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Le Ballon PATRICK 2018 Tokyoが閉幕。パトリックがフットボールを通してやりたいこととは。

PATRICK REBORN PROJECT.

Le Ballon PATRICK 2018 Tokyoが閉幕。パトリックがフットボールを通してやりたいこととは。

エスプリの効いた上品な色使いや重んじたクラフトマンシップが、ファンの心を掴んで離さないフランスのスニーカーブランド〈パトリック(PATRICK)〉。2016年に新プロジェクト「PATRICK REBORN PROJECT」がスタートしました。その取り組みの一環として復刻されたのが、80年代に製作されていたフットボールシューズ。フランスのインディペンデントリーグ「ルバロン(Le Ballon)」とタッグを組み、なぜいまフットボールに焦点を当てるのか。〈パトリック〉がフットボールを通してやりたいこととは?

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パトリックを語る上で欠かせない、フットボールの存在。

キャプション 1975年の広告写真

1982年の広告写真

1892年、フランス西部のプソージュ村にて靴職人のパトリック・ベネトー氏とその息子たちがスタートさせたブランド〈パトリック〉。フレンチテイストのスニーカーという強いイメージがある一方で、日本国内では上陸して40年以上経ついま、高い技術力が生み出すジャパンメイドの高品質スニーカーとしても広く認知されています。

エスプリの効いた上品な佇まいはどこからくるのか。〈パトリック〉のこれまでの歩みを振り返る上で欠かせないのが “フットボール”というスポーツの存在です。

1985年広告写真

ブランドが設立された同時期に、フランス国内でも徐々にフットボールへの関心が高まってきたこともあり、いち早くフットボールシューズの発売に着手していた〈パトリック〉。1972年にはブランドの象徴である2本ラインのモチーフが誕生し、パリジャンのライフスタイルを彩るとともに、フットボールの側面からも洒落者たちを唸らせるプロダクトを制作していきます。

80年代にはミシェル・プラティニをはじめ、ジャン=ピエール・パパンらフットボール好きなら誰でも知っているスター選手たちがシューズを愛用したことで〈パトリック〉の市場価値はますます高騰していきました。

1988年の広告写真

1989年の広告写真

1995年の広告写真

世界中に名前が知れ渡った20世紀を超え、ここ日本の現在のスニーカーシーンにおいてもトレンドのそれとはまた違う独自のポジションを確立した〈パトリック〉。現状に満足することなく2年前から新たに「PATRICK REBORN PROJECT」を始動させました。

「PATRICK REBORN PROJECT」とは、フランスの地で再びシューズを製造することで、ブランドの原点を見つめなおすというもの。プロジェクトの第一弾として80年代にリリースされた高機能フットボールトレーニングシューズであるリバプールトレーナーが制作され、かつてフットボールシューズを製造していた工場で、オリジナルのクオリティと遜色のないものをつくることに情熱が注がれました。

歴史の中にある綺羅星のようなピースを拾い集め、過去と現在、そして未来を繋ぎ合わせる〈パトリック〉にとって重要な取り組みで、単に復刻品をつくるものでなく、「最高品質のフットウェアでスポーツをしてほしい」というブランド創業者たちの想いを掬い上げるようなプロジェクトこそが「PATRICK REBORN PROJECT」というわけです。

Le Ballon

プロジェクトの一環として、〈パトリック〉が手を組んだのがパリのインディペンデントリーグ「ル バロン(Le Ballon)」。リーグ運営に留まらず、2016年のEUROフランス大会に合わせフットボール関連アイテムの販売や、アート作品を展示した「Le Ballon POP UP SHOP」をマレ地区にオープンさせるなど、多岐にわたる活動がめざましいクリエイティブ集団です。

シューズやボールをはじめ、パーカやコーチジャケット、ロンTなどもコラボレーションアイテムも発売されたこのコラボレーション。そして、この協業のメインともいえるのが東京で開催されたワンデーフットボールイベント「Le Ballon PATRICK Tokyo」。2回目の開催となった今年度の模様を次のページからお届けします。

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