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インディペンデントという強さ。本間貴裕(Backpackers’ Japan)
〜PACK FOR LIFE〜 OUTDOOR PRODUCTS

インディペンデントという強さ。
本間貴裕(Backpackers’ Japan)

東京・蔵前「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE.」や京都「Len」など、それまでのゲストハウスのイメージを覆すクリーンでモダンな宿泊施設を次々とオープンしてきたBackpackers’ Japan。代表の本間貴裕さんは、これまでにも数多のメディアから取材依頼があったものの多くを語らず、開業から約10年となったここ最近になってようやくそれまでのストーリーや想いを語られるようになりました。ゲストハウスカルチャーをそれまでとは違うフェーズに押し上げてきた本間さんに、〈アウトドアプロダクツ〉が掲げる”生活(人生)のためのバッグを”そして“生活(人生)のために荷造りしなさい”という「PACK FOR LIFE」をテーマに、人生のターニグポイントと一気通貫する軸を振り返ってもらいます。

  • Photo_Shinji Serizawa
  • Text_Yuichiro Tsuji
  • Edit_Shinri Kobayashi

母親との電話での会話で起業する決意を固めた。

ー 教師になりたいという気持ちは、旅の途中ではまだあったんですか?

本間:まだありました。旅から帰ってきて教育実習もいきましたし。でも徐々にオーストラリアの日々を思い返すなかで、このまま先生になるのはちょっとちがうのかなと思うようになったんです。もっと正確に言えば、楽しいと思えなかった。

ー そもそも、教師になりたいというよりも、テニスがやりたいというのが目的でしたもんね。

本間:そうなんですよ。「教育とは」みたいな信念があったわけではないので。それで、自分が見てきたもの、経験したことを発信したいというエネルギーが高まって、学生団体をふたつ立ち上げたんです。

ー どんな学生団体なんですか?

本間:ひとつはすごいふざけてるんですけど、みんなで鬼ごっこをする団体。市役所や警察署、それに地元企業に掛け合って、駅前を封鎖して200人規模くらいで賞品をかけた鬼ごっこをしたり、大学のレクリエーションで鬼ごっこをやったりしてました。

もうひとつは、情報発信をする団体ですね。インドの児童労働の子たちを招待して講演会をやったりとか、国境なき医師団の人たちをつれて講演をしたりとか。

人となにか一緒にやるとか、なにかを発信するっていうのがすごくおもしろいなとそのとき思いました。その延長線上に起業があったんです。

ー どこかの企業へ就職しようという気持ちはなかったんですか?

本間:一応就活はしました。起業するということに対して、まだ勇気がなかったんです。1社内定をいただいていたんですが、そのまま就職するか、それとも起業するか、3ヶ月くらい迷いました。でも、最後にうちの母親と電話で話して、「なにをやろうと応援しているから、好きにしなさい」って言われたのがきっかけで起業する決意を固めました。

それぞれのアイデアによっていろんな広がりが見えてくる。

ー 旅に関わる事業がしたいというのははじめから考えていたんですか?

本間:そうですね。それは明確でした。旅が楽しくて、そのときとおなじようにいろんな人たちと出会い続けたいと思ったんです。それと社会と繋がっていたいという気持ちもありました。はじめは旅行会社をつくるのもいいかなと思ったんです。でも、そうなると「旅っていいよね」ってみんなに言わないといけない。それがあんまり好きじゃなかったんです。行きたい人が行けばいいもんじゃないですか、旅って。だから、旅に行きたい人が旅に行ける環境を整えようと思って宿をやることにしたんです。

ー それで「株式会社Backpackers’ Japan」を設立されたわけですね。本間さんに加えて3名の方々と一緒に起業されたんですよね?

本間:そうですね。大学の友人ふたりと、オーストラリアで出会った友人がひとり。みんなを口説きました。

ー 自分ひとりでやることは考えなかったんですか?

