スケートのストーリーをきちんとまとったアーティスト。

20周年という節目を迎え、いまなにを考えているか、そして未来をどう見据えているのかを話してくれた今野さん。今度は場所を変え、かねてから親交のあるアーティスト・Haroshiさんのアトリエを訪れ、お互いのクリエーションについてや、〈デサントオルテライン〉とのトリプルコラボであるダウンジャケットについて語ってもらいました。
PROFILE

1978年生まれ。2003年よりスケーターたちが乗り古したスケートボードを集め、それを材料に彫刻作品を製作するアーティスト。自身もスケーターであり、国内ではもちろん、海外での評価も高い。神宮前のギャラリー「NANZUKA」に所属し、作品集『HAROSHI(2003-2021)』を今年刊行したばかり。
ー はじめにおふたりの出会いについて教えてください。

今野:ぼくと同じファッション業界にいる友人が、ぼくが好きそうな個展をやっているから見に行こうと誘ってくれたことがあって。それで青山のギャラリーに行ったんですけど、そこにHaroshiくんがいたんです。その頃はまだHARVESTっていう名前だったよね?
Haroshi:そうですね。HARVEST by haroshiという名前でやっていて。たしか2010年の「SKATE&DESTROY」っていう個展だったと思います。
今野:行った頃にはほとんどの作品が買えなくて、売り切れ状態だったんですよ。結局そのときはなにも買えずだったんですが、作品がとにかくかっこよくて連絡先を交換させてもらい、それからやりとりをスタートしました。本当にその直後くらいにお願いしたい案件ができて、Haroshiくんに事務所まで来てもらって。
Haroshi:そうでしたね。
ー どんな案件だったんですか?

今野:ストリートブランドの〈HUF〉が本拠地をサンフランシスコからLAに移した頃だったと思うんですが、LAでもうまくいかない時期があって。たしかお店もクローズして、ウェアハウスみたいなとこを拠点にしていて。本当にどうなるんだろう? っていう状態だったんです。だけど創設者のキース・ハフナゲルは諦めていなくて、ぼくに「誰か〈HUF〉に合いそうなおもしろいアーティストはいないか?」って聞いてきたんですよ。
その頃にちょうどHaroshiくんと知り合ったばかりで、彼はスケーターでもあるからすごく相性がいいと思って提案をしたら、キースもすごく気に入った様子だったんです。
Haroshi:たしかその頃はサンフランシスコのお店はまだ残っていたと思います。キースに「サンフランシスコ」に行こうって誘われて、その直後にお店がクローズしてしまったんですよ。それで〈HUF〉のクルーはみんなLAへ移動して。ぼくがキースとコンタクトを取りだして、はじめて打ち合わせしたのはLAだったんですけど、そのときはもう小さな倉庫でみんな作業をしていました。

今野:ぼくもちょこちょこ〈HUF〉のデザインチームとして参加させてもらっていたんですけど、だいたいHaroshiくんの話になるんです。こんなにうちのブランドにハマるアーティストがいるとは思わなかったって。スケートのストーリーをきちんとまとったアーティストがいてよかった、と。その後LAのショップができるんですけど、そこのオープニングパーティの話がすごくおもしろくて(笑)。
ー どんな話なんですか?

今野:そのお店にHaroshiくんのミドルフィンガーの作品が置いてあるんですけど、ちょうどあのデッキにプリントされている作品ですね。中指が消されてますけど(笑)。その作品にまつわる話なんですよ。
Haroshi:あれはみんなに言われますね(笑)。本当に恥ずかしい話なんです…。ぼくがお店で設営をしていたら、知らないおじさんが声をかけてきて「この作品、買ってやるよ」って言うんです。だけどその人のことをぼくは全然知らないし、おっちゃんには高いから買えないよってあしらってたら、家の写真とか見せてきて。すごい豪邸で庭に有名な現代美術家の猥雑な石像とかが置いてあるんですよ。それで電話番号交換しようという話になり、「俺はフリーっていうんだ」っていうから“Free”って登録しようとしたら「ちがう、Fleaだ」って言っていて。
その後パーティがはじまって今野さんやご友人たちが来てくれたときに、「Haroshiくん、あの人知り合いなの?」って言われたのを覚えていて。
今野:それがレッチリのフリーだったんですよ(笑)。
一同:笑

Haroshi:もちろんレッチリは知ってましたけど、ビジュアルはそこまで詳しくなくて。どっちかというとぼくはスイサイダル・テンデンシーズのほうが詳しくて、マイク・ミュアとかジム・ミュアのことのほうがよく知ってるんですよ。だけど、まさかあんなところでフリーがDJしているなんて思わないじゃないですか。直後に「携帯番号交換しましたよ!」って自慢しましたけど(笑)。まだ登録してありますよ。
ー 結局作品は売ったんですか?
Haroshi:あれはキースに頼まれてつくったやつだったので売りませんでした。だけど、その後にレッチリとか大物アーティストと仕事している人と知り合って、その人の豪邸に泊まらせてもらったことはありますね。
今野:泊まったね! すごい豪邸だった。閑静な住宅街にあるんですけど、Haroshiくんにひとりで過ごすには広すぎるから来てくださいって言われて。
Haroshi:防犯ブザーが止まらず、めちゃくちゃ焦りましたけど(笑)。そこを貸してくれた人がフリーの友達で、レッチリと一緒に大規模なドネーションライブとかを企画していたんです。そこにダミアン・ハーストとかも関わってたそうなんですけど、ぼくのことも可愛がってくれて、作品を買ってドネーションのイベントでオークションにかけてくれたりしたんですよ。
ー だけど、なんだか夢のある話ですね。

今野:全部Haroshiくんのおかげですよ。いろいろ思い出話はたくさんあるよね。
Haroshi:LAではずっと一緒にいましたもんね。同じモーテルに泊まったりとか。
今野:すごくいいモーテルがあって、居心地がいい場所なんですよ。立地がいいのに宿泊料は手頃で、LAに行くときはいつも泊まっているんです。

Haroshi:知り合いに「なんでこんなところ泊まってるの? もっといいところ泊まりなよ」って言われたこともあって(笑)。だけど、いまだにああいうところに泊まるのって、なんだかスケーターっぽくて好きなんですよね。
今野:その気持ちはすごくわかる。とあるアパレル業界の人に、「いいところに泊まると、いい仕事が巡ってくるよ」って言われたことがあって。たしかにそうだなと思うこともあるんだけど、人って生活レベルを一度上げると落とせなくなるんだよね。だからLAに行ったときにそこに泊まるのは、原点回帰のつもりでもあって。飛行機は溜まったマイルでビジネスクラスに乗れたとしても、泊まるところは毎回あそこにしているんだよね。
ー 初心忘るるべからず、ということですね。
今野:もっと欲張ることもできますが、原点を忘れちゃうと自分じゃいられなくなるというか、自分の歯車も狂っていくような気がして(笑)。
Haroshi:だけど豪邸には泊まっちゃうっていう(笑)。