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金子恵治とイタリア。25年の時を経てみる、現地の“いま”。第1回:装う国、イタリア。
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金子恵治とイタリア。25年の時を経てみる、現地の“いま”。
第1回:装う国、イタリア。

ぼくらはイタリアについて、どれほどのことを知っているだろう? 身近なのはファッションや料理だけど、彼の地でどんな文化が育まれ、人々がどんな日常を送り、どんな瞬間に笑顔になるのかは、案外知りません。 そんなイタリアについて、「いま、いちばん気になる国なんです」と話すのは、ファッションディレクターの金子恵治さん。バッグブランド〈フェリージ(Felisi)〉の日本のコンセプターとなった彼に、約25年ぶりに訪れた現地の“いま”をたっぷりと語ってもらいましょう。全5回からなる連載企画。第1回は、かつて通った「ピッティ」の記憶を起点に、いまのイタリアを見つめ直します。

PROFILE

金子恵治

「ÉDIFICE」や「L’ECHOPPE」でのバイヤーを経て、現在は自身が手がける「FOUNDOUR」のディレクションや、外苑前にある「BOUTIQUE」のオーナーとして活躍。加えてファッションディレクターとして多方面で手腕を発揮し、2025年より〈Felisi〉の日本コンセプターも務める。

華やかなムードとは対極のことを考えていた。

金子さんとイタリアのつながりが生まれたのは、約25年前のこと。「エディフィス」でバイヤーを務めていたときに買い付けで訪れたのがはじめてだと話します。いまでこそ世界最大級のメンズファッション見本市として名高い「ピッティ・イマージネ・ウオモ (Pitti Immagine Uomo)」も、現在とは違った景色が広がっていたのだとか。

ー金子さんと「ピッティ」ってあまり接点がないように思っていたのですが、バイヤー時代に行かれていたんですね。

金子:ぼくが行っていたのは2000年前後なんです。当時の「ピッティ」って、クラシコイタリアが全盛で、それに関わるブランドのブースがいっぱいあったんですよ。

ーそこに「エディフィス」のバイヤーとして訪れていたわけですね。

金子:クラシコイタリアのブースをひと通り眺めて、いろいろと勉強していました。一方ではひっそりとデザイナーズ・コーナーみたいなのもあって、ぼくの目当ては実はそこだったりするんです。現地でしか見ることができないカジュアルなブランドがたくさんあって、いつもそこを目掛けてましたね。

ーイタリアのものづくりに対しては、どんな印象をお持ちでしたか?

金子:ものづくりが圧倒的に繊細できれいなんですよ、イタリアって。カジュアルといえども品があるというか。その中で、ぼくはワークやトラッドっぽいものを探していました。とにかくブースの数が半端ないので、誰も知らないブランドを探すのが楽しかった。工場のブースもたくさんあるので、別注の商談もしやすかったですね。そうやってできあがったものを、とあるブランドが製品化したりして。そう考えると、むかしからぼくのやってることって変わらないですね(笑)。

ー「ピッティ」っていまでこそ華やかなイメージですが、そうしたムードは当時からあったんですか?

金子:いまのお祭りみたいな雰囲気は全然なかったですね。華やかではあるけど、もっと落ち着いてました。ぼくは2002年くらいまで行っていたんですが、ドレスが中心なので、カジュアルのバイヤーもそんなに多くなかったんです。

ーいつ頃からあのお祭りのような雰囲気になっていったんですかね。

金子:ぼくが「エディフィス」を離れて、行かなくなってからですね。きっと徐々にカジュアルブランドも増えて、それと同時にカジュアルのバイヤーも増加していったんだと思います。

ーそこからスナップ合戦になり、装飾性の高いファッションが目立つようになっていきましたね。

金子:ぼく自身はやっぱり“アンファッション”をスタイルの基本としているので、そうした華やかなムードとは対極のことを当時から考えていました。だから自分ごととして捉えることができなかったですね。

ー「レショップ」時代もイタリアには行かなかったんですか?

金子:「ピッティ」って開催の時期が早いから、本気で行こうとしないとタイミングが合わないというのもあって、行き先の候補には入っていたんですけど、他の国でスケジュールを詰めすぎて結局行かないままだったんですよ。

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