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FEATURE
バイクもクルマも自転車も。乗るならフレッシュ or ヴィンテージ?-後編 ヴィンテージの乗りもの-
NO WHEELS, NO LIFE.

バイクもクルマも自転車も。乗るならフレッシュ or ヴィンテージ?
-後編 ヴィンテージの乗りもの-

テクノロジーの進化を感じ、今の社会とリンクしたフレッシュな乗りものに続き、後編ではヴィンテージのクルマ・バイク・自転車を選んだ3組が登場。今から半世紀以上前の乗りものにしかない造形美や、現行の乗りものとは全く別物の乗り味などは、乗った人にしかわからないスペシャルな感覚です。手にするのはお金さえあれば簡単。でも乗り続けることはお金じゃ手にできない、ヴィンテージの世界へようこそ。

  • Photo_Teppei Hori(Nau Shima、Tomoaki Nakajyo)、Shingo Goya(Lambda Takahashi)
  • Edit_Yusuke SuzukiSoma Takeda

ヴィンテージの乗りもののポイント

・古き良き時代の素材や造形美
・同じものがないワンアンドオンリーさ
・メカに詳しくなれる

Syle 01:Nau Shima with INDIAN 1947 CHIEF 70年以上前のインディアンで、東京を走り続けるという選択。

PROFILE

島 菜有

TOKYO INDIANS MC®、Timc inc.®のファウンダー。〈インディアン〉の他にクルマは〈シボレー〉の1968年式の『エルカミーノ』を所有。今年は6年ぶりにヴィンテージの〈インディアン〉オンリーのイベント『IN THE WIND』を開催予定。
Instagram:@tacwp

“MOTORCYCLE MAKES A MAN”という格言をご存知でしょうか? “モーターサイクルが1人前の男を育てる”という、イギリスに古くから伝わる言葉です。〈インディアン〉はアメリカで生まれたメーカーで、島さんが乗る1947年式の『チーフ』は排気量が1200cc。交通量の多い東京のトラフィックを、いまから70年以上前のバイクで自由自在に走る姿からは、そんなイギリスの格言が自然と頭に浮かびます。

「手に入れたのは15年以上前で、前のオーナーは福岡の人。最初は1940年式の『チーフ』に乗っていて、それから1947年か1948年の『チーフ』に乗りたくて、(いまほど探すツールがない中)自分で探して。〈インディアン〉は〈ゴローズ(goro’s)〉の高橋吾郎さんの影響が大きい。手に入れてからストックで乗り、その後ボバーにして、ここ最近ハンドルやシートなどを変えていまのスタイルに」

インディアンに乗る仲間とともに、TOKYO INDIANS MC®を結成したのはおよそ13年前。4枚のウインドブレイカーからスタートしたメンバーと、東京を走るのはもちろん、仲間がレースに参戦すればサーキットへ行ったり、たびたび九州や広島などへのロングランも。ヴィンテージのインディアンをただ持つのではなく、乗って走り続ける。その中で苦楽を味わってきた経験はプライスレスで、まさに“MOTORCYCLE MAKES A MAN”な生き方そのものです。

アイコニックな赤いフロントフォークは乗り続けることで塗装が剥げ、下からブルーが見えるように。タンクに貼られた今は亡き〈ゴローズ〉主宰の高橋吾郎氏へ捧げる“Yellow Eagle Run”や、TOKYO INDIANS MC®にRough Ridersのステッカーは、歴史とプライドそのもの。左足がクラッチで、ギアはタンクの左側にあるシフトを前後させるハンドシフトです。

ハンドルは高さや絞りにこだわったエイプハンガーをセレクト。高価なヴィンテージパーツではなく、自分の価値で選んだ理由に天邪鬼な美学を感じます。シートとピリオンパッドは〈ベイツ(BATES)〉。リアはリブフェンダー、アップスイープのマフラーもこのバイクを象徴するパーツのひとつです。

