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川田十夢公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。https://twitter.com/cmrr_xxxhttp://alternativedesign.jp/

青雲、それは君が見た光。

川田十夢
公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。
https://twitter.com/cmrr_xxx
http://alternativedesign.jp/

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「→」の話。

2013.04.19

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細切れになった現代の時間には、「→」(矢印)が常に存在している。それは、乗車している乗り物が向かう方角かも知れないし、進行方向から導かれる気分かも知れない。重力や、運命かも知れない。あんまり意識していないことだったので、不意にフイナムで書き散らしておこう。

「↑」:
通勤時間の電車。混み合った車内には、新聞や本を広げる空間はない。上を見上げる猶予だけがある。地面は会社に向かっている。誰かと顔を合わせて話をする時間と場所が、迫っている。自分から話をするタイプであれ、聞くタイプであれ、何かしら話題に触れなくてはいけない。だから、狭い車内でも、顔を見上げてまで、中刷りの言葉を読む必然がある。

「↑」:
抜けのいい空を見る機会が少ない都市生活において、いちばん意識的に上を向いている空間は、エレベーターだろう。さっきまでヒカリエにいたのだが、ヒカリエのエレベーターの天井は、なぜあんなに高いのだろうか。
渋谷にキーフェルという喫茶店があるのだが、そこの天井も無駄に高い。本当に無駄だと思っていたのだが、最近思い直した。天井が高い空間には、もれなく高級感が備え付けられている。逆に、天井の低さは、カジュアルさを演出できることになる。だから、宇多田ヒカルが狭い空間でデビューしたのは、正解だったと言える。

「↓
」:
バスで唯一、納得できないことがある。「足元に注意してください 」の注意看板が、ちょうど段差がある車内の上部にテカテカと出ている。上に見とれてうっかり直進すると、足元の段差で転倒することになる。この矢印が「現代の情報デザインの落とし穴」を示す矢印であれば大正解。人間の安全性を考えての設計であれば、完全なる不正解だ。

「↓」:
「足元」や「落とし穴」や「地獄に堕ちろ」を示す下向きの矢印は、前向きな意味ではあまり使われない。でも、時間感覚で仕事をしている人間にとっては、この矢印はとても重要なものだ。たとえば、映像制作の現場。マーカーと呼ばれるピンを、時間軸に対して垂直に差し込む。そのピンは、編集点とも呼ばれる。編集点は「←」でも、「→」でも、「↑」でも、しっくり来ない。「↓」でないといけない。
編集点をつないで完成した産物。映画を観に行く側にも、下向きの矢印は存在する。不確かな毎日を過ごしていると、重たいテーマの映画を観たくなる。「腑に落ちたい」し、「存在を重くしたい」。重くなりたいと望んで映画館に足を運んだのに、浮かれたハッピーエンドだったりすると、上映前にメロディアスに禁じられたはずの行為に及びたくなる。つまり、前の席を蹴り飛ばしたくなる。エンディングという名の終着点にどういう矢印が待っているのか、観る前に把握しておきたい。そういう映画の見方があってもいいはずだ。

「←」:
リモコン操作によって、「◀◀」が巻き戻しを示すことが身体に馴染んでいる。「←」が過去の方向を示すことを、身体が覚えている。急に思い出したのだが、マラソン中継はどうだっただろうか。選手は、左から右に走っているだろうか。右から左に走っているときは、過去の方向。つまり、折り返し地点以降を示しているだろうか。全く意識していなかった。今度じっくり見てみよう。ブラウザでひとつ前のページに戻るときの矢印は、やっぱり「←」だけど、これは世界共通認識なのだろうか。「→」が戻ることになる文化圏は存在しないのだろうか。
横井軍平が任天堂時代に発明した玩具でレフティRXという代物があった。左にしか曲がれないラジコンだが、そうすることで1973年当時とても高価だったラジコンを、1/10の値段で売ることができた。いまだに比較的高価な自動車も、いっそ左にしか曲がれなくしてしまえば、売れるし、渋滞も減るのではないだろうか。いや、増えるか。いやいや、右にしか曲がれない車も作ればいいのか。違うか。

「→」:
回転寿司の回転の方向は、なぜ「→」の一辺倒なのだろう。時計回りはすなわち「→」(右回り)であるからして、回転を続けると同時に古くなる演出は正しい。でも、鮮度を保ちたいのであれば、反時計回りであった方がいいような気もする。調べてみると、右利きの人は右手に箸を持っているから、時計回りの方が左手で掴みやすいというつまらない理由だった。たまに逆回転してくれる店とか、あればいいのに。どんどん鮮度が、上がってゆけばいいのに。鮭がいくらになったらいいのに。

「←」「→」:
スケートボードに乗る前に、利き足を決めるプロセスがある。背中を押されて右足が先に前に出れば「←」(レギュラー)、左足が先に前に出れば「→」(グーフィー)。利き足とは別の方向に矢印が向いているのが通常で、たまに利き足の通りの矢印がはたらく場合もある。矢印が進む方の足は、即ち軸足となる。蹴り出すのが利き足。利き足で勢いをつけて、利き足じゃない方をしっかり地面に着けるという感覚。スケードボードに乗る人間特有のものだったが、乗らない人も利き足と矢印について把握しておくと生活がスムーズになるだろう。
スーパーマリオが発明だったのは、右スクロールで展開するゲームだったことだ。画面の中のマリオ自身は、実は「←」に進んでいる。リアリティの世界では、「←」「→」が逆になる。夢を見ているとき、自分自身の姿が俯瞰で見える時がある。それと同じ感覚。

「B」「A」:
スーパーマリオでもうひとつ発明だったのは、Bボタンを押してダッシュ、Aボタンを押してジャンプというルール設定だろう。ダッシュして早くなった分、高く遠くまでジャンプできる。この飛躍がなければ、十字キーは数多在るコントローラーのひとつでしかなかっただろう。

空間に矢印を表示できるとして、それをフリーハンドで認識できるようになったとして、人類は次にどうやってリアリティとの折り合いをつけてゆくのだろう。何に触れて、現実を実感するのだろうか。つかみ所のない話でも、取っ手をつければつかめるはず。まずは、取っ手から発明しよう。

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