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ミズノの伝説のスケートシューズ「スリーフィート・ハイ」から紡ぎ出されるコラボレーションの系譜。
Mizuno Sports Style

ミズノの伝説のスケートシューズ「スリーフィート・ハイ」から紡ぎ出されるコラボレーションの系譜。

かつて〈ミズノ〉がリリースした伝説のスケートシューズ「スリーフィート・ハイ」をご存知だろうか? 〈オンブレ・ニーニョ〉のディレクター兼〈XLARGE〉のデザイナーを務める江川芳文氏(YOPPI)の初のシグネチャーモデルとして開発され、〈.....リサーチ〉の小林節正がプロデュース、デザインはスケートシングが担当。東京発の感性が結集した幻のモデルが生まれた背景には何があったのか? 当時のストリートカルチャーへの造詣が深く、〈ミズノ〉のコラボレーションパートナーでもある〈セイハロー〉の山本直樹氏(NAOKI)を対談相手に迎え、張本人である江川氏に直撃。「スリーフィート・ハイ」の点はいかにして線となり、いまに受け継がれているのか。伝説のプロジェクトから、先日発売された〈XLARGE〉×〈ミズノ〉などの現在進行中のコラボレーションについて触れながら、〈ミズノ〉というスポーツメーカーの魅力に迫ります。

スケートボードに対する熱意が、
思わぬミラクルに繋がった。

YOPPI:自分からしたら、「え? 〈ミズノ〉? マジすか?」みたいな。当時、誰もスケートシューズをつくるっていうことを経験してる人がいないので、本当に手探り。ソールの硬さを検証することさえも未経験。言い方悪いですけど、適当っていうか(笑)。

今だから言えるけど、まだスケートボード自体がスポーツっていう認識も無いし、そこの次元になんせ居ないんで。悪口じゃないっすよ(笑)。事実なんですよ。この先スケートボードがどうなるかっていうところも、〈ミズノ〉さん側も、まだフワフワしていて。

あいだにいた小林さんだけがちゃんと、先見の明を持っていたんですね。

ー なるほど。

YOPPI:一応、第2弾までリリースして、ヌルっと終わったような記憶があります。本当に手探りだったんですよね〜。

ー 今でこそスポーツメーカー各社がスケートボード用のシューズに参画していますけど、遥か昔の話ですもんね。

YOPPI:早かったのは、早かったですね。ただ本当に続けてなんぼの世界なんで。バスケットも野球も続けてなんぼだと思いますけど、スケートボードも一緒。続けてこそのところがあるので、たった数回じゃあんまり分からない。

「あぁ、終わっちゃった」ていう感じで。少し物足りなかったですけど、いい経験にはなりましたね。ソールが硬さで、スケートボードのグリップの良し悪しがどうなるとか、初めて知りましたもん。誰も教えてくれないし。

NAOKI:漠然と、あの靴が調子良いっぽいぞ! みたいな頃ですもんね。市販のシューズから、スケートボードと相性がいいのを見つけ出していた時代。ちなみに当時何才くらいだったんですか?

YOPPI:22とか23歳かな。クソガキですよ(笑)。本当ただの子供でした。でも、熱意だけはあったので、それを大人が拾ってくれたりして、ミラクルが起きたんですよね。だって、ぼくみたいなクソガキがつくったシューズを、あのエリック・クラプトンが買いに来たんですからね。すいません、自慢ですね(笑)

ー あのクラプトンが!?

YOPPI:そうなんです。このシューズを掲載してくれた雑誌『Boon』を見たらしく、日本のエージェントを通してお店を探し出して、直接連絡が来たんですよ。当時はクラプトンの凄さを全然知らなかったので、とりあえず(藤原)ヒロシくんにクラプトンが来ることを伝えて。

NAOKI:クラプトンってかなり東京のストリートカルチャーに造詣が深いですよね。その入り口がYOPPIさんだったということですか?

YOPPI:たぶんぼくです。彼はもともとグラフィティアートが好きなんですよね。当時からSTASH、Futuraの作品を買っていたみたいで。その流れでシューズにグラフィティのデザインを採用した「スリーフィート・ハイ」が目についたみたいで。ネットもない時代に調べて、直接電話してきて、実際に本人がお店にまで来てくれて。

NAOKI:え、お店に来たんすか?

YOPPI:そう。しかも、「スリーフィート・ハイ」を履いてライブにも出てくれています。

INFORMATION

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www.mizuno.jp/mizuno1906

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