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三原康裕と相澤陽介によるファッションデザイナー論。

三原康裕と相澤陽介によるファッションデザイナー論。

三原康裕と相澤陽介。ともに長年にわたって海外でファッションショーを開催しているブランドのデザイナーであり、国内のみならずグローバルなフィールドで活躍している俊英です。遡れば二人は多摩美術大学という同じ学び舎で学生時代を過ごした先輩・後輩という関係でもあります。今回、フイナムでは本邦初となる対談企画を実施。ロジカルでありながら、パッションをも持ち合わせている二人には驚くほどの共通項がありました。

  • Photo_Ko Tsuchiya
  • Edit_Ryo Komuta

ー 三原さんは相澤さんのことをどんな風に見ているんですか?

三原:相澤くんはやることが決まっているんですよね。彼は西洋の文化を壊して自己表現をしているわけじゃないんです。

ー というと?

三原:僕の先輩方っていうのは、ヨーロッパの文化を壊すことで、東洋人のアイデンティティを表現したというところがあると思うんです。オートクチュールからプレタポルテ、モードの時代になって、その次にはアンチモードになって、ではその次の時代のデザイナーはなんだ?となったときに、相澤くんがやっていることというのは、プロダクトとしての表現が前に出てきたものだったんですよね。

ー なるほど。

三原:デザインからくるファッションではなく、洋服から始まっている表現。機能性とかも含めて。その点において最初から独自性があったなと思います。なので最初に見たときはちょっとした違和感があったんです。モードではないところから発信しているブランドって、これまでにもあったんですけど、それともちょっと違ってたし。プロダクト的に重きを置いているところもあれば、デザイナーのエゴもある。そのバランスがこの先どうなるのかなって、興味深く見ていました。

ー 逆に相澤さんから見た三原さんはいかがでしょう?

相澤:三原さんってすごく博識なんです。ファッションやアートなど芸術全般に関してそんな感じです。ただ、酔っ払うと何を言っているかわからなくなるんですが。

ー (笑)。

相澤:で、自分もそういう文脈をそれなりに見てきてはいるんですが、三原さんはそういったことをすごく正しく論づるんです。教授並ですよ。ただ三原さんって自分のクリエイティブな部分と、ファッションやアートの知識とを完全に切り離しているんです。今の自分がこうだからっていうところで、情報発信をする方だなって思っています。そこは自分とも近いかなと思います。僕も美大生だったしいろんなことを学んできたけど、デザインとかクリエイションをするなかで、アートとかそういうことを一言も語りたくないんです。

三原:そうだね。

相澤:でもそうではないブランドもありますよね。ものづくりに対して防御をする意味合いで、“アーティスティック”とか“クリエイション”っていう言葉を使う感じというか。

三原:クリエイションっていう言葉を誤解しているよね。

相澤:誰かが言ったであろうアーティスティックなことを、自分で先に語ってしまうというのが、実は一番楽なことだと思っているんです。なのでモノが後で、コトが先にあるっていう状態にすごく違和感を感じます。モノはモノでいいじゃんっていうのは僕も三原さんも一緒で、あらゆる文脈を無視しているというところが共感できるんです。

三原:相澤くんの作るものを見ていて一番共感できるのはそこだね。モノはモノだっていうところ。それはすごく大事なこと。僕らってデザイン科にいたけど、デザインって何?っていうところから本当は勉強しなくちゃいけないと思うんです。デザインを辞書で意味を調べると“設計”っていうことだし、今でいうと問題解決の方法論みたいな意味合いもあるよね。けど、僕たちにとってのアートってなんだ? デザインとはなにか?っていう尺度って、本来自分で決めなくちゃいけないんだよね。

ー 〈ダブレット〉の井野さんとの対談でもその話をしてました。

www.houyhnhnm.jp/feature/185448

三原:そう。そのときにも話したけど、見てくれはよくても、食べたら美味しくないケーキってダメだと思うんです。昔はまずいケーキがたくさんあったけど、今は美味しいケーキがたくさんある。なぜかっていうとスポンジとかクリームみたいな原材料をすごく研究したからなんです。今は見てくれは面白いけど、プロダクトとして全然ダメなものが多いなってすごく思う。だから色々なことに対してつい否定的になってしまうんですが。というか、そもそも壊すなって思うんです。

ー というと?