本間:考えてなかったです。それは一度もよぎりませんでした。学生でチームとしてやってたのが楽しかったというのと、ぼくはオールラウンダーではないというのがわかっていたので。

それまではひとりが好きだったんですけど、学生団体でわかったことは大きいですね。チームって楽しいじゃんって。ぼくは人に合わせるのが苦手なんですけど、代表になれば意思決定していける。その中でみんなが伸びていくし、それぞれのアイデアによっていろんな広がりが見えてきます。そうすることで自分自身もちがった伸びかたをしていくので、それがおもしろかったんです。

ー 起業するための資金はご自分たちで稼いだと聞きました。

本間:そうですね、4人で季節労働をしようって話してて。静岡ではお茶工場、北海道で鮭とって、沖縄では砂糖。そうすると1年働けて、ひとり200万くらい貯められるという話を聞いたことがあったんです。がんばれば4人で1000万いけそうだなという話になったんですが、当時はリーマンショックだのなんだので経済状況がすごい悪い時期で、受け入れ先の工場とかも決まってたんですけどダメになっちゃったんです。それでどうしようかっていうときに、ひとりのメンバーの実家で営んでいる白いたい焼き屋がすごい当たってるっていう話になって。「お前らもやるか?」ということで、いきなりたい焼き屋さんをやることになるんです(笑)。

ー それを4人で回してたんですか?

本間:1年限定で、ひとり1店舗受け持ちました。結果的にそれがすごくビジネスの勉強になりましたね。店舗の物件を探して見つけたりとか、アルバイトを雇用したりとか。すごく小さな規模感でしたけど、お店を持ってそれを展開するということがどういうことなのかを学ぶことができました。

ー それで2010年に「ゲストハウスtoco.」をオープンさせたわけですね。その当時、国内ではまだゲストハウスというものがなじみないものだったと思うんですが、本間さんが目指していたものや教科書になるようなものはあったんですか?

本間:ぼくらは“先駆者”って言われることがたまにあるんですけど、ぼくらからすればもっと先にゲストハウスやユースホテルを経営している人たちが日本には多くいるんです。そういう方々にいろんなことを教えてもらいました。たい焼き屋さんで1000万を貯めて、その半分をぼくらは市場調査に使ったんです。4人のメンバーのうち2人は世界一周して、ぼくともうひとりは日本を1周して、4人で合計150箇所くらい泊まり歩きました。そこでいろんな話を聞きながら、アイデアをまとめていったんです。

ー 宿としての機能に加えて、バースペースを設けているというのが「toco.」のひとつの特徴です。それも当初のアイデアとしてあったんですか?

本間:いえ、当初は宿だけに絞るつもりでした。宿泊業だけでもやるのが大変なのに、飲食も加えてやったらさらに大変じゃないですか。ホテルって集客のためにウェブの技術も必要ですし、全部一気にはできないなと思ってたんです。でも、一緒に「toco.」をつくってくれた大工さんが「バーをやれ」ってしつこく言うもんだから、押し切られて。だからぼくのアイデアでもなんでもないんです(笑)。

ー むしろ反対していたんですね(笑)。

本間:そうなんです。でも結果的にこれがぼくらのアイデンティティになってます。その大工さんにはすごくお世話になったんです。

この「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」もそこにあるデッカい木がオブジェになってますけど、それもぼくは反対してたんです。でも「ダメだったら取るから、とりあえず一回建てる」って大工さんに言われて(笑)。

ー 10年やられて、従業員も100人を超えてきました。4人で始めた時と背負っている“荷物”の規模が違いますが、どうですか?

本間:意識としては、そんなに変わってないと思います。もちろんCEOとして数字はちゃんと見ますが、従業員の人生まで背負うのは違うというか、できないと思っています。だから、彼ら彼女たちには、自分で考えて、実行して生きていける力を養ってほしいです。

INFORMATION

アウトドアプロダクツ
カスタマーセンター

電話:06-6948-0152
www.outdoorproducts.jp

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