HOME  >  BLOG

Creator Blog

南井正弘Freewriter&Sneakerologist1966年愛知県西尾市生まれ。スポーツシューズブランドに10年勤務後ライターに転身。主な著書に「スニーカースタイル」「NIKE AIR BOOK」などがある。

履けばわかるさ、着てもわかるさ

南井正弘
Freewriter&Sneakerologist

1966年愛知県西尾市生まれ。スポーツシューズブランドに10年勤務後ライターに転身。主な著書に「スニーカースタイル」「NIKE AIR BOOK」などがある。

Blog Menu

今日の1足

2011.09.29

このエントリーをはてなブックマークに追加


DSC00292H.JPG

サラリーマン時代、記念すべき海外初出張は大韓民国の釜山でした。入社1年目の3月、上司と二人で金海空港に降り立ったのは23年前のことで、今とは違って「近くて遠い国」の表現がまだまだ似合うころでした。当時の主力工場のHSグループを訪問し、製造ラインを見学して、このとき初めてスポーツシューズの製造工程をこの目で確認することができたのです。その後も台湾、タイ、インドネシアといった国で製造工場を自分は訪問しましたが、営業部や他部門の社員も「シューズの製造工程くらいは理解しておいたほうがいい」ということになり、福島県のとあるシューズ工場を観光バスで訪問したのです。確か1990年だったと思います。この工場で製造されていたのは、日本のサッカーシューズ史上屈指の名作に数えられる、W杯86年大会を目指した日本代表プレーヤーのために開発されたモデルなど。規模こそ海外の工場と比べると小さいですが、工場で働く縫製工のレベルは緻密さ正確さetc.この工場のほうが圧倒的に上なのは、まだ入社3年目の自分でもわかりました。

あれから21年が経過し、サラリーマン時代の同期がハンドリングするプロジェクトが偶然にもこの工場で製造されることとなりました。そのモデルとはトレイルランニングシューズのトップブランド、モントレイルのフェニックス。2005年にヨーロッパ向けに限定販売されたモデルで、フェル(高地)ランニングと呼ばれるUKやヨーロッパでポピュラーなランニングにマッチしたアウトソールパターンを採用しており、スリムなフォルムのアッパーとミックスされ、隠れた名品と評価されました。そんな歴史的傑作を復刻するにあたり、この工場に白羽の矢が立ったのは、その高いクラフツマンシップから。中国あたりでは先月までスポーツシューズの縫製を行っていた女工さんが翌月は携帯電話を組み立てていたりということは珍しくありません。こういった場合では自分がどのパーツを作っているのかということは特に意識せず、ただ言われた作業を黙々とこなすという表現がピッタリなのに対し、福島のこの工場の人々はシューズの構造を理解しており、縫製作業中は「シューズのきれいな立体を形成するためにはどう縫えばいいか?」ということを考えているのです。

3月11日の東日本大震災はこの工場にも被害を与えましたが、従業員一丸となることで3月28日には操業を再開。現在はモントレイルのフェニックスを始めとしたスポーツシューズを順調に生産しています。今後も品質の高い「MADE IN JAPAN」のプロダクトを生産し続けてもらいたいです。


DSC00293H.JPG

シュータン裏には福島で生産されたことの証しであるラベルが。このモデルの販売に関わる企業はそれぞれ1%を寄付。日本赤十字社などを通じて被災地の復興支援に役立てられる。リリース時期は10月初旬予定。明治通りの直営店、UNDEFEATED TOKYO、BEAMSの一部店舗、その他モントレイルの主要取扱店で展開されます。

※コメントは承認されるまで公開されません。