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六本木の未来
2012.06.07
いまのようにネットが発達していないその昔、電気製品を安く買おうと思えば秋葉原であった。カメラ量販店もいまほどの勢力を有して無く、個性的な社長でお馴染みだった城南電気などの安売り店もあったが、秋葉原の値引きには到底かなわなかった。ぼく自身もビデオデッキやら、CDプレーヤーやらでお世話になった。
どうして秋葉原が電気屋街に発展したかというのはいろんなメディアで取り上げているので他のコンテンツにそこら辺は譲る。が、その後、ウインドウズ95前後からパソコンの街になり、その地続きでオタクが集まる街として発展した。いま話題復活のオウム真理教も秋葉原に自作パソコン店を経営していて、結構儲けていたという話だ。すこし乱暴だが、大体そんなことになる。
昨日AKB48の総選挙があり、大騒動になったようであるが、彼女らの出発点も秋葉原である。というか彼女らのことにまったく詳しくない自分のようなものがこんなことを「である」式で断定するのもおかしな話「である」。
さて。街というものはそんな風に「何々の街」と区分けされて人々に認識されているものだ。職人の街、町工場の街とか。広く目を向ければ人形の街もあるし、問屋の街もある。渋谷なんかは若者の街だし、五反田はサラリーマンの街。間の恵比寿はOLグルメの街だ。
さらにファッションの街、おばあちゃんの原宿、ゲイの街など街を形容する言葉を聞くだけで連想する街もある。これらの呼称は短くない時間をかけて、そこで暮らし働いている人たちがコツコツと積み上げてきた誇りでもある。
しかし先ごろオープンした渋谷ヒカリエのコンセプトからも分かるように染み付いたイメージから脱却したい街もある。「渋谷を若者から取り返せ」というのが、渋谷を大人の街に変貌させたいデベロッパーの人たちの狙いである。果たして渋谷のリフォームが成功するのかどうか。そうそう大人の都合通りにいかない。
そして六本木である。
六本木はディスコ全盛時代から夜の街というイメージである。その後キャバクラブームというのもあったり、道を歩くと卑猥な言葉を口にする半風俗的な店の呼び込みなどが蔓延した。そしていつの間にか外国人も増え、週末の夜になるとどこか混沌としたアジアのカオス的な街の姿へと変貌し、健全な市民を寄せ付けないような時期もあった。
しかし六本木ヒルズ、東京ミッドタウンなどが開業し、徐々にではあるが、オフィス街への顔へと姿を変えた。IT系の有名会社の集う街といった方が通りがいいかもしれない。さらには国立新美術館、サントリー美術館、森美術館などのアートトライアングル、春に開催される六本木アートナイトなど、いつの間にかデザインとアートの街としてその姿を変えつつある。
そんな六本木をさらにデザインとアートの街へとシフトしようと企画されたのが、この六本木未来会議である。末席を汚しながらぼくも含む弊社の人間もこのプロジェクトのお手伝いをさせていただいている。
まずはWEBサイトがスタートした。六本木がこれからどんな風に発展していくのか。お楽しみに。
http://6mirai.tokyo-midtown.com
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