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なぜ超長距離に挑むのか? 日本最高峰のトレランレース「UTMF」のフイナム的考察。
ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 2022

なぜ超長距離に挑むのか? 日本最高峰のトレランレース「UTMF」のフイナム的考察。

登山道や林道など不整地を走る近年人気のアウトドアアクティビティ、トレイルランニング。その国内最高峰のレース「UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)」が2022年4月22〜24日の3日間にわたって開催されました。距離は100マイル(約165キロ)、累積標高は7,500メートルにも及びます。なぜランナーたちはそのような超長距離に挑むのか? この大会をはじめとする超ロングレースが多くの人を惹きつける理由をフイナム的視点で考察していきます。

  • Photo_Tatsuo Takahashi, FUJI TRAIL RUNNERS CLUB
  • Photo & Text_ Issey Enomoto
  • Text_Suzu Suzuki
  • Edit_Hiroshi  Yamamoto

フイナム ランニング クラブ♡のメンバーによるUTMF完走レポート!

さて、ここから先は、今回UTMF165kに参戦して見事完走を果たしたフイナム ランニング クラブ♡メンバーの鈴木すずさんによる寄稿文をお届けします。長時間に及ぶ道中でどのような思いが去来したのか? そして165キロ走り切った先に何が見えたのか? 臨場感たっぷりのレポートをお楽しみください!

PROFILE

鈴木すず/1977年生まれ。ランニング歴約14年。会社員としてファッション業界に身を置きながら、“長距離走文筆家”を名乗り、ライターとしても活動。

ようやく立つことができた夢の舞台。

暗闇の森のなかから微かに音が聞こえる。風に揺れる木々や生き物のさえずりのような自然が奏でる音ではなく、もっと人工的なそれだ。シャンシャンシャンシャン。鈴だ。やがて遠くからヘッドランプの光が揺れながら近づいてくる。その光の主である男性の年齢は40代半ばであろうか。いずれにせよあまり元気そうには見えない。脚は泥だらけで、走りに力強さは感じない。呼吸も乱れている。

100マイルレースというものを初めて目にした際における、その非日常的ながらも決して一般的に美しいとはいえない光景は、衝撃的といったらあまりにも陳腐な表現になってしまうが、ぼくの眼球を突き抜けて脳漿を通過し、心臓に突き刺さった。

ぼくがUTMFへの出走を意識し始めた当時、そのエントリー資格は現在のそれよりも厳しく、ざっくりいうと最低でも100キロクラスのトレイルレースを1本、70キロクラスを2本以上完走の実績が必要とされていた。そしてその100キロのレースにエントリーするにも一定の実績が要求される。UTMFにエントリーするためのレースに出るためのレース。最短でエントリー資格を得るには1本も落とすわけにはいかなかった。

そしてどうにかこうにかポイントを集め(正確にいうと参加資格のハードルが下がり、気付いたらそれを得ていた)、およそ3倍の倍率といわれる抽選も勝ち抜き、ようやくUTMFへの挑戦権を得たのが2020年。しかしながら、そのレースが開催されることはなかった。その翌年も。

そしてぼくはついにここに立っている。山を走り始めて4年目、何度も何度も自分がそこにいる姿を想像してきたこの国内最大規模の100マイルレースのスタート地点に。

長距離レースは準備がすべてといわれる。この4年間、月間走行距離が300キロを下回ったことはただの一度もない。前週には髭脱毛と歯医者の定期検診も済ませた。あとはゴールに向かって走るだけだ。

今まで少なくない数のレースに参加してきたが、やはりUTMFはその規模感が他とは桁が違う。そう感じたのはスタート会場である富士山こどもの国に到着し、荷物とドロップバッグ預けを済ませてスタートゲート付近に来たときだった。

選手やスタッフの数が他とは比べものにならないくらいに多く、公式テーマソングである『Out of this World』が聴こえてくると否が応にも気分が高揚してくる。あー、俺は今からUTMFを走るんだ。

ここまでいろいろなことがあったなぁ。当時勤務していた会社における取引先の、わりと立場のある女性にヘタな手の出し方をして、「もうあなたの会社との取引をやめるように社長に言いますから」と脅されたな。あの人は元気にしているのだろうか。

