Extreme対談 vol.1 渋谷慶一郎×オノセイゲン(前編)
2011.11.22
その道の最前線に立つクリエイターによる、ディープでマニアックでエキサイティング、それでいてちょっとタメになる話「Extreme対談」。記念すべき第1回目にご登場いただくのは、サイデラ・マスタリングスタジオの代表を務めるレコーディングと空間音響のスペシャリスト、オノセイゲンと、前衛的な音楽レーベル「ATAK」を主宰する音楽家、渋谷慶一郎のお2人。15年以上の付き合いを持つ彼らが、音楽制作の変遷を辿りながら、最新の録音手法や自らの音作り、現代のリスナーについて語る。
Photos_Kenshu Shintsubo
Edit_Yohei Kawada
Thanks_NUMBER A
INDEX
1. 2人の出会いとそれぞれの歩み。
2. 80年代から90年代へと続く、デジタルレコーディングの変遷。
3. 猫をも魅了する!? 「DSD」って何?
4. データ配信の未来はいかに?
オノセイゲン
音響空間デザイナー/ミュージシャン/録音エンジニア。録音エンジニアとして、82年の坂本龍一「戦場のメリークリスマス」にはじまり、渡辺貞夫、加藤和彦、ジョン・ゾーン、アート・リンゼイ、マイルス・デイビスなど多数のプロジェクトに参加。87年に川久保玲から「洋服が綺麗に見えるような音楽を」をいう依頼により作曲、制作した『COMME des GARÇON / SEIGEN ONO』ほか、多数のアルバムを発表。ジョン・クリストフ・マイヨーの「モンテカルロバレエ団」ほか、国内外のダンスカンパニーなどにも委嘱作品を提供。
渋谷慶一郎
1973年生まれ。音楽家/「ATAK」主宰。東京芸術大学作曲科卒業。2002年に音楽レーベル「ATAK」を設立し、国内外の先鋭的な電子音響作品CDをリリース。また、デザイン、ネットワークテクノロジー、映像など多様なクリエイターを擁し、精力的な活動を展開する。2009年、初のピアノソロ・アルバム 『ATAK015 for maria』を発表。2010年には『アワーミュージック 相対性理論+渋谷慶一郎』を発表し、TBSドラマ『Spec』の音楽を担当。
―最初の渋谷さんとオノさんの出会いからお聞かせください。
渋谷慶一郎(以下、渋谷:敬称略):すごく古いですよ。僕がまだ芸大の大学生だった頃ですよね。
オノセイゲン(以下、オノ:敬称略):学部の何年生だったかなぁ?
渋谷:えーと、確か3年生だったかな。『Composite』っていう雑誌の編集長だった菅付雅信さんが、エリザベス・ペイトンの『Live Forever』っていうCD-R作品集を出版するときに、ペイトンがモデルにしているカート・コバーンとかベック、パルプ、オアシスといったアーティストの曲を弦楽四重奏にアレンジしてレコーディングする仕事を頼まれたのがきっかけでした。そのマスタリングをセイゲンさんがやることになって、紹介するからということでサイデラ・マスタリングに連れて行かれたのが最初です。
―オノさんはその出会いを覚えていますか。
渋谷:生意気だったから思い出して欲しくないな(笑)。
オノ:覚えてます。渋谷君はいい意味で「遠慮」がまったくなかった。誤解しないで欲しいけど、失礼っていうのはないし、それが結果的に今の「渋谷慶一郎」ブランドを確実に作ってきたのは間違いないかな。
渋谷:それからよく通っていましたよね。当時は時間があったから興味があるところにはすぐ行っていた記憶があります。
オノ:毎週のようにスタジオに遊びに来てた。「近くに寄ったから」とかアポなしで。当時から、うちのスタジオではインターン制度があるけど、なんと渋谷君は後輩たちを連れてきて「ここでインターンをやれ」って。「芸大の作曲科からは10年に一人しかプロになれない、それは俺だから、君たちはここで働きなさい」とか言って説き伏せてた(笑)。
渋谷:半分冗談だけどひどい話で、5年に一人も作曲家になれないのは事実だし、「その一人は僕だから」とか言って(笑)。
―その後、初めて作品を一緒にやられるのはいつになるんでしょうか?
渋谷:マスタリングをやってもらったりしたし、セイゲンさんのバンドに参加したこともありました。
オノ:渋谷君をジャズミュージシャンの中に飛び込ませてみたら、これが意外と良かった。ジャズとは違うけど、なんか良かった。しかもピアノでは面白くないから、ノードリードというアナログシンセだけで、プレゼンテーションのつもりでいいからと言ってね。リハなし、2日間の本番を1枚に編集した『ドラゴンフィッシュ・ライブ/セイゲン・オノ・クインテット』というアルバムになっていますよ。そのときだけのメンバーだけど、良いよねぇ。
渋谷:あのライブはやっていて面白かったですね。あと、あの頃のセイゲンさんのスタジオって一つのコミュニティみたいになっていて、行けば必ず誰かいるし、行けば必ずスタジオの配置が変わってましたよね。
オノ:さすが、いいとこ見てるねぇ。今も機材やセッティングは常に変化し続けている。年内に「AURAL SONIC」っていう画期的な最先端技術の素材で大きな改装を予定していて、スタジオの大きさが6倍くらいの音響空間になる。
渋谷:配置が変わるスタジオって当時はまずなくて、僕は当時アレンジャーとかプロデュースの仕事をしていたから、プロスタジオがガチガチだっていうのを知っていたんですよ。でっかい何千万の機材があって、動かせないアナログの機材が山ほどあって。でもセイゲンさんのスタジオは行く度にフォーメーションが変わっているから音も変わるんですよ。
―面白いですね。
渋谷:確か、YAMAHAのデジタルコンソール「O2R」っていうのが普及し始めて、つまり、すごくドラスティックに録音やマスタリングが変わる時期でもあったんです。僕はそれにすごく興味あって通っていたんですよね。セイゲンさんはすごく変わったやり方をしているなと。そもそも、僕はセイゲンさんとは音楽の趣味はほとんど合わないんだけど(笑)、やり方に関しては共感する部分があるんですよ。非常に効率的というか。
オノ:趣味は合わないね。ぼくはR&Bやブルースが好きだし。 録音技術に関しては、CDがまだなかった1978年、20歳のとき音響ハウスというスタジオに就職したところから始まった。16チャンネルのアナログ・マルチトラックレコーダーの時代で、今思えば、すごくラッキーなことにデジタルレコーディングの歴史をそのまま体験してたんだな。