよりも痛いんですね。

 それにしても1時間半近く温泉にいて、浸かっていた時間を総合するとわずか10分程度です。それ以外はずっとぐったりと地べたに座っていたことになります。なんなんでしょうね、一体。

Comments: 2

熱い湯は僕も苦手ですが、半藤一利さんの『昭和史』は僕も就寝前のナイトキャップ代わりに読んでいます。
「二・二六事件」後の「ピュアな青年将校に感動」という国民世論がファシズムの温床となった、という半藤さんの分析には、以前からとても興味を抱いていました。

「坂の上の雲」もちょいブームですね。「蟹工船」ブームよりも僕には真っ当に思えるのですが。
こーゆーことを言うと、また誤解を受けたり、「偽悪」だと思われたりするんですかね?

いいじゃないですか。右近さん名前にも「右」の文字が入っているわけだし(笑)。
でも「昭和史」は面白いですね。ぼくはいま東京裁判終わったところです。その前の戦前から終戦までも読みました。
さらに同じ半藤さんの「幕末史」も読んでます。
薩長史観でない幕末物語。司馬遼太郎とはまた別のリアリティのある味わいで興味深いですよ。

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