小西康陽・軽い読み物など。
小西康陽
音楽家
NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。
pizzicato1.jp
http://maezono-group.com/
http://www.readymade.co.jp/journal
ブログ放置・1
2011.09.07
八月は忙しかった。
仕事が沢山あったというわけではない。八月中に作ることになっていた編曲の仕事がうまく着地出来ずにずっと悩んでいたのだ。
当然ながら、こういうときはこのようなブログで文章を書くことなど忘れてしまう。忘れたわけではないけれど、それよりも先にするべき仕事があるだろう、とつい考えてしまう。そして、ただ悶々とした時間を過ごすのだ。
誰かに催促されるわけでもなし、原稿料を戴いているわけでもなし、スポンサーがついているわけでもなし。そもそも、このサイトも渋谷直角の連載漫画?以外に読むこともない。その直角くんのブログはスポンサーが付いているらしい。自分のような「万年アルバイト」人間は、そういうのがあると発奮するのだが、彼もきっとそうなのだろう。それほど彼の書くものは面白い。このサイトでたった一人面白い、と言ってもいいくらいだ。
そんなわけで。しばらくブログ放置しておりました。
●
書こうと思っていたことはいくつもあったが、大半は忘れてしまったし、いまさら書いても遅い話題ばかりとなった。
中村とうようの自死のことを書いたとき、今野雄二の著作集はなぜ出版されないのか、とも書いたが、そのすぐあと、ミュージックマガジンのサイトで「無限の歓喜」という一冊が刊行されることを知り、さらに数日後、本が送られてきた。
今野の愛したミュージシャンのアルバムに寄稿したライナー・ノーツと、「ミュージックマガジン」に書いた音楽や映画についての原稿を纏めたこの本は、もちろん素晴らしい。
もちろん素晴らしいのだが、自分が期待していた著作集は、この内容とはかなり異なるものだった。
今野雄二の著作を纏めた一冊がなぜ作られないのか、と考えたのは、まだ彼も、加藤和彦も、そしてもちろん中村とうようも存命であった2008年の春のことだった。
当時、九段にある出版社に於いて、常盤響さんと毎日のように顔を突き合わせ、「いつもレコードのことばかり考えている人のために」、という本の編集作業をしていたのだが、彼と交わす雑談の中で、今野雄二が推薦するレコードに大いに影響を受けた、という話を聞いたとき、そうか植草甚一の大量の原稿を晶文社の編集者が纏めたように、今野の文章を集めて網羅したなら、20世紀後半の音楽・映画・風俗に関するユニークな年代史が出来るのではないか、と考えたのだった。
ロキシー・ミュージック、トーキング・ヘッズ、キッド・クリオール、ハウス・ミュージック、といった「無限の歓喜」という書物の中でフィーチャーされているミュージシャンばかりではない。今野がマガジンハウスの編集者を辞めて映画、そして音楽の評論家活動を開始した頃には、その後の彼の好みとはおよそかけ離れた、意外な音楽ジャンルのレコードのライナーなども少なからず書いている。
すぐに思い出すのは、ナッシュヴィルの名ギタリストであり、RCAの音楽プロデューサーも務めていたチェット・アトキンスが制作を手掛けたレニー・ブルー、というジャズ・ギタリストの国内盤のライナー・ノーツ。へえ、こんな仕事も拾ってたのか、と思って中古レコードを買い求めたのだが、果たしてそのレコードは、どんな繊細なシンガー・ソングライターの作品よりも内省的な趣きを持つ傑作であった。
そのような原稿も洩らさず収録した「今野雄二著作集」を作ってくれ、と、自分はそれほど沢山知り合いがいるわけではない書籍編集者のほぼ全員に話したはずだが、その内に今野雄二は他界してしまった。
自分が特に好きだったのは、「ハイファッション」、という雑誌に書いていたコラムと、「ポパイ」に不定期に?書いていたセレブリティのゴシップを集めたコラム集だった。そういう文章はたぶん今までに一度も纏められていないはずだ。
