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シガアキオスタイリスト97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

シックスセンス

シガアキオ
スタイリスト

97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

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かぶくもの。

2008.12.01

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 先週28日に発送された裁判員候補者への通知書が今日あたり当選者(?)のもとへ届くみたいだ。早い人はすでに受け取ったそうで、それをブログに載せたりして世間は騒いでいる。


新しい裁判員制度は全国の有権者の中から350分の1の確立でランダムに選ばれる。てことはボクにも通知が届く可能性がある。もちろんこのブログの他の誰かに届く可能性もあるわけで、早いとこ「届きました」なんて記事が載ることを期待している。


でも本当は公表してはいけない。テレビの視聴率測定機と同様、様々な危険性を回避する為には当然だ。ところがブログという媒体を介しそいつはボロボロ出てきてる。まあこんな世の中では仕方ないようにも思う。


んが!ボクは今でも視聴率を測定するマシーンがある家というのを聞いたことがない。家族、親類、友人、知人、これでもけっこー多くいるつもりだ。それでもだ。それが子供の頃からの大きな疑問。果たして本当に存在するのか?もはや都市伝説のような胡散臭さすら感じる。


脱線した。その、裁判員候補者通知書。ボクは欲しい。裁判の会期中は数日拘束されるらしいが、仕事なんか余裕で休む。それよりも事件が有罪か、無罪か、意見してみたい。


そんなわけで今朝からポストが気になって仕方ない。今のところ届いてない。届いても言わないが。


 さて、すでに先週の事だけど、中村勘三郎さん(勘九郎の方が馴染みがあるか)の歌舞伎「法界坊」を観させて頂いた。まあ仕事で行った先だから半分そーゆうモードだが。


 舞台のあった『平成中村座』は、浅草寺の境内に建てられたテント小屋で(つっても立派な)、浅草のど真ん中という立地もあり、銀座のど真ん中にある本家『歌舞伎座』よりも気分的に盛り上がった。


が、それより何より舞台の内容そのものがやはり素晴らしかった。歌舞伎といえば間違いなく歌舞伎だろうが、ボクのようなシロウトが観ても誰が観ても充分楽しめる内容。勘三郎さんらしいエンタテイメントショーだった(残念ながらすでに終了)。


しかし、この方はパンクというか何というか、仕来りとか、ジャンルにまったく囚われない。さすが歌舞伎界の風雲児と呼ばれるだけあると改めて感じた。「歌舞伎」の語源とは「かぶく者(傾く者)」だが、この人は間違いなく傾(カブ)いてる。だとすれば、この業界なんかまさに傾いていかなぁいかんと思うのだけど、意外と平坦な人、多いよね。気のせい?


そーいえば、、、。服飾の勉強に飽き、いよいよバンド活動に本気になりだした時期(毎度昔話で申し訳ないス)、ライブやバンドコンテストに精出す傍ら、アルバイトでテレビ局で働いてた事がある。理由はそーゆうとこで働いとけばやっぱ何かしらコネできるかなって安易な邪心で。


この世界に入る前のその空白の数年間はいつかまた機会があれば話すかもしれないけど、とにかくバイト始めて数年経ったある日、ボクはいつものようにドラマの撮影現場にいた。


その日はスタジオ内でバーのシーンだった。ドラマの主役は明石家さんまさん。そこにやって来る客という設定で現れたのが中村勘三郎(当時は勘九郎)さんだった。まずドラマなど出演しない人だが、さんまさんの友人ということでほんの1シーンだけの友情出演だ。


映画やドラマの撮影で食べて無くなってしまうもののことを「消え物」というが、ボクはその消え物のお酒を用意する為、勘三郎さんに注文を聞いた。こういった物は通常それに見立てたソフトドリンクを使うが、慣れない氏には本物の酒を出すよう監督から指示された。
「何飲みます?」
「ハイボールちょうだい」
言われるままボクはグラスにハイボールを作って出した。それから撮影は滞りなく進み、次の場面へ。同じバーで暫く時間が経ったようなシーンだ。すると監督がボクのところへきてビールを用意しろという。いまいち意味がわからなかった。最初のシーンならまだしも時間経過の後のビール。バカなボクの頭で考えてもおかしな“繋がり”だった。バーでいい大人がハイボール飲んでおいて、果たして“ビールバック”などするだろうか?ボクは素直にその気持ちを監督に伝えた。
「おかしくないスか?」
するとみるみる監督の顔色が変わった。
「てめえ何様だ、黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ」
もしかしたらビールを注文したのは勘三郎さんだったかもしれない。けれども変なものは変だと言う事がそれまで少なからずそいつに関わってきたボクなりのプロ意識のつもりだった。


そもそもこの有名監督、終始そんな感じだった。例えば衣装合わせの時、衣装を用意したスタイリストに「ファッションショーじゃねえんだよ」とか、下で支えてるスタッフに対してまったく愛がない。そのくせタレントにはペコペコで、スーパーカッコ悪い大人代表みたいな人だった。とにかく、ボクはその言葉にキレてしまい、その仕事を辞めた。


それに携わる間、俳優や女優さんらと共に過ごす毎日で、撮影が終われば皆で飲み歩いたり、楽しく充実した日々のように感じられた。友達もたくさん出来た。しかし足元を見つめ直せば自分の夢には一歩も近づけていなかった。音楽やるにしろ、洋服にしろ、何にしろこんなことしてても時間の無駄だわって。


ま、そんなことがあったとさ。だからその、ハッと我に帰るきっかけは勘三郎さんだったなと(関係ないっちゃないが)。あ、つまんなかった?すまん。では。

Comments: 2

数年前実家に視聴率測定器ありましたよ。形は小さなチューナーみたいな物で、たしか1年間設置することで、毎月何千円かいただいてたみたいです。
流石に設置してあった時は誰にも言わなかったですが、最近ちょいちょい喋ってしまってます。
(昔の事ですがいちおこのコメントは表示しないでおいて下さい)

表示しちゃいました。ちょうどコメント100件目だったので…たぶん大丈夫ですよ!笑

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