CLOSE
FEATURE
新宿に巨大なパブリックアートをつくり出した美術家・松山智一の歩み。
PUBLIC ART in SHINJUKU by MATSUYAMA TOMOKAZU

新宿に巨大なパブリックアートをつくり出した美術家・松山智一の歩み。

平均して1日に350万人以上の人が行き来する、世界中でもトップクラスの規模のターミナル駅、新宿。そんな場所に突然アートスペースが出現したのは、今年の7月。この作品の生みの親であり、グローバルに活躍している美術家の松山智一さんは、実はフイナムにとっても縁深い人だったんです。今回は、新しく新宿駅に生まれた「hanao-san」のことから、あまり語られたことのない渡米前の話しをじっくり訊いてみました。

前例がないってことをやるっていうのも、アーティストができるゼロ→イチだと思う。

ー 松山さんが10年振りに東京で個展を開催された本当の意図がわかった気がしました。先ほど新宿駅前での大がかりなパブリックアートスペースは前例がないという話しが出ましたが、まさに今の松山さんは様々な面でその前例をつくられているのかなと思います。

松山:これは日本社会全体に言えることなんですけど、どうしても前例がないことに対してものすごくハードルが高いんですよ。逆に、すでにいい結果が出ている事にはみんなが飛びつく傾向がある。もちろん今回も、その前例をつくるという意味では、正直すごく高い壁があったことも事実です。ですが、もともとルミネさんもJRさんも企業体として文化創造をしていきたいという大きなスローガンが根底にあったので、様々な困難を乗り越えて、なんとかここに実現できたということなんです。

ー これまでの東京で、こういった場所があまり生まれてこなかった根っこの問題はなんだと思いますか?

松山:今までの東京で、メジャーな場所に日本人アーティストの作品をあまり見かけないのは、やっぱり企業なり行政なりがそこに対して本当の価値を見出せてなかった現状があるんです。バブル期にできたメセナ(※3)も、実際問題どこまで有益な活動が行われているかというと疑問符が残る状態で。例えばいわゆるアート先進国であるアメリカやヨーロッパ、中国にしたって街中に文化的資源を意図的につくり、それを観光資源として人をたくさん呼び込んでいる。そういう事は本来、企業としてやるべきことなんです。ぼくは普段ニューヨークに住んでいて、現地の仲間に「日本のアートを見るにはどこヘ行けばいい?」とよく聞かれます。例えば六本木ヒルズにはルイーズ・ブルジョワ(※4)の蜘蛛があったりするんですけど、彼らからすると日本独自のアートが見たいのにあまりオススメできるスポットがない状態というのが本音。だから結局、直島(※5)まで行くしかないんですよ。
※3 主に企業体による芸術・文化の援護活動を目的とした活動。日本では80年代後半のバブル期に発足した
※4 パリ出身の彫刻、版画などを手がける著名アーティスト
※5 香川県内にあるアートの島として知られ、3年に1度開かれる瀬戸内国際芸術祭には世界中から多くの人が集まる

ー 確かに、都内で日本独自のアートスポットを探すとなると、渋谷駅構内にある岡本太郎の絵(※6)ぐらいしかパッと思い浮かびませんよね。
※6 JR線渋谷駅と京王井の頭線渋谷駅を結ぶ連絡通路に飾られている、岡本太郎の大作「明日の神話」

松山:そうなんです。例えばニューヨークだったらグランド・セントラルターミナルがあったり、ロンドンだったらヴィクトリア・ステーションがあって、そこ自体が文化的資源、観光名所としても定着しているじゃないですか。『地球の歩き方』みたいな本にも訪れるべき場所としてちゃんと掲載されていて。でも新宿って1日の公共交通機関の乗降者が世界一多くて、ギネスブックにも掲載されているほど巨大なターミナル駅なはずなのに、そのような文化的資源としてはほど遠い状態で。そういう視点から見たときに、東京ってそういう場所が本当に少ないんです。やっぱりそれは企業なり行政が意図的に場所をつくって、積極的に文化発信していかないといけないことなんですよね。

アートを創作することと、それを届けることは、全く別のスキルが必要。

ー 海外のそうした公共の場を訪れると、毎回日本とのギャップをいやでも痛感させられますよね。

松山:これまでは日本も経済大国として歩んできたけど、今ではアジアの中でも追いかける立場になりつつありますよね。そうなってきたときに、いくら「日本独自の文化はある」って叫んだところで新しい場所をつくって発信していないと説得力がない。それに着手できるのは一アーティストや団体ではなく、やはり国か企業体という規模になってくるんです。それは絶対、今後も継続して行っていくべきこと。今回はそれが実現できたことが本当に良かったと思う。2年半という歳月をかけて、全く異なる立場や社会的属性の人たちが同じ志のもと1つのチームになっていき、今までありえなかった場所にありえない規模感で実現できた。そういう前例をつくれたこと自体が素晴らしいと思っています。

ー まずは、そういう意識改革自体から訴えていく必要があったという。

松山:ぼくは作品をつくることと、それを届けることって全く異なる技術が必要だと思っているんです。バンクシーやカウズなどの世界的アーティストたちを見ていても、作品自体を創ることとは別のチャンネルで、あの手この手を使いながら”届けること”を突き詰めていますよね。あのバンクシーのシュレッダー事件もまさにそうだと思う。

ー 「つくることと、届けること」の違いとは、具体的にどういうことですか?

松山:ぼくたち美術家がアトリエで行っている創作活動は、それはそれで日常の中の呼吸というか、ごくごく自然に生活の中に存在している行為なんですけど、それとは全く別の意識で、届けるという行為は自分1人で完結できることじゃない。例えば今回のようなプロジェクトがスタートする時に、自分の作品をただその空間にぶち込んでも独りよがりで終わってしまうし、かといって環境デザイナー的な目線で都市開発の一環としてやっても無味無臭なものになってしまう。どうやってこの場所と自分のアートをちゃんと共存させながら、周辺環境も含めての作品として文化的な意味を持たせていけるかを考えなくてはいけないんです。そのためには最高のチームワークが必要だし、そこに対してさまざまな責任感と説得力も必要となってきます。

ー 自分自身で完結できるかどうか、ということなんですね。

松山:今のぼくにとってタッグを組む相手が企業であれ、行政であれ、このような前例をきちんとした手順を踏みながらつくることが、いちアーティストとして一番ドキドキしていることで。世界から見た時に、この新宿らしさが東京らしさになって、最終的に日本らしさの1つに繋がっていくと思ったからこそ、そこにとても大きな意義を感じたからこそ、最初に構想を聞いたときに必ず実現したいと思ったんです。

INFORMATION
このエントリーをはてなブックマークに追加