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ロスジェネ。
2009.11.02
先日、仕事を終えた頃、呑みの誘いを頂いた。腹も減ってたし場所も三軒茶屋だってんで近いから飛んでった。そこに居たのは女優とスタイリストとヘアメイクの女三人。グータンヌーボー状態のガールズトークに一人乗り込むも、合コンみたいなワクワク感はなく何故かアウェー感だけが漂う。ああ、やっぱ来なきゃよかった。つーか呼ばないで。
案の定、くだらねえ恋愛観とか恋話を延々聞かされ、こちとらうんうん頷くしかない。「それ違くね?」なんて刃向かおうもんならズタズタの返り討ちは目に見えてますもの。
唯、ひとつだけ異見を申し上げた。いままで好きになった人やつき合ってた人は今でも好きだ(人として)と。今頃どうしてるかとか、幸せに暮らしてるかとか、たまに想うよと。
返ってきた言葉は、「うぜえ」「よけーなお世話」。やっぱ男女は違う生き物のようです。
なるほど。そう考えるとボクはロスジェネ初号機であり、そして受験戦争に敗戦した最初のモラトリアム人間なんだな。この本読んでみよう。
一応コピペしておきます。↓
『ロスジェネはこう生きてきた (平凡社新書 465)』
雨宮 処凛
平凡社
756円(税込)
ロストジェネレーションとは、「失われた世代」のことをいう。
バブル崩壊後の「失われた10年」に社会に出た、1972年から82年に生まれた世代のことだ。
07年に出版された『ロストジェネレーション─さまよう2000万人』では「彼ら、彼女らは、日本人がもっとも豊かな時代に生まれたと言ってもいいだろう。だが、高校や大学を卒業して社会に出たとき、戦後最長の経済停滞期にあたったのがこの世代の『不幸』だった」と記されている。
確かに子どもの頃は「未来は明るい」ことを漠然と信じていた。経済成長がこのまま続き、いい成績をとり、いい高校を出て、いい大学を出て、いい会社に就職という神話は唯一絶対といっていいほどの力を持っていた。そのために数の多い団塊ジュニア間の受験戦争は過酷を極めた。「努力をすればしただけ報われる」の言葉には信憑性があったからだ。しかし、それは景気が良かったからこそのものであり、ようやく社会に出るころになって、「今までのことはバブル崩壊によってすべて嘘になりました」と梯を外された。
ある者は右傾化し、ある者は突然あたえられたモラトリアムのなかで「自分探し」を余儀なくされ、ある者はフリーターや派遣社員となり、運良く「正社員」の座をつかんだものは、この会社を辞めたら後がないという恐怖から過労死の危険にさらされ、ある者はホリエモンブームに「起業」の夢をみた。
そして、09年はじめ、そんなロスジェネの一部は、日比谷公園に出現した「年越し派遣村」で新年を迎えた。一体、経済成長時代に生まれた私たちの誰が、将来自分がホームレスになることを想像できただろうか。「働く」ということはお金の問題だけでなく、尊厳や自己肯定感、社会上の身分など、人が生きるうえで様々な部分に影響をあたえる。将来があまりに不透明な日々は、時に自暴自棄や自己否定に追い込んでしまい、「生きる力」そのものも失ってしまうことも...。
「失われた10年」にもっとも「ワリを食った」この世代が何を思い、何を考え、どんなことをしてきて、どんな世界を望んでいるのか。1975年生まれの作家・雨宮処凛は自著『ロスジェネはこう生きてきた』で、現在までの軌跡と社会の動きを重ね合わせ、この息苦しさの根源に迫っている。
2009年11月 1日 07:46
研究チームによる「いずれインターネットはモバイルに完全に移行すると私たちは考えている」。 当然ですね。
すごいね。
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