ヘルメットは自身の生まれ年と同じ1973年の初期型の『BELL R-T』。グローブへのこだわりは、基本的に柔らかくタフなディアスキンで、タンカラーのもの以外は使用しないそう。

70年以上前のバイクなので高年式のモデルと違い、真夏も真冬もどんな天候でも、セルスイッチを押すようにいつでもエンジンが掛かるかと聞かれれば、答えはNO。気温や湿度などを考慮し、乗り手とバイクの対話のような、染み付いたクセも理解しなければいけません。

「いつも自宅から少し離れた場所でエンジンをかけるんだけど、駐車場からそこへ行くまでが坂道だから、その前に必ず電装系はチェックしていて。でもあるときその日に限って(電装系のチェックを)やらなくて、そうしたら全然かからなかった。“たぶんバッテリーだな”って思ったんだけど、もう上げちゃってるから駐車場まで60mぐらいなのに、1時間くらいかけて汗だくで押したよね(苦笑)」

ネイティブアメリカ平原部族の正装色であるレッドとブラックを軸に、島さんのクリエイティブを投影したTOKYO INDIANS MC®のウェア。背中に飛び散ったオイルは路上で走り続けるバイカーの証で、男が男に惚れるという言葉がこれ以上似合う背中はありません。

〈インディアン〉は〈ハーレー〉や〈トライアンフ〉よりマイノリティな存在で、乗りはじめたころはいま以上に圧倒的に情報も見てくれるショップも少なく、トライ&エラーの繰り返し。だからこそ、知れば知るほど〈インディアン〉の細部まで丁寧な作りに魅了されたり、「大変だからってバイクを降りるのは1番カッコ悪いから、ここまで来ると結構意地だよ(笑)」と言うように、生まれつきの負けず嫌い&天邪鬼な性格もあって降りるつもりはなかったそうです。

「いろんな考え方があるけど、やっぱり乗りものだから乗ってなんぼだと思うところがあって。当時はレースありきというか、(他のメーカーと)どっちが速いかを競ってそれがビジネスに反映されていた時代で、〈インディアン〉が〈ハーレー〉よりも速かった。自分のバイクはどんなに頑張っても、180km出るバイクじゃないじゃん? でも実際の数字じゃなくて、乗っているときの体感スピード、フィーリングが大切なんだと思う」

Style 02:Lambda Takahashi with KYORIN CYCLE 100年の時を超えたメイドインジャパンの価値。

PROFILE

高橋ラムダ

1977年生まれ。スタイリスト白山春久氏に師事し、2008年に独立。雑誌や広告、タレントのスタイリングなどを手がける。マイブームの指スケは、好きが高じて家の中にミニスケートパークをつくるほどに。
Instagram:@tkhslmd

昨年の秋、自宅兼アトリエを駒場東大前から府中へと移した、スタイリストの高橋ラムダさん。職業柄、都心に拠点を構えている方がなにかと便利なはずですが、それでも郊外を選んだ背景には“自転車”というキーワードがありました。

「都心の騒がしさに疲れてきて、もう少しゆっくり暮らそうと思ったのがひとつ。もうひとつは、チャリンコが走りやすい平坦な道が多いところに住みたくて。あっち(駒場東大前)の方はアップダウンが激しすぎて乗る気がなくなっちゃうから(笑)」

自宅のガレージを覗くと、なんと15台もの愛車がずらり。自転車が引越しの決め手になるのも納得の数です。

「ヤフオクとかトレファクで、いい自転車を見つけては買っての繰り返し。服も同じなんだけど、俺、なにかを収集するのが好きなんだよね。埋もれた楽しみを探したいというかさ」

手に入れた自転車は、ローカルのサイクルショップと相談しながらメンテナンスとカスタムを行うのもラムダさん流。取材当日も、届いたばかりのスプリンガーフォークに目を輝かせ、「早く取り付けたい!」とウキウキしながら作業している姿が印象的でした。

