テキスタイルデザイン=生地屋だった日本のファッション業界。
ー 野口さんはムサビの短大を卒業して、ロンドンの美大(Chelsea College of Arts)に留学しますよね。
野口:わたしがテキスタイルを学んだのはロンドンに行ってからなんです。
藤井:ぼくがロンドンに遊びに行ったとき、真彩子と偶然再会したことがあって。当時は携帯電話なんて持っていなかったんじゃないかな。
野口:キングスロードだよね。あのときは本当にびっくりした。焼肉をご馳走してもらったのをすごく憶えている(笑)。
藤井:ちゃんとご飯食べてないんじゃないかと心配して(笑)

〈ノーマティーディー〉デザイナー 左:佐々木拓真、右:野口真彩子
藤井:真彩子は帰国してきてから日本でのキャリアについて相談してくれたよね。当時の日本ではテキスタイルデザイナーってなかなかいなかったでしょう。海外だと〈マリメッコ〉、〈イーリー・キシモト〉とかが思い浮かぶけど、日本では皆川明さん(ミナ ペルホネン デザイナー)くらいで。
野口:うん、大きな壁だった。
藤井:真彩子はテキスタイルデザイナーとしての屋号をどうするか悩んでいて。ぼくがそのときに「ブランドにしたほうがいいんじゃない?たとえば、野口真彩子だから〈ノーマ〉とか」ってシャレで言ったんですよ。
ー え、すごいエピソードですね!
野口:それまったく記憶になかったんだけど、こないだ聞いて記憶が蘇ってきた(笑)。
藤井:「日本ではわかりやすさが求められるから、洋服ブランドにしておかないと無理なんじゃないの?」って。でも、〈ノグチ・マサコ・テキスタイルブランド〉と謳ってもピンとこないでしょう。実は真彩子が帰国してから2003年に〈ノンネイティブ〉はテキスタイルデザインをお願いしているんですよ。

ー 古くからの〈ノンネイティブ〉ユーザーもそのことをほぼ知らないでしょうね。
藤井:ぼくがデザインを始めて3シーズン目くらいだったかな。そのときは絵が描けないし柄もつくれないから、手描きの葉っぱ柄をデザインしてもらって。それで、洋服に付けるためのネームをつくりたくて。そのやりとりの中で「ノーマがいいんじゃない?」って提案して、それが今も続いているっていう。
ー 日本と海外のファッション業界では、テキスタイルデザインの立ち位置は違うんですか?
野口:それはもう、まったく。わたし、ロンドンの学生だった頃からフリーランスでテキスタイルデザインの仕事を始めていたんですよ。卒業してニューヨークで活動してから帰国するんですけど、まずは自分独りでポートフォリオを持ってブランドに売り込みに行ってみたんです。そこでわかったのは、日本ではテキスタイルデザインという言葉は浸透していなくて、ただの生地屋さんだったんですね。
藤井:テキスタイルデザイナーという立ち位置はブランド側にはなかった。
野口:そう。ヨーロッパはデザイナーとテキスタイルデザイナーが同等に存在しているから、すごくショックでした。帰国してから2,3日目くらいで藤井くんに会ったり、「ネペンテス」〈ニードルズ〉の清水(慶三)さんをご紹介いただいたりして。あとは「ビームス」の入江(和宏)くん。日本での最初の仕事は〈ノンネイティブ〉と〈ニードルズ〉と「ビームス」だったんです。その3つでなんとか生きていくことができたんです(笑)。

藤井:佐々木くんとはいつから〈ノーマ〉を一緒にやることになったの?
佐々木:2シーズン目だから、2006年ですかね。
野口:拓真も帰国してからすぐに紹介されて。〈アンダーカバー〉に営業の電話をかけたら、ジョニオ(高橋盾)さん本人がグラフィックデザインをしていて、テキスタイルデザインの必要はないけど、興味はあるから見せてもらいたいと言われて。そしたら、当時在籍していた生産管理の人に「佐々木くんって知っていますか? 同い年でおもしろいから会ってみたら?」と紹介されたんですよ。
藤井:佐々木くんは当時セレクトショップやってたよね?
佐々木:2003年からお店をやっていた時期があって。そのときに〈ノンネイティブ〉を置きたいなと思って探ったことがあったんですよ(笑)。でも当時はバッティングをみんなすごく気にしていて、代官山に「時しらず」というお店があって断念したことがあったんです。けど、もともと藤井くんのものづくりの安定感が好きでしたし、ここ(藤井さんと野口さん)が繋がっているということで。
ー ご縁があったんですね。