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夢がモリモリ。
2008.07.27
レーサーでスタントマンだった元新宿YSPのバイク屋のオヤジ曰く「汚ねえバイクとハーレーは認めねえ」んだとか。聞く人によっちゃあ怒りだしそうな星一徹ばりの頑固オヤジの仰るとおり、やはりバイクはピカピカにしとかなカッコ悪りいね。バイクと言えばスーパーカブ50周年モデルなんてのが出るらしいけど、フルモデルチェンジもせず50年間作り続けたってのはすごい。そしてその間の世界累計生産数がなんと6000万台。6千じゃなく6千万だからね、60,000,000台。
世界で最も売れたアルバムはマイケル・ジャクソンのスリラーだけれど、それが初めてギネスに認定された時たしか4800万枚くらいだった。その後のソニー・ウォーズでソニーの不正が明らかになって現在は1億400万枚売れた事になったけど、それでも一枚数千円のCDやレコードじゃなく20万円するバイクの数字だからやはり驚異的だ。
初めて乗ったのは中学1年生。なにも盗んだバイクで走り出す的なコトでなく、廃車工場で五千円くらいのガラクタ買って近所の河川敷で草レースするのは地元川口ではマイナーではあるがそういう遊び方もあった。川口オートレース場からは授業中でもレースの爆音が聞こえてくるし、必然的にボクも含め悪ガキどもの興味はそこへ。授業中も競車新聞を教科書に隠してレース予想してた。競走車(レース用バイク)の整備ガレージもそこら中あったし現役レーサーが親父の友達もいた。そういう億円プレーヤーを間近にすると、プロ野球選手よりプロレーサーのほうがリアルドリームに感じた。
近所に西方のおっさん「西方義治」て七十まで現役やった伝説のオートレーサーがいて遊びに行くといろんな話しを聞かせてくれた。「何事も長く続けるには勝ち続けないこと」っていうのは人生の指針に関わる話だ。そして、いま川口オートには森且行選手が所属している。元スーパーアイドルの一員でも子供の頃から夢だったオートレーサーに転じたのは、世間では馬鹿げたことでも、ボク的にはすごくわかる気がした。
「第25期生、スピードにかけた青春」
因みに、オートレース用バイクってのは特殊な構造をしている。
まず特徴的なのがハンドル。左右非対称で走りづらそうだが左に傾斜してるオーバルコースを常に寝かせたまんま走るから、その状態でハンドルが水平になるからこれで正解。あとはタイヤも三角タイヤっていう特殊なの履いている。これも同じ理由で、バイクを左に傾けた状態で一番接地面が多くなるようできてる。
それからピストバイクみたいにブレーキも付いていない。競輪と同じく競技中の選手のブレーキ操作は重大な事故を引き起こす。だから選手は左のツマ先に鉄製のスリッパを履いて、それを地面に擦り付けて減速するっていうママチャリのおばちゃんと同じ理屈。あともっと細かいことを言えばブレーキの代わりに強いエンジンブレーキが要るためアクセルを戻すとキャブが全閉する、だからアイドリングしない、など。
あとオートレーサー自体、ライディングフォームが特殊。舗装されたオーバルコースを速く走るならGPライダーみたいに体を車体より低くする、ハングオンが本来。でも車体だけ倒して体は高くする、リーンアウトなのは元々オートレースがダートコースだった頃の名残り。なのでドリフトコントロールに優れたフォーム、つまりオートレーサーはモタードスタイルなの。
そうそうライディングフォームで言えばノリックも変わった乗り方してたけど、あの背筋をぴーんと伸ばして覆いかぶさる乗り方は彼もダート出身だったから。常識的にはあり得ないけど確かにリアがスライドした時の彼のマシンコントロールは凄かった。ちなみにノリックの親父も川口オートのレーサー・阿部光雄です。
そんなわけで、いまも実家に帰ると爆音を感じに行きます。こんど一緒に如何すか?
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