こだわりの音響から流れる音楽を大音量で聴きたい。でも、クラブはちょっとハード。もっとカジュアルに落ち着いた環境で音に身を委ねたいし、会話もお酒も楽しみたい。そんないまの気分にぴったりなのがレコードバー。ストリーミングサービスでいくらでも音楽を聴ける時代だけれど、やっぱりレコードは音がいいし、ジャケットのデザインや盤面に針を落とす仕草など、アナログだからこその魅力が詰まっている。本連載では、ぼくらが気になるレコードバーにお邪魔し、その店の個性や魅力を紐解きます。第3回目は「溝」。
- Photo_Mikito Hyakuno
- Text_JAY
- Edit_Kazuki Sakaguchi
PROFILE
2001年生まれ。恵比寿のレコードバー「A10」など都内のバーやクラブでバーテンダーとして技術を磨いた後、新宿のレコード屋「ダブストアレコード」に勤める。日本を代表するアートギャラリー「タカ・イシイギャラリー」主宰の石井孝之を父に持ち、同ギャラリーが2026年7月にオープンしたミュージックバー「溝」で店長を務めている。
タカ・イシイギャラリーが仕掛ける、バーとアートの交差点。
ーまずは、「溝」を手がけている「タカ・イシイギャラリー」とはどんなギャラリーか教えてください。
ぼくの父である石井孝之が1994年に開廊した現代アートギャラリーで、現在は都内のほか京都や前橋など、全国6箇所で展開しています。もともとは写真を中心とした展示が多かったのですが、最近はペインティングの展示も積極的に行っています。実績のある作家だけでなく、新進気鋭の若手を起用するなど、幅広くキュレーションしていますね。
ー裕さんもギャラリーの運営に携わっているんですか?
いえ、過去にちょっとバイトしたことがあるくらいで、ほとんど関わったことがなくて。僕自身は恵比寿の「A10」をはじめ、バーやクラブでバーテンダーとして働いていました。ただ、やっぱりアートはずっと身近なところにあって。世代の近い作家さんたちとはギャラリーを通じて交流ができて、一緒に遊んだりしていますね。
ー「タカ・イシイギャラリー」がミュージックバーをオープンした経緯を教えてください。
父は以前からカフェやバーを開くことに興味を持っていたみたいで、たびたび口にしていたんですよね。「タカ・イシイギャラリー」で扱っているのは視覚に訴求する作品が主ですが、飲食店であれば味覚や嗅覚、聴覚など、五感で感じることができる。そういう場をつくろうとしていたんだと思います。
そんなタイミングで、ちょうど僕が知人と一緒にバーをやろうっていう話をしていて。「だったらウチでやれば?」って父が提案してくれたんです。本気かどうか分からなかったんですけど、実際に物件を探し始めたあたりから「あ、本気なんだな」と。僕も本腰を入れて準備を始めました。
ー外苑前という場所を選んだのは?
もともと、ギャラリーのある「タカ・イシイギャラリー 六本木」の近くに絞って探していました。ただ、六本木は再開発の影響で入居後数年で出ないといけない物件が多かったんです。そこで、知り合いのお店が何軒かあってなじみがあり、六本木からも割と近い外苑前を選びました。「スキーショップジロー」の近くというわかりやすさもポイントです。
ー内装からはギャラリーが背景にあるからこその美意識が感じられます。
テーブルやソファなどのインテリアは、主に父が集めていたものです。内田繁やマルタン・ゼケリが手がけた、80年代のポストモダンの家具が中心ですね。壁にかけている写真はロバート・メイプルソープ、花瓶は倉俣史朗の作品です。
内装は「ブロードビーン」という、「タカ・イシイギャラリー」の内装も手掛けている会社にお願いしました。こだわったのは、あえてレコードを見せたことです。ぼく自身バーでひとりで飲むとき、洗練されたお店とかだと緊張感があって、目線をどこにやればいいか迷うことがあるんですよね。
だけど目の前にレコードのアートワークが並んでいたら、ちょうどいい行き場になるんじゃないかなと思って。全部隠したほうがスッキリはするけど、それだと整然としすぎて目線のやり場に困ってしまう。あえて見せることで親しみやすさを演出しました。
ーギャラリーと連動した企画なども行うんでしょうか?
特に予定はないですが、このお店をきっかけに、お酒や音楽はもちろんギャラリーやアートの世界に興味を持つひとが増えてくれたらうれしいですね。ギャラリーに対して敷居の高さを感じるひとも少なくないと思うんですけど、ミュージックバーを入り口にすることで裾野が広がるんじゃないかなと。
こだわりの音とドリンクを、ラフに楽しんでほしい。
ー店名の由来を教えてください。
レコードの溝から取りました。僕自身が音楽が好きで、これまでレコードバーやレコードショップで働いたり、ヒップホップ、ソウル、ファンクを中心にバイナルDJもやっているので、レコードには特別な思い入れがあります。
また、ワインの勉強のためにフランスの生産者を訪れたのですが、ブドウ畑の幾重にも連なる畝がまるでレコードの溝みたいで、その光景がすごく印象に残ってたというのもありますね。
ーお店にはどのようなレコードを置いているんですか?