常盤響さんは、ミズモトアキラさんと組んだ「TMVG」、というDJユニットでアルバムを発表したとき、今野雄二に推薦文を依頼し、願いを叶えた、と言っていた。今となっては本当に羨ましき話だ。
仕事が沢山あったというわけではない。八月中に作ることになっていた編曲の仕事がうまく着地出来ずにずっと悩んでいたのだ。
当然ながら、こういうときはこのようなブログで文章を書くことなど忘れてしまう。忘れたわけではないけれど、それよりも先にするべき仕事があるだろう、とつい考えてしまう。そして、ただ悶々とした時間を過ごすのだ。
誰かに催促されるわけでもなし、原稿料を戴いているわけでもなし、スポンサーがついているわけでもなし。そもそも、このサイトも渋谷直角の連載漫画?以外に読むこともない。その直角くんのブログはスポンサーが付いているらしい。自分のような「万年アルバイト」人間は、そういうのがあると発奮するのだが、彼もきっとそうなのだろう。それほど彼の書くものは面白い。このサイトでたった一人面白い、と言ってもいいくらいだ。
そんなわけで。しばらくブログ放置しておりました。
●
書こうと思っていたことはいくつもあったが、大半は忘れてしまったし、いまさら書いても遅い話題ばかりとなった。
中村とうようの自死のことを書いたとき、今野雄二の著作集はなぜ出版されないのか、とも書いたが、そのすぐあと、ミュージックマガジンのサイトで「無限の歓喜」という一冊が刊行されることを知り、さらに数日後、本が送られてきた。
今野の愛したミュージシャンのアルバムに寄稿したライナー・ノーツと、「ミュージックマガジン」に書いた音楽や映画についての原稿を纏めたこの本は、もちろん素晴らしい。
もちろん素晴らしいのだが、自分が期待していた著作集は、この内容とはかなり異なるものだった。
今野雄二の著作を纏めた一冊がなぜ作られないのか、と考えたのは、まだ彼も、加藤和彦も、そしてもちろん中村とうようも存命であった2008年の春のことだった。
当時、九段にある出版社に於いて、常盤響さんと毎日のように顔を突き合わせ、「いつもレコードのことばかり考えている人のために」、という本の編集作業をしていたのだが、彼と交わす雑談の中で、今野雄二が推薦するレコードに大いに影響を受けた、という話を聞いたとき、そうか植草甚一の大量の原稿を晶文社の編集者が纏めたように、今野の文章を集めて網羅したなら、20世紀後半の音楽・映画・風俗に関するユニークな年代史が出来るのではないか、と考えたのだった。
ロキシー・ミュージック、トーキング・ヘッズ、キッド・クリオール、ハウス・ミュージック、といった「無限の歓喜」という書物の中でフィーチャーされているミュージシャンばかりではない。今野がマガジンハウスの編集者を辞めて映画、そして音楽の評論家活動を開始した頃には、その後の彼の好みとはおよそかけ離れた、意外な音楽ジャンルのレコードのライナーなども少なからず書いている。
すぐに思い出すのは、ナッシュヴィルの名ギタリストであり、RCAの音楽プロデューサーも務めていたチェット・アトキンスが制作を手掛けたレニー・ブルー、というジャズ・ギタリストの国内盤のライナー・ノーツ。へえ、こんな仕事も拾ってたのか、と思って中古レコードを買い求めたのだが、果たしてそのレコードは、どんな繊細なシンガー・ソングライターの作品よりも内省的な趣きを持つ傑作であった。
そのような原稿も洩らさず収録した「今野雄二著作集」を作ってくれ、と、自分はそれほど沢山知り合いがいるわけではない書籍編集者のほぼ全員に話したはずだが、その内に今野雄二は他界してしまった。
自分が特に好きだったのは、「ハイファッション」、という雑誌に書いていたコラムと、「ポパイ」に不定期に?書いていたセレブリティのゴシップを集めたコラム集だった。そういう文章はたぶん今までに一度も纏められていないはずだ。
常盤響さんは、ミズモトアキラさんと組んだ「TMVG」、というDJユニットでアルバムを発表したとき、今野雄二に推薦文を依頼し、願いを叶えた、と言っていた。今となっては本当に羨ましき話だ。