経験だけは嘘ではないはずだから。
ー “違和感”って、すごく大事ですよね。
金子:すごく足し算してるように見えるかもしれないけど、実は引き算してると言うか。最終的にこの原型(452U)と変わらないテンションのものができたのかなと思っています。残っていくものができたんじゃないかなって。もしかすると、その思いが強かったから、初期の別注ものもずっと売れ続けてるんじゃないかと思います。レショップを始めて4年半になるんですが、あまり「古いね」とは言われずにここまで来てたりするので、僕の最初の思惑がハマったのかなとは思っています。今っぽいものでありつつ、10年後も恥ずかしくないものを、っていうのは僕の心のテーマとしてずっとあったので。
ー そうやってご自身の企画が世に出る前、アイデアを練ってる段階で確信は持てたりするものですか?
金子:御察しの通り、やっぱり勘違いするタイプなので(笑)、確信はすごくありました。それでうまくいってる部分もある気がします。スポーツ選手で言えば、そこまで上手くないのになんとなく勘違いでプロになれちゃったみたいな。 ただ、18歳から洋服屋にいて、もうそこから20年以上が経ちましたけど、その経験だけは嘘ではないはずだから。
ー ちなみに「レショップ」を立ち上げるまではどんな事をされてたんですか?
金子:まず、さっきお話しした量販店で4年間働きました。親父に「何でもいいから4年間は続けろ」って言われてたので。それで辞めて、ベイクルーズに入りました。22歳の終わりくらいのときですね。そこでなぜか、「スピックアンドスパン」というレディースの店に配属されました(笑)。「エディフィス」の求人を見て面接行ったのに……。 そこから2年間、慣れない女性への販売をするという大変な期間でした。それでようやく「エディフィス」に移動になってからは、割とすぐにバイヤーになりました。
ー 早速意外な経歴ですね。ウィメンズの経験は今、役に立ってますか?
金子:そう思ってます。なんていうか、仕事に対する姿勢をめちゃめちゃ教わりました。女性ってすごいんですよ、仕事への熱意とか厳しさが。なぜか特別すごい人しかいなかった精鋭揃いの店に入っちゃって……。それに、2年間女性に向けて販売してたから、なんとなく女性の購買に対するモチベーションというのもわかったんです。その後6年ぐらいエディフィスにいて、最後はベイクルーズが当時やっていた、マテリオっていうお店でバイヤーをやりました。
ー バイヤー時代は順調だったんですか?
金子:厳しい先輩もいたりとかして、最初の2年は地獄でしたね(笑)。それでも、当時のエディフィスは主に2人でバイイングしてたんですけど、幸い店頭のスタッフは僕の買い付けるものを気に入ってくれることが多くて。他のバイヤーとはちょっと違って、売るには難しい商品も買い付けてたけど、そういう味方たちに支えてもらってなんとかやってましたね。売り上げ的には大した戦力にはなってなかったと思うんですけど(笑)、最後まで変わらずバイイングを担当してました。 そのときは今のレショップのスタッフみたいに、服が大好きなヤツが多い時代だったんで、 僕の話とかも響いてたみたいで。いい時代だったと思います。企画が小森(現〈コモリ〉のデザイナー、小森啓二郎さん)だったりして、僕は僕で買い付けにフランスにばっかり行ってたりした時期があったり。それで、僕なりのフレンチ論とかを話すと店頭のスタッフたちは面白がってくれたりとか。