序盤は想定外のハイペース。

第1ウェーブのスタートを見送り、スタートブロックに入る。想像していたよりも気持ちは落ち着いていた。超ハイテンションなMCを見ながら、テンションたけぇなーと感じるくらいに。突然込み上げてきたのは、いざ自分がスタートして数多の応援が囲む花道を走っているときだった。突然ぶわっと。ヤバイ泣きそう。なんなら少し屁はこいている。

ここまでいろいろなことがあったなぁ。ナイトトレイルの練習をしようと初めてTTT(丹沢 to 高尾、およそ50キロ)をやったとき、ぼくのインスタストーリーズを見て励ましのDMをくれた子は、そこそこ良い歳だったけどぶりっ子キャラだったな。あの子は元気にしているのだろうか。

今年のUTMFはレース前日の予報雨量を鑑み、「安全マージンをより大きく取ったうえで」天子山地を迂回するコース変更がされたため、序盤の50キロくらいまでは走れる(走らされる)スピードレースとなった。

それも影響しているかどうかは初めて本レースを走ったぼくにはよくわからないが、すごくまわりのペースが速い。9キロくらい林道を走ってから手元のスントでペースを確認すると、だいたい5分40秒/キロくらい(フルマラソンでサブ4のペース)だった。ち、ちょっとちょっと、みなさんコレであと150キロもちますぅ〜? とまわりに問いたかったが、もちろんそんなことはできない。ま、いっか。まわりに惑わされず自分のペースで行こうとスピードを落とす。

ぼくレベルのランナーにとって、100マイルを走り切るにあたって肝要なのは、序盤は抑えて抑えて抑えて抑えまくることだ。100マイルは120キロからが本番。最初に頑張り過ぎると、後半にゆるやかな死が待っている。

月明かりに照らされる富士山に感動。

そんなこんなでU1の富士宮(21.5キロ地点)に到着。水を補充し、ヘッドランプを装着する。名物富士宮焼きそば(うめぇ!)のエイド、U2の麓(43.2キロ地点)までは林道とロードがメイン。登りは無理せず歩き、平地と下りはゆっくり走るように心掛ける。

麓からU3の本栖湖(53.7キロ地点)までも状況は大きく変わることはなく、畑道のようなシングルトラックがメインのサーフェイス。このあたりで適度な疲労と身体のほぐれが程良くブレンドされ、心地良いリズムで走れた結果、そこそこな数のランナーを抜いた気がする。あたりはすっかり暗くなっていたがノースリーブでも寒さは感じない。

本栖湖からU4の精進湖(65.6キロ地点)に向かうトレイルの登りをヒーヒーいいながら片付けた先、突然到着したパノラマ台で目に飛び込んできたのは月明かりに浮かび上がる富士山だった。

これまで何万キロも走り、何十回も転び、怪我をしてまた立ち上がり、ときに道に迷い、引き返し、藪を漕ぎ、走り始めて14年目にたどり着いた場所から眺める霊峰は自然そのものでありながら不自然なまでに美しく、雲海の彼方で静かに鎮座していた。その絶景を眼前にして、まだレースの半分の距離も来ていないのにぼくは自分が満たされていくのを感じた。

ここまでいろいろなことがあったなぁ。初めて高尾山を走ったとき、山頂でたまたま知り合いの女性ランナーに会ってテンションが上がったけど、向こうは塩対応だったな。その子は今もすごく元気だ。

なぜ100マイルを走るのか?

話は少し逸れるが、ぼくが100マイルレースを走るのはこれが初めてではない。2020年にKOUMI100というレースで初めてそれを走り(DNF)、翌年2021年に同じレースをどうにかこうにか完走した。

そのときに感じたことは、ぼくは決して100マイルが大好きではないなということ。世の中には100マイルを愛して止まず、それを100回走ることをライフワークにしている人がいる。人生で可能な限り多くの100マイルを完走することを目標にしている人もいる。しかしながら、ぼくはそういった種類の人ではないようだった。

160キロは人が1回で走り切るにはあまりにも長い。終わった後のダメージも大きく、日常生活にちょっとした支障も出る。趣味としてやるにはいささか過酷過ぎるというのが、ぼくの個人的な見解だ。

