PROFILE
1953年生まれ、神戸出身の横浜育ち。幼い頃から音楽に触れて育ち、いつからかジャズに傾倒する。大学卒業後には渡米し、「バークリー音楽院」へと入学。クラシックや他ジャンルの音楽に触れ、帰国後は自身のバンドでの活動や、海外アーティストのジャパンツアーへの参加など、多方面でその音楽性を発揮している。
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PROFILE
1988年生まれ、横浜育ち。2009年に自身が発起人となってバンド「ampel」を結成。その後、17年にはTENDREのプロジェクト名を冠し、ソロとしての活動へと移行した。複雑でも多彩な音楽性を感じさせる自由で美しいサウンドを引っ提げ、今夏の「フジロック」をはじめ、各地のフェスやライブでもオーディエンスを沸かせている。
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父と息子、それぞれの音楽体験のはじまり。
ソロプロジェクト、TENDREとして。あるいはバンドのベースボーカルとして。奏でる楽器もギターにキーボード、サキソフォンと、河原太朗さんの音楽のスタイルはとにかく多彩で自由です。ジャズベーシストの父とシンガーの母を持つ彼は、生まれた時から音楽が身近なものだったそう。そうした共通言語を持った河原家でしたが、特にシャイな父の秀夫さんと折り入って話すことは、昔はあまりなかったと太朗さんは言います。
「そういう機会があまりなかったんです。お父さんは自分のやりたいことに真っ直ぐな人で、音楽だとかダンスとか、課外活動に夢中で自由に過ごしてるなと昔から感じていました。だから、あんまり踏み込んで父から自分に話をする機会はそんなになくて。でも、それは別に興味がないってわけではなく、静観しているような感じ」と太朗さんは少年時代を振り返ります。
神奈川県は横浜の外れ、小高い丘の上にあるマンションが彼の生家。玄関を入ってすぐ横の部屋には、年季の入った一台のピアノが。太朗さんが「ピアノの部屋」と呼ぶこの場所はレッスンルームであり、彼の音楽体験の原点でもあります。
今年73歳を迎えた秀夫さんはかつて名門「バークリー音楽院」へ留学し、本場のジャズや音楽の世界に触れています。音楽に傾倒した理由を尋ねると、こんな答えが。
「やっぱり親の影響が大きいと思います。ぼくの母が音楽好きで、ぼくやぼくのお姉さんに小さい頃からピアノを習わせたりしていて。幼稚園か、小学校一年くらいから高校二年くらいまではやってました。母親は岡山のお寺の娘だったんだけど、そのお寺にオルガンが置いてあって、自分もピアノをやりたかったみたいですね」
それを聞いた太朗さんは「その話は知らなかった…」と、ちょっと意外そう。そんな息子を尻目に、秀夫さんは「それは知らないと思うよ。普段は太朗ともこんな話はしないからね」と笑う。
2人が言葉を交わすその側には、旅好きのお母さんが行く先々で買ってきた民芸品や、壁に並んだレコードやCDの数々。とにもかくにも、ここが彼らのルーツであることをひしひしと実感させてくれます。
太朗さんが秀夫さんから受けた影響は、音楽面だけではありませんでした。ジャズマンとしてステージに上がり、人前で演奏することも多かった秀夫さんのクローゼットに、多感な10代になった太朗さんは興味を持ちはじめるように。
「自分が高校ぐらいでファッションに興味を持ちはじめたら、意外と自分の父親ってこういう服を持ってるんだな…とかって知りはじめて(笑)。あ! いい感じのジャケットあるじゃん! …ってこっそりと。高校生になると古着がすごい流行っていて、父親の持っていた服を勝手に古着感覚で着たりして。覚えているかどうかは分からないけど、お父さんに『これ着ていっていい?』とか、『これはどう思う?』みたいなことを聞いた記憶があります」と太朗さん。
そんな約20年ぶりの、親子のファッション談義。そしてはじめて、2人だけで一緒に服を探しに出かけることになりました。