そんなラムダさんにお気に入りの1台を聞いてみると、前置きとして、府中での暮らしをきっかけに自転車の好みが変わったことを教えてくれました。

「LAの文化が好きで、前まではローライダー仕様の自転車によく乗っていたんだけどね。なんか馴染まないというか、ここはLAでもマイアミでもないし(笑)。郷に入れば郷に従えじゃないけど、やっぱり街並みが好きで住んでるわけだから溶け込んでいたいなと思って、国産の自転車に切り替えたんです」

低く長いプロポーションが特徴の運搬車。ラムダさん曰く、「多分オーダーメイドでつくられた車体だから、160センチぐらいのおじさんのポジションに合わせてカットされている」とのこと。鉄製のロッドブレーキやフルフラットのハンドルなどの当時のスタイルを尊重しながら、〈ブルックス〉のレザーサドルなどで現代的なアレンジを加えている。

その国産車というのが、1920〜30年代頃のものとされる、いまは無きメーカー「鏡輪号」の運搬車。重い荷物を運ぶことを目的とした日本独自の自転車で、鉄製のロッドブレーキやフルフラットのハンドルなど、昔ながらの重厚なディテールが印象的です。その見た目通り、乗り心地は決して軽快とは言えませんが、レトロクラシックな1台だからこそ、スローな空気が流れる府中の街並みと調和したようです。

「昔は『自分の仕事に余裕を与えてくれる』っていう意味で、車にしても、自転車にしても、速くて滑らかな乗り心地のものが好きだったんですよ。でも、いまはただチャリンコで街をのんびり走れればそれでいいなって思うし、逆に遅い方が安心する。この運搬車は、俺にとっては日本版のビーチクルーザーみたいなものかな。重くて癖があるけど、一緒にお散歩しに行くみたいな感覚で乗れるから。近所のおじいちゃん、おばあちゃんにも『いい自転車乗ってるね』ってよく声かけられるんですよ。多分、それぐらいの年齢のひとたちからすると懐かしいんでしょうね」

大きな前輪がアイコニックな〈カワムラサイクル〉のだるま自転車。一輪車の延長とも言えるクラシックな車体に、あえてステンレス製のパーツやBMX用のグリップを組み込むことで、アナログとハイテクを融合させたスタイルに。ちなみに乗りこなすのは難しく、初めて乗ったひとは大体コケるそう。

府中に拠点を移す前に熱中していたローライダー仕様の1台は、1960〜70年代の〈ゼブラサイクル〉の折りたたみ自転車。「1台の中に色を多用しない」のがラムダさんなりのこだわりで、ベースのオレンジに対して、リフレクターにだけ赤を使った配色がポイント。

「鏡輪号」の運搬車を手に入れてから、車も〈ジャガー〉の「XJ」から〈日産〉のワンボックスに乗り換えたそう。それほどまでにメイドインジャパンに心を奪われている理由はなんなのでしょうか。

「つくりの精巧性だよね。例えばこの運搬車で言うと、しっかりメンテナンスが行き届いていると、すごくスムーズにネジが開け閉めできるのね。これはステンレスじゃなくて、鉄のネジだから感じられることなんだけど、まず100年以上前のものが残っていること自体がすごいし、その上で技術の高さを感じられるっていうのはとんでもないこと。それこそ『100年前の日本の自転車』って言えば、外国人は100万円でも買うんじゃないかな? ヴィンテージのデニムみたいにさ。まだその価値に誰も気づいてなさそうだけどね(笑)」。

Syle 03:Nakajyo Tomoaki with VOLKSWAGEN 1966 TYPEⅢ アメリカの空気を感じる、古き良き時代のドイツ車。

PROFILE

中條 知章

20歳から神保町の名店「キッチン南海」に入社し、その後料理長を担当。建物の老朽化により閉店した本店の歴史と味を継承し、2020年に独立し現在の場所へ。ハーレーダヴィッドソンを3台も所有するバイカーでもあります。
Instagram:@challenger5599

