猪木の舌出し失神<その1>
2013.07.02
「乾ききった時代に送るまるで雨乞いの儀式のように猪木に対する悲しげなファンの声援が飛んでいる!しかしながら、猪木は動かない!」

猪木が試合中に舌を出して失神し、病院に搬送されるという大事件が起きたのは1983年の6月2日。つまり、今年でちょうど30周年にあたる。冒頭のセリフはその試合を実況した古舘伊知郎アナによるもので、僕はそのフレーズを暗記している。

当時の僕は小学校4年生で、多くのプロレスファンと同様、予期せぬ結末に大いなるショックを受けた。いや、この試合以上にショッキングなプロレスは30年経過した今でも目にしたことがない。それほど僕の心に深く刻まれているのだ。
プロレス史に残るこの失神事件を「猪木の一人芝居だ」と得意顔で話す人もいるが、事件自体をきちんと把握している人はそんなに多くない。そこでイノキストの僕としては、事件の詳細を書いておきたいと思うのだ。
まず、第一前提として、この試合を生中継で観たと勘違いしている人がいるが、試合当日は木曜日であった。
すなわち、テレビの放送は翌金曜日の録画中継である。多くのファンは猪木失神を知った上で観ていたはずだ。なぜなら、猪木倒れるのニュースは普段はプロレスを取り上げない一般紙でも報じられたからだ。
例えば、翌3日の読売新聞では、社会面で「アントニオ猪木、救急車騒ぎ」との見出しを付けて、こう書いている。
二日午後九時過ぎ、東京・台東区の蔵前国技館で、アントニオ猪木=本名・猪木寛至さん(四〇)が、プロレスの試合中、相手のハルク・ホーガンさんにリング外に突き落とされて頭を強打、意識不明となり、救急車で新宿区の東京医大病院に運ばれて手当を受けた。急性脳シントウで、まもなく意識を回復したが、大事をとって入院、様子を見みることになった。
プロレスの失神が一般紙で取り上げられることは極めて異例である。
僕も試合翌日、6月3日の朝、この記事で猪木失神を先に知り、夜、テレビで試合を確認したのであった。
<つづく>