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小西康陽音楽家NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。pizzicato1.jphttp://maezono-group.com/http://www.readymade.co.jp/journal

小西康陽・軽い読み物など。

小西康陽
音楽家

NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。
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近況など。

2011.07.20

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きょうからスタートするこのブログだが、まず通しタイトルを付ける、というところでいきなり躓いた。気の利いた言葉が降りて来ないのだった。

かつて、あるサイトに書いていた毎日更新の文章の通しタイトルは

「おはようございます。こんにちは。こんばんは。」

というものだったが、これは悪くないアイデアだった。毎晩、深夜零時に更新していたが、読者はいつ読むのかはっきり分からない。だから、この題名は都合が良かった。いつも言うことだが、こんなふうに悩まずに出てくるアイデアがいちばん出来が良いのだ。

けっきょく今回は、内容から命名した。日頃、自分が愛しているものといったら、すべて「軽い」、という字が付くものばかり。軽音楽。軽食。軽いお飲み物。

毎日更新など、とんでもない。それほど暇ではない。いや、いま嘘をついた。あまり暇だと思われては困るので。とはいえ、忘れられない程度に更新していきますので、ひとつ宜しくお願い致します。



きのうから、日系アメリカ人のことを考えている。いや、アメリカ人、と限定しなくとも構わない。ラジオ番組のナレーションの仕事を頼みたいのだ。 J-WAVEが開局してから、よく耳にするようになった、日本語も英語も共に流暢な「バイリンガル」のディスク・ジョッキーではなくて、むしろどちらの言葉も不器用そうに話す、日系人。

最初にイメージしたのは、かつてラジオ関東で「ポート・ジョッキー」という音楽番組を担当していたケン田島氏 だ。ビリー・ヴォーンの「ハーバー・ライツ」、という曲がテーマとして流れると、この人のナレーションが聞こえてくる。長く続いた番組だと聞いたが、自分は1970年代の後半の一時期に耳にしたことがあるだけだった。その日本語は流暢、というより、むしろ「普通」に聞こえたが、ただ、何か、どこかが妙にバタくさい、と感じた。日系人ではなくて、留学経験者、あるいは帰国子女のひとりだったのだろうか。

糸居五郎氏。小林克也氏。どちらも大好きなディスク・ジョッキーだったが、彼らも日系人というわけではないはずだ。糸居さんの喋り方は、かなり変わっていたが。あんな話し方をする人がいたら、それはたしかにディスク・ジョッキーになるより他にない。

これから自分が作ろうと考えているラジオ番組の中で求めているイメージに、おそらくいちばん近いのは、かつての巨人軍選手・与那嶺監督だろうか。自分は野球ファンではないが、いつかTVでこの人の話すのを聞いて、忘れられない印象を受けた。なぜか懐かしい、と感じる、何だか泣けてしまうような喋り方だった。オールド・ボーイ、という言葉が相応しい人。

あるいはティーヴ・カマヤツ氏。ギタリストで歌手。ごぞんじ、ムッシュかまやつさんのご父君である。だが、自分がどうしてこの人の話し方を知っているのか。知っているはずはない。自分が知っているのは、細野晴臣氏のアルバムの中の「ジャパニーズ・ルンバ」、という曲、ムッシュが親子共演した『ファーザー&マッド・サン』、というアルバムのCD、そして映画『M☆A☆S☆H』のサウンドトラックで何曲か聴くことの出来る歌声だけなのだが。

そういえば、大昔、たぶん1990年のはずだが、ピチカート・ファイヴのメンバーとして、あるロック・コンサートにゲスト参加したときのことだ。それはたしかギタリストの伊藤銀次さんが中心となったコンサートだったはずなのだが、いまでは自分たちが何を演奏したのかさえも記憶にない。

たったひとつだけ憶えているのは、大きな楽屋で、やはり当日の出演者だったムッシュかまやつさんと山口富士夫さんが親しそうに話していたこと。たしかムッシュはエレクトリック・ギターを、もしかしたら山口氏もやはりギターを抱えていたかもしれない。彼ら二人の会話を強烈な印象として記憶しているのは、ムッシュがいつもの調子でニコニコしながら、山口氏に対して「ユーは、さあ」、と話しかけていたからだった。

そのことを自分は忘れられずに、いかにも音楽業界の人、あるいは芸能界の人らしいエピソードとして、何度か知り合いにも披露した。もちろん、ちょっとした笑い話として。だが昨日、カタコトの日本語を話す日系人のことを調べていて、とつぜん気付いた。そうか、ムッシュはティーヴ氏の許で育ったのだ。ムッシュや、あるいはジャニー喜多川さんが「ユー」、と使うのは、彼らにとっては不自然なことではなかったのだ。



けっきょく、ラジオ番組ではカタコトの日本語を操る「日系二世」を見つけることが出来ずに諦めた。まったく違うアイデアを、いま探しているところだ。