にも関わらず、なんでぼくは再び100マイルを走るのだろう。岩の塊である月が遠くから見るときれいに見えるように、苦しかった経験も経年により美化されて楽しかった思い出に変換されたからだろうか。

いや、より掘り下げてみるともっと答えはシンプルで、結局のところは過酷な100マイルを走らない自分よりは、走る自分のほうが好きになれるからなんだろうな。そんな気がする。

というのも、ぼくは日常的に走ってはいるものの、基本的に遊びの延長であるゆるランがベースであまり自分を追い込むような練習はしていない。フルマラソンではタイムを狙うが、50〜100キロのいわゆるミドルレンジといわれるレースでは、二日酔いの身体を抱えたまま完走目標で走るのが大半だ。

ところが100マイルともなれば、否が応でも心身が追い込まれる。極限的な疲労のなか、真っ暗な山中でヘッドランプひとつを頼りに走り進んでいく感覚。その非日常性は、何をやらせても中途半端だったぼくを興奮させてくれるし、それを走り終えたときの自分は、少しマシな存在になれたように思えるのだ。

U5の富士急ハイランド(95.7キロ地点)に着く頃にはすっかり夜も明けていた。補給はまだ余っていたけれどもジップロックごと取り替え、テングバームを足裏に塗り直し、靴も〈ホカ〉の「スピードゴート 4」から〈コロンビア モントレイル〉の「トリニティー AG」に履き替え、気分を一新させる。それが奏功したのか、そこからしばらくは気持ち良く走ることができた。

いざ、フィニッシュゲートへ。

U7の山中湖きらら(116.6キロ地点)を経て、さあここから残り40キロちょいと意気込んだまでは良かったのだが、次のエイドであるU8の二十曲峠(130.2キロ地点)までが今回のレースでもっともキツかった。

鉄砲木までの傾斜は激しく、またその後に何度も繰り返される細かいアップダウンが体力と気力を奪っていく。下りもまともに走れない。おまけに水切れの懸念も出てきて精神的にもストレスがかかった。

UTMFではエイドを出る際に最低でも1リットルの水を携行するレギュレーションがあるが、この区間は1.5リットル持っておくべきだった。

どうにかこうにか岩登りの杓子山を仕留め、ラスボスの霜山に登っている最中で不可解な現象が起こった。

あ、ありのまま起こったことを話すぜ。霜山に登る前に俺は高低マップでその標高が900メートルくらいであることを確認したんだ。にも関わらず、標高が1,000メートルを超えてもピークに辿り着かなかった。な、何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった。頭がどうにかなりそうだった……。催眠術とか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。

原因は老眼である。それが明らかになったのは、改めてUTMFの高低マップをスマホに表示させズームして見たときだった。ぼくは縮尺してプリントアウトした霜山の標高1,302メートルが老眼により読めず、1,500メートルの標高を示す線を1,000メートルのそれだと勘違いしていたため、800〜900メートルほどの山だと勘違いしていたのだ。

人をもっとも消耗させるのは、終わりが見えない苦しみである。とりあえず終わりがあることがわかって良かった。けど、あと300メートルアップ。ま、まあまああるな……。

そんなこんなを経て、33時間38分22秒。ぼくは無事にフィニッシュゲートをくぐることができた。

100マイルを走り終えて。

ゴールテープを手にした瞬間、えもいわれぬ感動が全身を包み込み、それまでの苦しかった過程がすべて報われた心地がして滂沱の涙を禁じえなかった。なんだかんだやはり100マイルは素晴らしい!

ぼくだってできればそのような美しい締め括りでこの文章を終えたい。しかしながら、「今度こそもう100マイルはやらない。感動がツラさを超えない。生きるうえで全然必要ない」と感じたのが正直なところである。

この思いも、ときが経てば喉元を過ぎるのだろうか。楽しかった思い出に変換されて、また100マイルを走りたくなるのだろうか。それは誰にもわからない。

とりあえず明日もまた走ろう。明後日も走ろう。そうすれば何かが見えてくるかもしれない。だからこそぼくは走り続ける。100マイルなんてまったく楽しいと思えないからこそ。

INFORMATION

ULTRA-TRAIL Mt.FUJI

https://www.ultratrailmtfuji.com

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