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いい生地は、いい服に宿る。Hakuroの流儀と、そのはじまりの話。
His relentless passion is the evolving material and clothes.

いい生地は、いい服に宿る。
Hakuroの流儀と、そのはじまりの話。

いかなるときも、本質に立ち返る。それが彼らの服作りの流儀です。本質とは、すなわち“生地”のこと。新石器時代に発明された織物の基本は、約1万年ものあいだ、脈々と受け継がれてきました。そして令和のいま、そのたしかな歴史を証明するかのように生まれたのが〈ハクロ(Hakuro)〉というブランドです。技術やノウハウを余さず注ぎ込んだというパンツは、ローンチされるやいなや、津々浦々の目利きたちの目に留まり、その事実にはさもありなんと頷くばかり。
今回フイナムは、そんな〈ハクロ〉の母体・山栄毛織が居を構える愛知県津島市へ。ブランドの仕掛け人である四代目にことのあらましを聞いてみると、よどみなくこんこんと湧き出てきたのは、ただひとえに、生地への飽くなきこだわりでした。

  • Photo_Shintaro Yoshimatsu
  • Text_Masahiro Kosaka(CORNELL)
  • Edit_Yuri Sudo

創業1915年。毛織物産業を牽引してきた、山栄毛織。

そこは、世界三大毛織物産地である尾州。毛織物業界の父と言われた片岡春吉の明治時代における活躍に端を発し、織機を1回ガチャンと動かすだけで1万円儲かると言われた「ガチャ万」バブルも、いまはむかし。その生産量は、いまは全盛期のおよそ90%ダウンとも言われています。それでも受け継がれてきた技術を継承するパワフルな企業が存在し、いまなお、国内の毛織物のおよそ8割をこの地でまかなっている。言わずもがな、山栄毛織もその筆頭格です。

創業は1915年。自分たちが本当に納得できる生地をと、毛織物産業を牽引してきました。1950年頃には世界初のブラックフォーマルの開発に携わり、その後の2000年頃には、世界各国のメゾンブランドが次々に工場を訪れることに。その頃から、無地のウールだけでなく、デニムやリネンといった素材を扱うようにもなったのだとか。

「時代時代で形を変えながらやってきました」

山栄毛織の敷地内の一角、職人たちが昔ながらの織機を慣れた手つきで動かす作業場の横に、事務所があります。山栄毛織の歴史を物語るように、大量の生地見本や商品サンプルが置かれてあるその一室で、四代目の山田和弘さんはやおらそのように話しはじめました。傍らには、きっちり1ラック分用意された、〈ハクロ〉の次のシーズンのサンプルが。慎ましやかにもはっきりと、その存在を放っています。

ブランド名の「ハクロ」とは、白鷺(しらさぎ)のこと。工場のノコギリ屋根や田んぼといった、山田さんが幼少期からずっと目にしてきたこの土地の風景には、いつも白鷺がいました。そんな彼らとともに、いままさに飛び立たん。そうした想いが、そこに込められています。

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