ジャズやワールドミュージックを中心にオールジャンルに幅広く揃えています。五木田智央さんや、NY在住のアーティスト・サーニャ・カンタロフスキーさんなど、繋がりのある方がアートワークを手掛けているものは、ジャケットが見えるように並べています。ほかにも、森山大道さん、奈良美智さん、KYNEくんなど、世代やジャンルを問わず自分の好きなアーティストがジャケットを手掛けている作品を並べています。
ー特にお気に入りの一枚を教えてください。
デイブ・ブルーベック・カルテットの『Take Five』ですね。5拍子という変拍子が作る心地よい違和感と、ウエストコーストジャズ特有のクールな空気感が好きなんです。普通ならちょっと不自然に感じるはずのリズムなのに、あの一定のピアノのループにポール・デスモンドの涼しげなサックスが乗っかると、いつの間にかグルーヴに引き込まれてしまう。その絶妙なバランス感がたまらないですね。
ー音響はどのように決めましたか?
スピーカーはイタリアの〈ソナス・ファベール(Sonus faber)〉で、アンプは日本の〈Accuphase(アキュフェーズ)〉ですね。機材選びで重視したのは、まるで目の前で演奏しているかのような音の立体感や奥行きを表現してくれること。〈アキュフェーズ〉のアンプは、初めて試聴したときに、細かな音まで素直に拾ってくれる丁寧なつくりがすごく気に入って。お店を始める話が出たとき、絶対にこれを使おうと決めていました。
このアンプに合ったスピーカーって何だろうと思っていろいろ聴いてみて、丸みを帯びた優しい音なんだけど、しっかり聴こえる〈ソナス・ファベール〉のものがしっくりきたんです。会話もしやすいし、イメージにぴったりでした。
ードリンクのこだわりも教えてください。
ビールやお茶割りなどスタンダードなものだけでなく、ミクソロジー(※1)の技法を取り入れていたカクテルも用意しています。甘さでごまかさず、「蒸留」や「発酵」といった技術を使って、素材の純粋な香りや旨味を引き出すことも意識していますね。
※1 : 混ぜるを意味する「mix」と、学問を意味する「ology」を合わせた造語で、新鮮な果物、野菜、ハーブなどを蒸留酒と組み合わせ、科学的な技術や自由な発想でカクテルをつくること。
アロマウォーターを蒸留している様子 / 自家製コンブチャ
例えば、自家製のコンブチャで酸味を加えたマンハッタンや、自家製塩麹をアクセントにしたエスプレッソマティーニ、塩麹とバターウォッシュドジンを使ったフローズンマティーニなど、実験的なオリジナルカクテルはぜひ試してほしいです。
いまの時期だと、キュウリと花椒を蒸留してつくったボタニカルウォーターで香り付けした、夏らしいメスカルネグローニがおすすめです。キュウリはスマッシュすると青臭さやえぐみが出るんですが、蒸留することで爽やかな香りのみを抽出できるんですよ。
右:コンブチャマンハッタン 左:キュウリと花椒のメスカルネグローニ
ーミクソロジーに関心を持った背景を教えてください。
「A10」で働いてたときに、カクテルってただお酒を混ぜるだけじゃなくて、科学なんだということを学んで。温度や組み合わせ、混ぜ方などのさまざまな要素を論理的にかけ合わせることでおいしさが生まれるのが奥深いなと。
そこに発酵や蒸留を取り入れることで、無限の組み合わせを試行錯誤することができる。失敗したと思ったら意外と美味しかったり、じゃあなんで美味しくできたんだろうと考えたり探求するのが面白くて。いろんなレストランやバーで話を聞いて、トライアンドエラーを繰り返しながら自分なりの美味しさを目指して勉強しています。
ーナチュラルワインにも力を入れているそうですね。
ワイン好きの両親の影響で僕もハマりました。ソムリエをしている母と一緒に、シャンパーニュとブルゴーニュでワイナリー巡りをしたりもしましたね。ワインって、製法とか法律とか、いろんな決まりがあるじゃないですか。そういう縛りがありながら、自分たちの目指してる味を追求し、ブドウだけで直球勝負してる。そこに魅力を感じました。
飲みながら味わいや感想を言語化する、ワイン特有のカルチャーも好きなんです。液体としっかり向き合ってる感じがなんかカッコいいじゃないですか。香りや味わいの幅が広く表現方法が細かいからこそ、いろんな感想が聞けるのも面白いなと。
ー最後に、今後の展望を教えてください。
音楽の面では、週末にDJをブッキングして普段と違った楽しみ方ができるような日もつくっていきたいと思ってます。と言ってもパーティやクラブイベントのような派手な感じではなく、あくまでセレクターとして「溝」で過ごす時間を彩ってもらえたらなと。
お酒に関して言えば、自分で畑を持ち、育てた野菜やスパイスを材料にしたカクテルやジンをつくってみたいですね。
外には看板も出してないし、ミニマルな雰囲気だけど、身構えずにラフに遊びに来てほしいです。ここもギャラリーもカタいところじゃないので、お酒や音楽、アートや家具を気楽に楽しんでもらえたら、それがいちばんうれしいです。

