Boolog A Go-Go!
石光 史明
VISUAL CONNEXION C.E.O
NY発のヴィジュアル誌、VISIONAIRE<ヴィジョネアー>の日本総代理店を営んでいますが、最近はもっぱら映画鑑賞家として「つぶやいて」います。昨年は自腹観賞232本! 今年も観まくるぞぉ~♪
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あなたはVISIONAIREを知っていますか? <22>
2011.02.23
これは自分の会社を17年前に設立した際、ヴィジュアル・コネクションという社名にしようと思い最終的にスティーヴンに意見を求めた際にも言った事なのですが、とにかくVISIONAIREにジョインすることによってこの部分の劇的な飛躍がすごかったのです。
もちろん、これまでも「ファッション通信」に携わらせてもらえた事で、一般の人が経験できないような人々に出会うことが出来たのも事実。
サンローランのクチュールや絶頂期(ハデハデ以前)のベルサーチ、ディオールのクチュールをまかされたフェレのファーストコレクションにリッツで行われたミュグレーの初クチュールでの興奮など、デザイナーはもちろんエルメス主催の恒例の競馬行事でのジュリー・アンドリュースやオードリー・ヘップバーンといった、今まで雑誌やテレビでしか見る事のなかった人達を実際に見られるようになったのは大きな衝撃でした。
じゃあそれらとVISIONAIREのそれの違いは何か?というと、それは圧倒的な「距離感」の違いだったと言えるでしょう。
例えば、印刷所から刷り上がったページをABCで製本作業をしているとします。
比較的難しい行程を経た作品のアーティストでNY在住の人なら、陣中見舞いも兼ねて最低1回くらいは様子を見に来たりするんですけれど、11号の作業をしている際に自身のイラストをチャイニーズ・ペーパーカットを施した作品を提供してくれたイラストレーターのRuben Toledoが訪れた時の事ですが、今までだったら「イラストレーターのRuben Toledoさんにお越しいただきました」っていうスタンスだったのが、「あぁRuben来たの?ちょうど良かった手伝ってよ!」と(笑)。
もちろんメディアとしてインタビューをする際に日本人として払う最低限の敬意と、お友達感覚っていうか、普通にお友達のそれとは比較対照にはならないんだけど、とにかくVISIONAIREに入ったというだけで、今までとは違った世界が一気に広がったのです。(今思えばこれには環境の差だけではなく、経験を重ねる事によって培われた僕の内面的な自信とかも大きく関わっているんでしょうけれど...)
ただ今から18年も前の、まだVISIONAIREが「カッティング・エッジ」なんて言われてた頃(発行部数で言えば世界限定1,000部ほど)でこれですから、今がどのくらいかは安易に想像してもらえると思います。
あ、ちなみに今日の写真は我が家のリビングに飾ってある、Rubenが僕にくれたNY・メトロポリタン美術館の Costume Institute で'91年に開催された展覧会に出品した水彩画のオリジナルです。


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