PROFILE
1977年生まれ、栃木県出身。アメカジに影響を受け、2001年に「ビームス」へ入社。「ビームス プラス」の立ち上げに参画し、のちにディレクターに就任する。その後、「ビームス」のチーフバイヤー、メンズカジュアル全体を束ねるディレクターを経て、クリエイティブディレクターとして活躍。そして今年の3月に同社を退職し、自身のブランドである〈アンライクリー〉を立ち上げた。
「○○じゃなくてもいいんじゃないか?」。
ー〈アンライクリー〉はどんなブランドなのか教えてください。
中田:ぼくはアメカジが大好きで、それを天邪鬼な考え方で表現したブランドになります。一見するとシンプルな服なんですけど、いろんなジャンルや年代のディテールが混ざっていたり、本来とは違うアレンジがされているのが〈アンライクリー〉の特徴です。ブランド名は「ありそうにない」「〜しそうにない」という意味の形容詞。その名の通り“ありそうでないもの”をつくりたいなぁと思いながらデザインしてますね。
ー中田さんは今年の3月に「ビームス」を退職してこのブランドをスタートさせました。その背景にはどんな想いがあったんですか?
中田:ブランドを立ち上げたいと思いはじめたのが2019年のことでした。自分の中で「ビームス」での仕事にも満足していたので、どのようにスタートさせるか非常に悩んでいました。そして、そうした想いを持ったままコロナ禍に突入して。たくさんの時間がある中、自分自身を見つめ直し、まずイメージボードだけでもつくってみようと思い、描いた絵がこれなんです。
中田:自分は1977年生まれで、「アイワ」というオーディオメーカーに務めていた父親と、美大卒で建築士になった母親のもとに生まれました。家には壁一面に父親の趣味であるオーディオがあったり、服は母の手編みのカウチンセーターを着ていたり、とにかくそんなおしゃれな家庭に生まれたんです(笑)。父はぼくが4歳のときに他界してしまったんですが、シカゴに赴任していた時代もあって、アメリカン・ライフスタイルを思い切り謳歌して、IVYの洗礼も受けていたので、自分のルーツはそんなところにあるんじゃないかと思ったんです。
ーご家族に加えて、この絵にある通り、ウディ・アレンや、小林泰彦さんの著書である『ヘビーデューティーの本』からの影響も大きいんですか?
中田:そうですね。自分の好きなものを調べていたら、ウディ・アレンが撮った映画『アニー・ホール』は自分の生まれ年である1977年に公開されていたり、『ヘビーデューティーの本』もこの年の出版なんです。なんか、そういう縁みたいなものを感じて。それが時を経て、「ビームス プラス」の世界観に辿り着いたんです。
ーとはいえ〈アンライクリー〉は、「ビームス プラス」とは似て非なるブランドですよね。
中田:そうですね。ぼくなりにアメリカン・クラシック、アメリカン・トラディショナル、アメリカン・ユニフォームを再解釈して、おもしろい服づくりをしたいなと思ったのが〈アンライクリー〉なんです。
中田:たとえばアメリカン・トラッドやクラシックの世界には、「○○でなければならない」っていう厳格なルールのようなものが存在しています。「ビームス プラス」はそれをしっかりと受け継いで世の中に伝える役割を担っているんです。
だけど、ぼくは90年代にファッションの洗礼を受けて、ミックスカルチャーの中でファッションを謳歌してきました。だから「○○じゃなくてもいいんじゃないか?」っていう考え方がどこかにあったり、それを凌駕する表現方法をいつも探してたんです。それを〈アンライクリー〉では表現しているんです。