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シガアキオスタイリスト97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

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シガアキオ
スタイリスト

97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

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埋蔵金。

2007.06.29

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 昨日はロケで一日、栃木県の日光にいた。しかし、暑かった。東京では36.2℃と6月の観測気温で過去最高をマークしたと聞くし、栃木もそーとーであったに違いない。なにもこんな日に限ってという感じだ。
さて、その前日、つまりおとといの昼に友人とランチしていると、偶然こんな話題になった。それは、昔から噂される「徳川埋蔵金」の話だ。彼によると(最近、流行している説によると)、ソレは日光東照宮に隠されていて、昔から歌われている童謡「かごめ」の歌の歌詞に秘密が隠されているのだそうだ。


『かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、鶴と亀と滑った、後ろの正面だあれ』


歌詞は地方によって多少異なるようだけど、こんな感じ。まあ、昔から宝の在り処が隠された歌じゃないかってのは有名だけど、それが徳川埋蔵金で日光東照宮だとは知らなかった。
その理由はこうだ。「かごめ」とは籠を編んだ目のことで、それは六角形の六芒星のことを表している。関東に徳川家が建てた神社仏閣を線で結ぶとその六芒星の形となり、その中心に家康を祀った日光東照宮がある。「籠の中の鳥」とは籠の中の鳥居であり、まさにその東照宮を指している。そして、東照宮には「鶴と亀」の石造がある。「夜明けの晩」、つまりその鶴と亀に朝日がさした時、その陰が向いた方向、そこに「見ざる、言わざる、聞かざる」があり、その三猿の見る方向に左甚五郎作の「眠り猫」がいる門があり、その門をくぐった先の石段を上って行くと徳川家の墓がある。その墓の「うしろの正面」に祠(ほこら)があり、その祠には六芒星の上が欠けた文様が刻まれてる。それはまるで↓の矢印のようにも見え、つまり、そこの下に財宝が眠ってるというのだ。
さらに続きがあり、その「かごめ」の歌を関東に広めたとする松尾芭蕉は、実は徳川隠密を引退した服部半蔵だとか。何故なら各地の関所をスルーし「奥の細道」をあれだけ短期間で周ることは常人では不可能であるとか。さらに、さらに、そこに徳川の埋蔵金があることは現在の政府はすでに知っていて、それでも知らん顔するのは、掘り起こしてしまうと歴史がひっくり返るほどの事になってしまうからだとか何とか。
面白い。たしかに面白いしこの手の話はボクも大好きだ。ただ、松尾芭蕉のくだりは確かに説得力あるし、もしかしたらそうかもだけど、この話の本筋である、「徳川埋蔵金」の在り処が「かごめの歌」だってのはボク的にはありえない。何故なら時代がまったく違うからだ。
本来、徳川埋蔵金というのは、明治に変わる幕末の話である。それが他の何らかの「財宝」だというならまだわかるけど、埋蔵金に結びつけるのはちと強引すぎですな。

とか何とか、前日にそんな話を聞くと何だか気になって、つい鶴亀の像を探してみちゃったり。あ、もう行かなきゃ。今日はそんな感じで。

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