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シガアキオスタイリスト97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

シックスセンス

シガアキオ
スタイリスト

97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

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おめでとう。

2007.07.04

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 先週末に学生時代の親友の結婚パーティが六本木であったが仕事の都合で行けなかった。撮影スタジオは青山だったし車を飛ばせばすぐにも逢える距離なのにそうもいかなかった。とても残念だ。
彼との出会いは高校の入学式。互いの苗字が“し”から始まるので必然と席が隣同士だった。その日のボクは気合十分でいつもの三割増しのトサカ頭で臨んでいた。いかにもゲットー地区出身らしい屁のつっぱりであるが、トサカの威嚇はもはや効果もなく、井戸の中のカエルくんは、もうひと回り大きな井戸と他にもいろんなカエルがいることを知った。でもアイデンティティは譲れなかった。同じく隣の席の彼もまた、見たことも無いデザイナーブランドを身にまとっていた。他人のファッションてのを初めて意識した瞬間かも知れないが、とにかく似たような気合は感じられた。まあ、それからの付き合いである。
二人とも同じように渋谷や原宿で遊び、同じように古着やバイクやサーフィンに夢中になったけれど、ひとつ言えるのは、彼のほうが流行に敏感だったし服への情熱も人一倍だった。たまにそんな彼のことを思い出すと不思議な気分になる。なんでボクのほうがここに居るんだろうかと。


ところで、たしか一年だかもっと前、深夜にドキュメンタリー番組をやっていた。それは東京で生活するいくつかの人の暮らしを対比してみるみたいな企画だった。その中で二組の夫婦が登場した。
まず一組目はデザインだか何かをやってるいわゆるクリエーターの主人と、好きな仕事を続ける奥さん。主人は年収1千万くらいだが、世知辛い東京でこの共働きスタイルは当たり前のようにも思える。彼らに子供を作る気は無く、その理由のひとつに二人の趣味である年に数回の旅行があり、冷静に考えて金のかかる子供を作るのは、二人の楽しい暮らしに支障をきたすのでそれで良いそうだ。
もう一組は何の仕事だったか現場で働く主人と、専業主婦の奥さん。それと、たくさんの子供たち。主人は年収300万ちょいで家計はカツカツ。まさに貧乏子沢山を絵に描いたような家族だった。
この番組はひどかった。まずモデルケースが極端すぎる。少子化問題の何故と言いたい事がみえみえだった。
ただ、探してきたモデルは極端にしろ、ドキュメンタリーである事は事実だし、そこにいる家族の実際もリアルだった。長髪を束ねたクールな態度で分け知り顔に物を云うデザイナーと、一週間にお小遣い千円でも幸せそうな顔をする日雇いの亭主。
ふと、客観的に見て自分はどちら側の人間だろうと想像した時、背筋が寒い思いがした。
ここまで話して自分でも何が言いたいのかいまいち分からなくなってしまったが、人の人生は今じゃなくて、死ぬ間際に振り返ってみないとわからないもんだよね、ってことを結婚した友人に伝えたくて。そんなふうに考えています。おめでとう。
あ、それと今日は自分の誕生日だったので自分にもおめでとう。

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