PROFILE
日本初プロゲーマー。15歳で日本、17歳で世界のチャンピオンとなる。2010年4月、米国企業とプロ契約を締結、日本初のプロゲーマーとなる。同8月「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネスブックに認定され、その後さらに2つの認定を受ける。『Evolution Championship Series』(通称 EVO — 世界最大の格闘ゲーム大会)で数々の大会歴代記録を更新し、誰もが認める「世界最強にして最高」のゲーマーとして注目を集め、2016年にはESPN.comより「格闘ゲーム界のマイケル・ジョーダン」と称される。2019年4月には『Newsweek Japan』誌により「世界が尊敬する日本人100人」選出。著書や講演も多数。現在、レッドブル、Twitch(アマゾン社の配信プラットフォーム)、HyperX(ハイパーエックス)、Cygamesのグローバル企業4社のスポンサード・アスリートとして世界の第一線で活躍する。
1年363日、ゲームセンターに通い続けた。
ー 梅原さんは1998年、17歳のときに格闘ゲームの世界一になり、その後、20代のときにいったんゲームから離れますが、その後復帰され2010年に日本人初のプロゲーマーとなり、現在まで第一線で活躍されています。なぜゲームという、一つのことを続けてこられたのかを中心にお話をうかがいたいです。
梅原:きっかけからお話しすると、5歳ぐらいのときにファミコンを買ってもらって、それからしばらくは普通のゲーム好きの子供だったんですけど、11歳のときにゲームセンターで初めて「ストリートファイターII」を見たときにすごい衝撃を受けたんですよね。今と違って、当時は家庭用ゲームよりもアーケードゲームのほうが、サウンドにしてもグラフィックにしてもはるかにスペックが高かったし、有料とはいえこんなに面白そうなゲームができるんだなと。それまではお小遣いをファミコンのソフトを買うために貯めたりしてたんですけど、以来、そのお金をゲーセンに注ぎ込むように。
ー お小遣いをゲームセンターに全振りするというのもなかなか極端ですよね。
梅原:もともと「やるならとことんやる、やらないならまったくやらない」という性格でして。その甲斐あって、14歳の頃には負ける相手はいなかった。15歳で公式の全国大会に出て優勝して、17歳で2回目の全国大会で優勝したときに世界大会に出る権利を得て、その世界大会でも優勝したんです。
ー 大会で優勝するようになってからご両親の見方は変わったりは?
梅原:いや、全然変わらないです(笑)。むしろ、全国大会だったか世界大会だったか覚えていないんですけど、そこで優勝したときに親から「これでやめられるね」と言われました。要は、どうせやめるんだったら何かしらの成果を残してからやめたいんだろうなと思っていたみたいで。
ー でも、梅原さんはそうではなかった?
梅原:いや、正直、17歳のときに「やめようかな」という気持ちにはなりました。昔、高橋名人(ファミコン全盛期に活躍したファミコン名人 ※編集部注)という方がいらしたじゃないですか。たしか僕が5、6歳のときによくテレビに出られていたんですけど、それから10年経ってもゲームで生計を立てられる人は現れなかったし、そもそも高橋名人は当時ハドソンの社員だったので、別にゲームで食べていたわけではないんですよね。つまり、ゲームを仕事にするなんて絶対に無理だし、いつかはやめなきゃいけないということはわかっていたので、世界大会で優勝したときに「“世界一”以上の肩書はないし、いい区切りかな」と。まあ、結局続けちゃったんですけど。
ー なぜ続けちゃったんでしょう?
梅原:当時は「ゲームがやりたい」というよりはゲームセンターというコミュニティから離れられないという気持ちのほうが大きかったように思いますね。僕は周りに合わせるのがすごく苦手で、学校にもあまり馴染めなかったんですよ。そんな自分にとって、共通の趣味を持った人が集まって、でも変に馴れ合うわけでもないゲーセンという場所がめちゃくちゃ居心地がよかったんですよね。だから、この環境から離れていわゆる社会に戻っていくのは本当にキツいなと当時は思っていました。
ー しかし、結果的には離れる決断をされました。
梅原:高校を卒業してからフリーターをやっていて、22歳のときにバイトしてた飲食店で同い年の人が3人いたんです。彼らとはウマが合って僕も楽しく働いていたんですけど、みんな大学4年生だったので2月か3月にはバイトを辞めていく。その時に「俺はこの人たちとは違うんだ」と。いい加減、自分の将来と向き合わないとヤバいんじゃないかという不安に抗えなくなったんです。
ー それは、たしかにもっともな理由ですよね。
梅原:むしろよく22歳まで抗い続けたなと(笑)。14歳ぐらいから22歳までの約8年間、僕は1年に363日ゲーセンに通っていたんです。大晦日と元日以外は、台風が来ようが大雪が降ろうが毎日行ってたので、もういいかなって。やっぱりそこまでゲームをやる人が僕以外に誰もいなかったので、一人相撲のようにも思えてしまったというか。当たり前なんですけど、ああ、人生をかけるようなものじゃないのかって気づいたんです。