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人間年齢。
2008.04.24
ボクの奥さんは「君が代」を知らない。否、スポーツの国際試合などで流れるのを聞いてなんとなく知ってるかもしれないが、とにかく歌ったことがない。
奥さんは和光学園の出身だ。教育の全てをそこで学んだ生粋の和光っ子である。彼女から聞いた話しになるが、学園には校則も制服も無く、教科書も使わないそうだ。とにかく自由であれという校風でルール等は自分達で話し合って決める。生徒の主体性にあくまで先生らは准ずる。
去年だか和光小学校の運動会を訪れた。知人のお子さんがいるので遊びに行ったのだが、まず驚くのが親達の顔ぶれだった。芸能人、ミュージシャン、大御所スタイリストさんも居たけど、いわゆる業界人が多く、そんな方々が自分の子供をビデオやカメラで追っかけて必死に応援する姿というのもなかなか見る機会もないし、みんなちゃんと親やってんだなって感心した。
だけど、そこで多少違和感を感じたのは生徒が整列した姿など一度も見なかったことだ。なんとなーくグループで集まって、なんとなーくやっている。それはボクらが経験した運動会の整然とした風景ではない。規律、前へ習え、右向け右、行進、みたいな軍隊式の作法は一切ない。その様に左翼的な教育理念であるため、先にも言ったよう君が代も歌わないのだ。
そこへくるとボクなんかは平凡な公立学校で学んだ庶民であるから、それとはま逆の教育で育ってきた。国家を歌わない人など一部の日教組の先生くらいだったし、根本的な考え方はやはり右寄りであろうと思う。世が世ならば、天皇の玉音放送を地面に頭をこすりつけながら涙したに違いない一般国民。そんな風だから、我が家ではしばしば衝突が生じる。
先日、いつものように二人でテレビを観ていると「仰げば尊し」を合唱し涙する生徒たちの感動的なシーンがあった。奥さんに云わせるとこうである。
「卒業式って生徒たちのものなのに何で先生が上にいるの?てゆーか、仰げば尊しってなに?」
そう、和光式でゆーとステージ上は生徒で先生が下である。それよりも、「仰げば尊し」も知らないことにたまげた。「わが師」を敬い、その「恩」に感謝する歌だと教えると、
「でも先生も人間として立場は対等だし、いまいちわからん」
とこうだ。たしかに詩の内容ば先生に感謝しろって意味だけど、もっと解釈すれば目上の人、ご先祖様、いろんな人に感謝だねってわりと良い歌だ。それをわからんとは誰に対してもノーリスペクトか、ちゅーて言い争うのである。まるでイスラム教徒とキリスト教徒がひとつ屋根の下で暮らしてるみたい。まるで考え方が違うから、何かにつけ意見が食い違う。
しかし、互いにとって当たり前の事が当たり前でなかったとしても、それでもまあ、なんとかうまくやっている。そんなくだらない価値観だって結局のところクソ喰らえだし。よくテレビで見る離婚会見の理由は「価値観が合わなくなった」とか。理屈でくっついた者同士は、いつかその理屈で壊れる気がする。音楽や服の趣味が合うとか? 考え方や価値観が同じとか? バンドの解散なんていつもそうで、10年もすれば人の趣味も価値観も変化すると思うのだ。
例えば仏教の世界には輪廻転生という概念があって、その世界では人というのは生と死を、何千、何万回と繰り返し、成熟し、最後に仏になるとされている。つまり、今生きている人は皆修行の身であり、果てしない旅の途中だということだ。
その概念で考えれば、人間になったばかりの若い魂があるなら、80歳のおじいさんであれ、1歳の子供であれ、同じ1歳同士。何を伝えても感じあえない人、逆に何も云わずとも感じる人。それはその人間年齢によるところが大きい、というのがボクの持論。間違ってもそれは人の上下ではなく、あくまで感じ方。がむしゃらな歳の人、そろそろ枯れてきた歳の人、いろいろいる。同じような歳の人が偶然出会ったとき、ビビビときたり、一目惚れしたりするんじゃないのかな。
...と、話がオチのないとこまで来たので以上。ちなみに夫婦間はうまくいってます。
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