日本でよく目にする〈フォルクスワーゲン〉の旧車は、『ゴルフ』か『ビートル』がポピュラー。中條さんが乗る『タイプ3』は1961~1973年に製造され、なかなか街で目にする機会が少ない希少なモデルです。

「〈ダッヂ〉の『チャレンジャー』で仙台のドラッグレースに参加していたころ、『タイプ3』をサーキットで見ていたんです。お店のオープン資金のために『チャレンジャー』を手放したとき、次はのんびりと乗れるクルマがいいなと思って。ヘッドレストがなくて1600ccなどの条件に合う年式で探し、この“L633VWブルー”と呼ばれる純正カラーが決め手で、3年前に「トーアインターナショナル」でこの『タイプ3』を購入しました」

蓋がされたリアのエンジンルームのおかげで、その上をラゲッジスペースとして活用できるのが特徴のひとつ。1600ccの空冷エンジンはオーバーホールが施され、純正のツインキャブに電装系は6Vから12Vへと換装済。ナンバープレートの数字はクルマの年式!!

空冷フォルクスワーゲンの名店として名高い「トーアインターナショナル」らしい丁寧な仕事で、細部まで徹底的にレストアされた車体は50年以上前に製造されたとは思えないもの。中條さんが所有する『タイプ3』は2ドアワゴンの『ヴァリアント』で、輸出先のアメリカでは『スクエアバック』と呼ばれたモデル。最初は車高を下げてカリフォルニアルックにしようかなとも考えていたそうですが、乗っているうちに純正のスタイルのよさに魅了されたそう。ちなみに所有する2台のハーレーダヴィッドソンと、以前所有していた『チャレンジャー』もブルーだったほどの、生粋のブルー好きです。

「車重が軽いからスピードも出るし、左ハンドルのマニュアルもすぐに慣れました。3年乗っていてワイパーがだめになったくらいでそれ以外の不具合はないし、しっかりメンテナンスしてあれば問題なく乗れますよ。都内はもちろん、伊豆や長野、千葉の方へ走りに行ったり。これからの季節はエアコンがないので、夏の昼間は乗らず夜だけ乗るようにしますけど(笑)」

猛暑というより酷暑が当たり前になりつつある日本の夏で、エアコンが無いなんて考えられないという方が多いはず。それをポジティブに捉え、夜に走って夜景や夜風を楽しんだりするのは、単にクルマがAからB地点へ移動する手段だけではなく、旧車はロマンも乗せて走るものだということかもしれません。

現行にはない細いハンドルに、この時代ならではでヘッドレストもシートベルトもありません(法律的に問題なし)。ガソリンはボンネットを開けた左側に給油口があり、車体外側がスッキリしたビジュアルに。シフトノブは同じ『タイプ3』に乗る仲間が制作した、自宅近所の「IRON-COFFEE」のもの。

サイドにある三角窓はデザイン面でも機能面でも大切なディテール。リアのウインカーの造形やリクロームされたバンパーも美しいです。サイドブレーキの下のレバーは、赤はエンジンから暖かい風を、白は外気を車内に送るもの。ワイパーは当時のデッドストックのものへ換装しました。

走行している様子を撮影させてもらったときも、スムーズな車線変更や直線での加速は、現代の交通事情でもまったく問題ない走り。信号待ちや「キッチン南海」前での撮影中も、多くの人が足を止めて写真を撮ったり声をかけたりと、クルマに詳しくてもそうでなくても、“古き良き時代のものづくり”なクラシックなビジュアルは、乗り手だけでなく理屈抜きに目にした人の感性を刺激するはずです。

「自分は旧いクルマやバイクの造形美に、運転をするときの操作している感覚がすきなんです。先日本牧であった『タイプ3』を集めたミーティングでは、北海道や九州から来た人もいたりして、旧い乗り物に乗っているから知り合って、「キッチン南海」に食事に来てくれる友人もたくさんいます。すごくありがたいことですよね」

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