PROFILE
「レショップ」コンセプター。セレクトショップ「エディフィス」にてバイヤーを務めた後に独立。自身の活動を経て、2015年に「レショップ」を立ち上げる。2020年7月「レショップ渋谷店」をオープン。
PROFILE
国内外のファッションブランドやスポーツブランドのPR、ブランディングを行う「ムロフィス」ディレクター。ブランドやセレクトショップのディレクションやプロデュースも手がける。
中室:さて金子さん、今日はよろしくお願いします。
金子:はい、お願いします。
中室:改めて簡単に流れを説明すると、7年前に連載していた「服の求道者たち ~「É」の系譜~」という企画があります。それはフイナムさんが面白いなと思うクリエイターがみんな「エディフィス」の出身だということで、同じく「エディフィス」出身の僕がインタビュアーを務めるという企画でした。これまでに出てもらった方が三人いるんですけど、尾崎雄飛さん、小森啓二郎さん、板井秀司さん、彼らがみんなそれぞれ頭角を現してきた頃だったんです。
金子:なるほど。
中室:で、ここへきて真打ち登場というか、当時の「エディフィス」を一番体現していただろう金子さんに出ていただくことになりました。改めて、当時のことをいろいろ根掘り葉掘り聞いちゃおうかなと思っています。やっぱり今の金子さんを作っているのは、過去からの積み重ねだと思うので。
金子:はい(笑)。

中室:ではいきなり聞いちゃいますけど、金子さんって「エディフィス」に入る前は何をしてたんですか?
金子:高校を卒業するときに、当然進路を考えるわけなんだけど、趣味が洋服しかなかったので、大学に行くつもりはなくて。だから選択肢は働くしかなくて、学校に来ている求人でどこか洋服屋ないかなと思って、某大手量販店に入りました。
中室:「ベイクルーズ(エディフィスの運営母体会社)」ではないんですね。
金子:違います。で、当時と今の自分のファッション感覚って実はそんなに変わってないんだけど、就職したところは量販店なので、2日目ぐらいでもう馴染めなくて。
中室:早くないですか?(笑)
金子:そう、早いの(笑)。とにかく就職しなきゃということで入った会社だったので。。けど「4年くらいはやろうよ」と父親と話をしていたので、本当に4年くらいは勤めました。
中室:じゃぁ辛抱したんですね。
金子:そう。で、4年経って22歳のときに退職させていただきました。当時、僕は古着屋さんとか、モッズのカルチャーが好きだったので、カルチャーに寄ったお店か、古着屋さん以外はあんまり興味がなくて。あと、セレクトショップっていうのがよくわかってなかったんだよね。だから「ビームス」とか「シップス」とかも知らなくて。
中室:金子さん、今46歳ですよね。ということは、今から24年くらい前の話、1996年くらいか。。でも、そのときはすでにセレクトショップは台頭してましたよね。
金子:時代的にはそうなんだけど、台頭してることすら知らなくて(笑)。でもとにかく就職しなきゃいけないので、色々探してて、そのときにたまたま渋谷の明治通りを歩いていて見つけたのが「エディフィス 渋谷」だったんだよね。なんか面白そうなお店だなと思って入ったら、求人をしていて。
中室:へー、そうなんですね。でもたしかに昔はお店に求人を出してましたよね。
金子:そう。当時のお店は今とはまたちょっと違うんだけど。お店も一階しかなかったし、ヨーロピアンな感じだったね。自分はそのときフランスのことはなにもわかってなかったんだけど、フィーリング的になんかかっこいいお店だなと思って。けど、実はもうその求人は終わってて。
中室:あら(笑)。
金子:そう(笑)。だけど、そのときに「レディースはいかがですか?」って言われたのね。それが二子玉川の高島屋にある「スピック&スパン」。量販店時代にちょっとレディースも販売したことがあったので、やってみますということで、最初はそこに入りました。
中室:えー、知らなかったです。僕、19歳のときに「エディフィス」に入ったんですけど、金子さんはもうバイヤーとして君臨されていたので、この辺の話を聞くのは実は初めてですね。付き合いは長いですけど。

金子:そうかもね。結構、知る人ぞ知ることかもしれない。けど、勤務先が百貨店なのであんまり自由な格好はできなくて。シャツにスラックスというか。しかも髪型は坊主だし。
中室:当時から坊主ですか!? 金子さん坊主歴長いですね(笑)。
金子:そう、長いんです(笑)。そういう環境だったので、いろいろな服を着て働くことができず、、それが第二の試練っていう感じでしたね。そこで2年くらい働いたのかな。その間、ずっと「エディフィス」への異動願いを出していました。
中室:そのときって「ジャーナル スタンダード」ってまだなかったんですか?
金子:ないない。「エディフィス」も渋谷店と銀座店の2店舗という時代。でも、とにかく異動願いが通らないから、もうレディースを頑張ろうと思ったぐらいのタイミングで、「エディフィス」への異動がかなうことになって。
中室:へー。けど、「エディフィス」に入ってすぐにバイヤーではないですよね?
金子:もちろん。渋谷店の販売です。
中室:カジュアルですか?
金子:その当時はもうお店が三層になってて。1階がカジュアル、2階がデザイナーズ、地下一階がクロージング。僕は最初デザイナーズに配属されて。そのあとクロージングに立ったり。一階のカジュアルに立ったりもしました。
中室:全然知らなかったです。ネクタイしてたんですね(笑)。
金子:もちろん。クラシコイタリアが流行ってたときだったから、スクエアなトウで。なので、一通り経験させてもらったんです。
中室:販売はどれくらいやったんですか?
金子:実はお店にいるときから店付きのバイヤーということでバイイングもやらせてもらって。それが半年くらい経ってからかな。

