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シガアキオスタイリスト97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

シックスセンス

シガアキオ
スタイリスト

97年、まだ若く鬼のように恐ろしかった蔡社長とメッケ隊の元、ハッスル(現ライノ)でアシスタント兼なんでも屋(人殺し以外)として過ごす。99年、約 1年半という業界では伝説のスピードで独立。06年、仏のようなスタイリスト古田氏らと共にチェルシーフィルムズ創設に携わる。しかし、根っからのB型の 故、集団生活は無理だとわかり、10年、office sixsenseを立ち上げソロ活動に入る。72年7月4日生まれ。現在2児のパパ。

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なんの話や。

2009.01.19

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 いやあ、まいった。年明け早々本年度最大級の事件が起きた。長い人生まだまだいろいろあるとは思うのだが、にしても大、大、大ピンチだった。ダイハードのブルース・ウィルス、もしくは24のキーファー・サザーランドぐらいのピンチだ。いま、こうして笑っていられるのがすでにミラクル。残念ながら、ブログで書ける話じゃない。聞きたい人は直接どーぞ。話せば長くなりますが。


さて、先週は月曜に秋恒とタカシと奥さんを連れ、金曜に遠藤さんとブルーマン・グループ広報の茂木さんを連れ、早乙女太一主演舞台「わらべうた」を観劇しに青山劇場へ足を二度運んだ。この大衆演劇なるもの、彼と出逢うまでほとんど知らなかったが、一緒に行った友人らも初体験だったようだ。見終わった後、皆賞賛の声。確かに一度ライブで観ないとわからない不思議な魅力だ。



とくに早乙女太一という少年の魅力。それは明らかに他とは違ったオーラを放っている。演者は白粉の化粧をし、舞台後方から観たとすれば正直誰が誰だか分からない。それでもはっきり彼が彼だと分かるのはすごい事だと思う。もって生まれたスターの素質ってやつか。


ただその質とはいったい何処に由来するのか。彼とはたまにご飯を食べに行ったりする。そこで垣間見る素顔の彼はやはり普通の17歳だ。ところが話が仕事、芸事に及ぶや表情は一変する。あくまで仕事で繋がる間柄であるから、周りの誤解やお叱り、というのを恐れずに云ってしまうと、雑誌やテレビ等で見せる「普段の彼」というのは彼自身ほとんど仕事と思っていない。彼が唯一、仕事と思っているのはやはり「芸」を「舞う」瞬間だけだ。その瞬間、彼は本来の自分を放出する。その演技、舞いには鬼気迫るものがある。


じつは今回の舞台も彼から「なるべく早く観に来てください」と言われた。それは毎回の公演を一切手抜き無しで演じ、いつ体力が尽きてもおかしくない状況で、なるべく最良の状態のものを観てもらいたいという彼の気持ちだと思う。


ご存知のように彼の銀幕デビューは北野武監督「座頭市」だ。しかしそれよりも前にすでに大衆演劇の劇団座長とその花形女優の子供という生まれながらの芸能一家に育ってきた。それはボクらの想像を超えた辛く過酷な環境だったと思う。


大衆演劇は全国津々浦々を転々と興行して周る。西洋風にはサーカス一座みたいなものか。なので学校は三ヶ月に一度転校する。まともに同い年の友達などできるはずがない。両親も大変芸道に厳しく、赤ちゃんの頃から泣く事も許されず、座長を父親と呼ぶことも許されず、そんな甘えるべき親も、心許すべき友も、逃げ場もまったく無い八方塞り状態で叩き込まれてきた芸の道。彼みたいな人のことを本当の「芸能人」と呼ぶのだろう。


焼酎に酔って好き勝手をぺらぺら喋るボクの前で、静かに頷きながらジンジャーエールを飲む太一。未成年だから、酒が飲めないから、でなくジンジャーエールが好きだから、がまさに早乙女太一流。そして一度口を開いたかと思えば、「あれ、タメだっけ?」ってくらいボクより大人な真実を語る17歳。恐るべしである。


 
そういえば幻冬舎パピルス」でも今回早乙女太一が特集されてるが、同じ号で「大人のキャンプファイヤー」みたいなページで秋恒RIKIYAも参加していた。まあ山に行って焚き火して飲んだくれる、というアホな企画だが楽しそう。この雑誌は隔月発売だけれど執筆陣がおもしろく(伊賀大介氏のコラムなども)、いまどき読んで楽しめる数少ない良質な雑誌だ。興味のある方は是非。


で、せっかく同じ雑誌に出てるんだからと、そんな二人、秋恒と太一を引き合わせてみた。ボクは以前からこの二人を何かの形で絡ませたいと思っている。早乙女太一が着る衣装の着物にはいくつかスペシャルがあり、中でもテキスタイルデザイナーの筒井はじめ氏が制作したものが目を引く。この筒井氏が制作した着物は通常の染めやプリントではなく、生地の上から直接ハンドペイントを施したり、色を塗りつけたりして出来ている。つまり常識を無視した作品だ。同じように秋恒も以前、三田真一と和紙で作った着物に水墨アートを施した作品を残していて、何かそれらには似た手法を感じ、ならば秋恒と早乙女太一もコラボレーションできるんじゃないかと、、、できたらいいね。ブルーマンとも何か一緒にやれたらいい。



最後に。ボクもタカシも中高あたりで尾崎豊を通った世代だ。そりゃあ盗んだバイクで校舎の窓ガラス割りまくったクチかもしれないし100円玉でまだ缶コーヒーも買えた時代にアイラブユーざんす。んで、先日ボクが幻の東京ドームライブに行っていた事実を知ると、「オレなんか尾崎の奥さんと、一緒にカラオケしたことあるもんね」と、とんでもない事を自慢しだした。どーいった経緯か、尾崎豊の未亡人の前で尾崎を熱唱したというタカシ。

 「なに歌ったの?」
フリーズムーン
「まじ?てことはアレだよね?」
「そう、アレだよ」
「うわー、、、」

思わずこっちが恥ずかしくなった。


「歌」というのは音に言葉を乗せてく作業だが、「うまい歌」とはその音にどれだけうまく言葉を乗せられるかという事になる。しかし尾崎豊の歌って「歌」と関係ない「セリフ」のようなポエトリーが多く含まれる。つまりそのポエトリーな曲を攻略するには「尾崎豊」という役を演じなければならないって事だ。


それをよりによって尾崎夫人の前で演じる。しかも亡くなって何年も間もない頃の話だ。確かにすごい話だが、羨ましいかどうかというより、空気読めるかないかの話かもしれない。嗚呼。


一応、秋恒のブログに補足をさせてもらうと、その食事をしてる場所へは、そんなタカシとボクと秋恒とがヘベレケに酔って押しかけたのである。残念ながらその時の記憶はまったくないが、後から太一に聞いたところ「尾崎豊を語りにきた」といって入ってきたんだそーだ。尾崎の舞台がんばってね。

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