三原:つまりアバンギャルドとかイノベイティブなことをやりたいんだったら、まず基本的なことをきっちり勉強するべきなんです。中村勘三郎さんの話じゃないけど、型破りっていうのは型があって初めてそれを破れるわけじゃないですか。みんな壊すことばっかり先に覚えちゃって、物作りに対しての蓄積とか、努力、労力が足りないと思う。

ー なるほど。

三原:やるべきことがあったうえで何かを表現としてやるならいいんだけど、最初からそっちばっかり追いかけても、いざきちんとしたものを作ってくださいって言われてもできないと思うんです。~風なことはできると思いますよ、今は色々な情報が溢れているので。

相澤:前にこういう話しましたよね。

三原:したね。メッセンジャーかなにかで。とにかく今はものづくりの時代から付加価値の時代になったって言われているけど、やっぱりモノそのものをないがしろにすることは僕は認められないな。誰々が着てるからとか、そういうことだけで有名になるひととかいるけどさ。。うーん、どうしても辛口なことを言っちゃうね、僕は。

相澤:三原さんはそれがいいんですよ。まぁ僕が思うに、クリエイティブのスパンを長く取りたいひとっていうのがいるんです。一個の事象を長く引っ張ることで、自分の可能性をそこで確認したいんですよね。けど、僕とか三原さんがやっていることってそれとは全く違うことなんです。

ー 具体的にいうとどういうことでしょう?

相澤:例えば三原さんは過去に〈プーマ〉と、僕は〈アディダス〉とコラボレーションをやっています。さらに三原さんは〈クレストブリッジ〉、僕は〈ハンティングワールド〉のクリエイティブディレクターもやっている。これらの仕事というのはひとつの事象を長く引っ張れないんです。

ー つまり物事を考えられるスパンが短い。

相澤:そう。時間はないんだけどそのスパンに対して、ファッションデザインというものを当てはめなければいけないんです。だから僕はヴァージル・アブローとかジョナサン・アンダーソンなんかは単純にすごいなと思ったりします。デザイナーとして好きとか主観的な意味ではなく。彼らは〈ルイ・ヴィトン〉や〈ロエベ〉っていう、誰も語れないような大きいフィールドで仕事をしていて、来年自分の契約がなくなるかもしれないという環境のなかで、ファッションデザインをしている。だから半年間のコレクションのなかに情報量をたくさん詰め込もうっていう意識があると思います。それが僕のなかではファッションデザイナーの正しくあるべき形と思ってるんです。

ー 物事を大局的に、そして俯瞰で捉えられるひとじゃないと務まりませんね。

相澤:あと、僕としては、簡単にクリエイティビティを語ってしまうことや、職人的と言ってしまうことにも苦手意識があります。あくまでファッションのサイクルを認めたうえで語られる言語とは異なるサイクルでの話であればいいのですが、そのなかでデザイナーが語ってしまうと、自分たちが今いるフィールドのサイクルへの否定になると思っているので。

ー そうですね。

相澤:そういった場合には、そのビジネスサイクルから作っていかないと意味がないわけで、既存のファッションサイクル、ビジネスのなかでそれを言ってしまうのは自己防衛に思えてしまうんです。ある意味、ビジネスをやっているという感覚が重要なのかもしれないですね。僕は、たまに「ビジネスマンみたいだよね。」って言われたりしまますが、悪いとは思っていないです。

ー そんな風に言われるんですね。

相澤:めちゃくちゃ言われますよ。

三原:僕も言われるよ。けど、どこかの仕事を受けた以上は、やっぱり達成しなければいけない売り上げもあるしね。売り上げ規模も自分のブランドとは全然違うし、その数字をとるためには、色々なことを決断しなくてはいけないわけです。

ー それはそうですよね。客層も違うでしょうし。

三原:そう。僕のブランドの何十倍もの規模感だったりするわけで、売る絶対数も層も違う。単純にオシャレにすればいいわけでもないし、そこにあるニーズに合わせなければいけない。どうやったら新しいお客さんを呼び込めるかっていうことを、全部計画的にやらなきゃいけないし、波があってはいけないんです。会議で昨対(昨年対比)5%落ちましたって言われて、それほどでもないかなって思うかもしれないけど、元々の数字が大きいから売り上げで考えると数億円落ちてるんですよね。