中室:そのときって、当時の上司の方は金子さんのどういうところを見て、バイヤーに引き上げたんですかね? 身に覚えあります?
金子:多分なんだけど、当時はみんななにかしらフレンチな感じの格好をしてて。ボーダーに革靴というか。で、ものすごく格好いいんだけど、僕の場合はそういうのもかじりつつ、昼休みになったら毎日他の店に行って服を買ってきて、それを着たりとかしてて。
中室:自分のところのを着ないで(笑)。
金子:そう(笑)。ビルケン(シュトック)とか買ってきて合わせたり。だからちょっとみんなとは違うんだけど、自分なりのフランスを表現するようにしてて。どうやらそういう色んな幅の広さとか、洋服への熱意とか、そういうところを見ててくれたのかなって。
中室:なるほど。で、そこからバイヤーになっていくわけですね。
金子:そうだね。お店にいながらバイヤーをやってたけど、自分はそんなに器用でもないし、当時は会社が買い付けのイロハを教えてくれるわけでもなかったので、けっこう試行錯誤しながらやってましたね。毎日怒られてたし。下積みはけっこう長かったかな。今はお店のスタッフにちょっと偉そうなことを言うこともあるんだけど(笑)。
中室:そのときの買い付けってパリですか?
金子:えーとね、最初の出張はニューヨークでした。ヨーロッパを起点としながらも、ニューヨークのちょっとマイナーなデザイナーとか、エスニックなアクセサリーとかを入れてたんだよね。そういうフレーバーがけっこうかっこよくて。
中室:そういうことを知ってるのと知らないのとでは、当時の「エディフィス」の解釈が変わってきますよね。僕、そういうのはあんまりわかってなかったです。ただでさえ、入った当時のエディフィスのフレンチの解釈って、今思えばですけど、ちょっと違ったなって思うんです。芯を食ってなかったというか。
金子:あぁ。でも、人それぞれのフィルターがあるからね。結局フレンチってなに?っていうのが永遠の課題だったりするわけで。答えは人それぞれで、正解ってないのかなって。先輩と一緒にやってたときと、自分でひとりでやるようになってからはまた変わってきたし。そういうところがフレンチの面白さではあるのかな。
中室:解釈の違いですよね。あのときの「エディフィス」を表現する上で、金子さんにとってのフレンチってどういうものだったんですか?
金子:コンセプトに、「ワーク・ミリタリー・マリン」というキーワードがあって。それは男の三大キーワードみたいなところもあるんだけど、そのなかでフレンチシックを表現していくっていう。そこから噛み砕いて教えてくれる人もいなかったので、自分で切り開いていくしかなかった。だから、みんなよりもたくさんフランスに行ってたね。なにもパリがフランスのすべてではないので。
中室:そうですね。

金子:実はもっと田舎のほうにフランスらしさがあったりするので。そういうものを探しにいこうっていう感じで、車で一週間南仏の方を回ってみたりもしたし。とにかくリアルなフランスを知ろうとしてましたね。そこで感じたことをバイイングだったり、オリジナル商品の企画に生かしていったり。今のフランスはこういう感じです、っていうのをみんなに伝えて。
中室:ほかのセレクトショップがやってなかったことをやろうっていう気持ちがあったんですか?
金子:それはもちろんあったけど、「エディフィス」ってそもそもがコンセプトショップというスタート地点があるので、よそのセレクトショップとは前提が違ったのかなとも思ってましたね。土台にあるコンセプトをきちんと貫いて、適切な商品を揃えるということをやっていったうえで、結果的に他と違うお店になっていればいいなっていう。差別化をまったく意識してなかったかというと、そんなこともなかったけど、わりと自分は真面目にコンセプトに忠実になにができるんだろう、ということを考えてやってたかなぁ。
中室:なるほどねぇ。昔の僕がそのへんに気付けてたかどうかはわかりませんが、「エディフィス」のそういうところにかっこよさを感じて、19歳の僕は「エディフィス」に入りたいと思ったんですよね。とにかくかっこよかったんですよね。あと、今の会話で思い出したんですけど、金子さんが買い付けでプロヴァンス地方に行ってたことがあって。そこには闘牛場があって、ガーディアンって呼ばれるアメリカでいうカウボーイのひとたちが着てるシャツを買ってきたんです。その土地に生えている草木が小紋柄になって、ウエスタンシャツになってるやつ。それを見たときに、僕たちが考えてるフランスと全然違うなーって思って。
金子:うわー、懐かしいねぇ。
中室:思い出しました?
金子:めちゃくちゃ思い出した(笑)。
