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そんな話し。
2008.11.24
ついでにちょっとその頃の話しなど(この連休はひまだ)。
衣服にいちばん夢中になった時期って、やっぱ十代の頃だったかもしれない。ファッションといっても、それ以降、それ以外(衣・食・住)のいろんな事を勉強し学んでゆくものだし、それら全体がバランスの中の一部というように落ち着いてゆく。また人間て成熟する生き物だから、ファッション的な物事の見方ができる人なら余計に、それに囚われたまま終わってゆく人生が怖くもなる。
なんて話しは置いといて、十代、もちろんボクの頭の中もファッションと音楽の事でいっぱいだった。けれど、クラスには半分以上そんなものに興味ない人達もまだいた。まだとは今の高校生におしゃれに興味の無い生徒のほうが逆に少ないんじゃないかって勝手に想像するからだが、とにかく同じ価値観を共有するグループ(友達)ではまだ特別な共通言語としてファッションは扱われていた。
そんな時代だったが(だったから?)、コンビニで売ってるファッション雑誌はボクらはあまり見なかった。それを熱心に見てるのは大抵クラスでも目立たない地味なヤツだった。ボクらの手本はあくまで海外のカルチャー誌とか、または映画の中の俳優の着こなしだったり、レコードのジャケ写やPVや写真集からだった。雑誌で見たブランドのパンツが欲しい、というよりも、あの映画であの人が着てたようなジャケットが欲しいとか、だから古着屋に行って探してみるとか、同じようにカスタムしてみるとか、そんな感じだ。
そもそもボクらの時代に限定したことかもしれないが、リアルシーンと雑誌との間に大きな隔たりがあった。毎号「〇〇カジ」みたいな流行を勝手に提案する雑誌をボクらは鼻で笑ってた。当時のスタイリストさんには悪いが正直ズレてた。
それもそうだ。雑誌は手を変え品を変え新しいスタイル(企画)を提案しなければならず、毎度古着とインディアンジュエリーの特集ばかりもしていられない。しかしそれでも渋谷は頑なに動かなかった。ボクらは雑誌より自分らのスタイルが一番だと信じ続けた。
そんな十代を過ごしたからか、当時雑誌の中で起きてたブームにはブランクがある。なにしろボクは自分の師匠の名前も知らずにアシスタントに就いている。いや、師匠どころか当時ハッスルに所属してた有名スタイリスト3人の名前を誰一人知らずに事務所へ入所(監獄みたい、言いえて妙)した。
当時お付き合いしてたスタイリストの彼女の「あなたはスタイリストになりなさい」という言葉に騙され、渡された名刺を頼りに尋ねてみたのが六本木のスタジオで、通されたロビーのソファにグラサンにロン毛の今も変わらぬ人がいて、「今日から手伝える?」と聞くその人に、履歴書も持ってきてないボクは「いいっすよ」と返事した。その時十数年後の自分なんて想像もできなかったね。
なんちって。そーいえば今日誕生日の池内ていえば、最近テレビドラマ「チームバチスタの栄光」を面白くてずっと見てる。池内には悪いがドラマの続きが気になって映画を初めて見た。面白い映画だったんだね、失礼。映画で彼が演じてた「鳴海 涼」はドラマだと宮川大輔。うける。ただストーリーはドラマ版のほうが二転三転してまだまだ盛り上がりそうだが、キャストはやっぱ映画版が好きかな。
奥さんの元上司、パティシエの赤嶺氏よりホームベーカリーが届く。朝食はパン派の我が家だからとてもありがたい。早速作ってみたけどすごくおいしかった。毎朝焼きたてパンが食えるなんて幸せ。
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