相澤:ありますよね、それ。ほんの数%でもとんでもない数字なんですよね(笑)。

三原:スニーカーに当てはめると「何万足売りましょう」っていう世界なんだよね。自分のブランドでは1万足だってすごい数字だなって思うんだけど、〈プーマ〉とやってたときは桁が違ったよね。けど、今はスニーカーは戦争だよね。

相澤:たしかに。

三原:大戦争だよ。僕は〈プーマ〉とのコラボは2015年まで。それは自分で幕を引いたんだけど、その頃でさえもちょっとその傾向はあった。僕が〈プーマ〉を始めた1999年はまだコラボとかもそんなになくて穏やかな感じだったけど、そこからどんどん激化していったよね。

ー そうですね。

三原:今なんて、一週間に何足コラボスニーカーが出るの?っていう。日本にいてボーっとしてたらわからないんだけど、世界に目を向けるとすごい戦争が起きてるんです。そういうスニーカーウォーのなかで戦うのって大変なことなんだよね。だから相澤くんはすごいなって思う。

相澤:スニーカーって普段自分が履くという観点だけで作ると売りにくいんです。自分が履こうと思って作ると、デザインを削ぎ落とすわけですよね。そうするとほかに埋もれてしまうんです。もう、自分が好きだっていうだけでは、成立しないんです。今のスニーカーを作るという意識がないと商品として難しいという感覚ですね。

三原:そういえば〈ホワイトマウンテニアリング〉のスニーカーですごく好きなのあったよ。ソールに文字がバーって入ってるやつ。あれはカッコよかった。

相澤:ありがとうございます。

ー スニーカーだけではないですが、最近は転売も本当に盛んですよね。

相澤:はい。今、ニューヨークとかにはセカンドハンドのスニーカー屋さんがめちゃくちゃ多いんですけど、そこで僕が作ったスニーカーとかも3倍くらいの価格になって販売されていました。

ー そんなに!

相澤:そういうのが壁に山のようにあるわけです。そういうプレミアスニーカーのなかに陳列されているのがすごく面白いんですよね。で、それだけたくさん並んでいるもののなかでも、自分が作ったものは一瞬でわかるんです。なぜかというと、それはデザイン上でのインパクトを重視しているから。

ー そうやって他のスニーカーと並べられたときに、見えてくるものがありそうですね。

相澤:そうですね。足し算ができるひとって、引き算もできると思うんです。今って学校の教育もそうだし、いろんなブランドを見ててもそうだけど、引きの美学とか言うわけですよ。けど、足したことのないやつに引くことはできないわけだから。引くっていうことがどういうことなのかを実直に考えた方が、プロダクトとして成立するんですよね。

三原:今すごくいいこと言ってるね。どこでねじれてしまったかはわからないけど、引き算の理論っていうのはバウハウスの時代から言われていたことではあるよね。(ジャン・)プルーヴェの言葉にもあるし。足し算の「アール・ヌーヴォー」があって、そのあとシンプルな「アール・デコ」になっていった。そういう足し算から引き算へと変わっていったという系譜があるなかで、それを一人のクリエイターの人生に置き換えたときに、必ず足し算の時代も引き算の時代も来るんだよね。世の中の動きとどうリンクするかということにも関係してくるし。ただ相澤くんの言う通り、足し算ができないひとは、引き算も下手くそだよね。引き算しかできないひとたちの言葉って決まってて「ひとが求めているものを作ってるんだ」って言うの。でも引き算したものって世の中にたくさんあるから、それでいいんじゃないって?

ー 確かに。

三原:求められているものというか、マーケットに合わせた商材を作るデザイナーはこれまでにたくさん見てきたけど、ひとを魅了するためには引き算だけでは難しいんだよね。魅了させることができれば、そこにマーケットが生まれるわけで。イノベーターというのはデザインだけではなくて、マーケットを作る力を持ってないとダメだなって思う。

INFORMATION

MIHARAYASUHIRO

www.miharayasuhiro.jp

White Mountaineering

www.whitemountaineering.com

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