『ガンニバル』は他の日本の作品と何がちがう?
鳥羽:『ガンニバル』は、スケール感がハリウッドのようで、日本の映画っぽさはないよね。 あれ、なんでなんだろう?

笠松:んー、ぼくの中では答えがあって、それは画なんですよね。 海外のトップクラスと日本の作品の大きな違いは、画にかけられる時間があるかないかだと思っています。
鳥羽:じゃあ、ちゃんと時間がかけれたってことね。
笠松:でも、いくらあっても足りないんですよ…。
鳥羽:いいものをつくるために必要なぐらいは用意できたってことか。あの映画は、みんなそれぞれそぎ落としていて、おしゃれしようみたいな感じの演出が一ミリもない。料理でいえば、塩をふって炭で焼いただけの肉。軽いけど内容と密度は濃い、みたいなね。


鳥羽:悪口のようになっちゃうけど料理業界の話をすると、食べた時が最高な料理はいいんですけど、食べる前の演出が過ぎてて、食べることに集中できない料理も増えていて。それだと食べる前にもういいやって、エンタメ感が強くなりすぎちゃってんすよね。
笠松:すごくよくわかる。そもそも何か自分の目指したもの…いまの話でいうと料理の味のプロになった上で、そこでは一番になれないと分かったあとで、枝葉として挑戦することは大切だと思うんです。たとえば、料理で一番にはなれなかったけど、ぼくはこういうことで一番になるんだという人はすごくいいと思うんです。でも、そういう人たちを見て育った人たちはその本質を分かってないから、枝の部分だけを見て、根っこはいらないって実の部分だけを大きくしようとするから、結局数年経つといなくなる。
鳥羽:それって、ファッションも同じなんじゃないですかね。文化になっていくものと、ファッションになっていくものの違いは確実にある。本質がある上に重ねてる人と、軸がないのにいまっぽさだけ乗せていく人といるよね。料理もファッションと同じで消える料理もある。でも、炭火焼き肉って一生残っていくと思う。それは一番本質的だし、火の入れ方もアナログで原始的。実はそこに本質があるのかなって。
