HOME  >  BLOG

Shop / Brand Blog

田中恭平ELIMINATOR PRESS 代官山のセレクトショップ”ELIMINATOR”のPRESS。世界に一店舗だからこそ出来る事、世界に一店舗だからこそ言わなくてはいけないコアな情報や新たな価値観の提案を発信していけたらと思っています。www.eliminator.co.jp

From MANCHESTER and LONDON to TOKYO

田中恭平
ELIMINATOR PRESS
代官山のセレクトショップ”ELIMINATOR”のPRESS。世界に一店舗だからこそ出来る事、世界に一店舗だからこそ言わなくてはいけないコアな情報や新たな価値観の提案を発信していけたらと思っています。

www.eliminator.co.jp

Blog Menu

Mr.RAF SIMONSインタビュー②/FANTASTIC MAN issue14

2012.01.14

このエントリーをはてなブックマークに追加
RS5.jpg
ANTWERPにあるRAFの自宅は3フロアからなる1960年代に建てられたアパートメントである。入り口にある古いリフトは直接リビングルームへとつながっている。キッチンはウッドパネルで作られたオリジナルのもので以前のオーナーが組み込んだものであるが、これらは使われていない。バルコニーは建物の大きさ全てに渡っている。このアパートメントはこの街にある三つの大きな通りの中央にある。「この場所の雰囲気が好きなんだ」。RAFは語る。「以前は殺風景な白いミニマルなところで仕事をして住んでいたけど、もう飽きてしまった。僕はミラノにも60'Sのアパートを持っていてね。そこもとても良いフィーリングだよ」 (ミラノではおなじ通りにMIUCCIA PRADAとDONATELLA VERSACEも住んでいる)。
 
彼のリビングルームは決してアートギャラリーのようなものではない。しかし、一つの壁にはアメリカンアーティストMIKE KELLEYによる大きな絵が飾られている。さらに中央の部屋には、大きく突き出した不安定な見た目のEVAN HOLLOWAYによるスカルプチャーがある。これはRAFが始めて購入した大きなアートピースである。そして階段下にはコンクリートで制作されたJIM LAMBIEによる作品と12インチのアルバムカバーがあり、非常に整然とした印象でまとめられている。
 
「これらの作品は自分でクリーンアップしているんだよ」。RAFは語る。「僕の母は掃除婦としてプロフェッショナルに生きた人だから清潔感は自分の血のようなものだね。しかしここANTWERPの家では掃除は終わることのない作業で、ミラノから戻ってくると又、ホコリだらけになっている。だから最終的にはメイドを雇ったよ」。
 
さらにアパートメントはスペシャルな家具で装飾されている。ダイニングテーブルとそれに合わせた椅子はGEORGE NAKASHIMAによるもの。クラブチェアとセットのソファはPIERRE JEANNERETによるもので、インドのチャンディーガル市で使う為に特別に作られたものである。「これらは今後、見つけるのがとても難しくなるよ」。RAFは語る。チャンディーガルは1950年代にLE CORBUSIERのユートピアシティー構想として選ばれた街である。長い間忘れ去られていたこの街も現在ではユネスコの世界遺産リストに登録されている。「街のほとんどはアートディーラー達に荒らされて何も残っていないような状態だよ」。RAFは語る。「これは悪い事であるし僕は非難されても仕方ないかもしれない。でもね、他の見方をすると僕たちがそれらを拾い上げなかったら彼らは全て燃やしてしまっていたと思う」。チャンディーガルの人達はJEANNERETのモダンデザインの美しさを見落としている。RAFは巨大なパイル素材の椅子の写真を僕に見せてくれた。それはまるでインドのオープンエアな場所を模したようなものに見えた。
 
RS6.jpg
RS7.jpg
RS8.jpg
RAFはドイツの国境から程近いところにあるNEERPELTというベルギーの北西にある街で生まれた。インダストリアルデザインをGENKという街にて学んだ彼は語る。「僕が学校で学んでいた時にはヴィンテージデザインを失笑していたね」。彼は回想してさらに語る。「皆がPHILLIPPE STARCKのデザインにはまっていた。彼を知っているかい?ものすごいよね...」「では、、、RAFの家具デザインは優れていた?」「思い出せって?いや全然ダメだったね。僕は大きな計算機のようなチェスターフィールドスタイルの台車付きレザーソファーを作った事がある。唯一それはクリーンで宇宙船みたいで良かったけどね」。これらの作品をRAFは全く保持していないそうだ。「全ては友達にあげてしまった。多分僕の家族は幾つかのスツールを持っているんじゃないかな」。
 
その後RAFは、WALTER VAN BEIRENDONCKの下でのインターンとして家具デザイナーとしてのキャリアを歩み始める。そこで彼はパッケージデザイン、椅子、家具などを担当した。その際にVAN BEIRENDONCKはRAFをパリへと呼んだのであるが、そこで彼は初期のMARGIELAのショーを目の当たりにする。「僕がファッションを作るなんて思いもしなかった」。RAFは語る。「だって僕のクローゼットでファッションと呼べるものはDIRK BIKKEMBERGSの靴くらいのものだったからね」。
 
彼のメンズウエアへの階段はすぐに開かれ、1995年には自身のブランドを設立。そして1997年には早くも初のランウェイショーをパリにて開催する事となる。そこで彼のカルトでダークな世界観のコレクションはセンセーションを巻き起こすのである。スリムなテーラリング、KRAFTWERKからのインスピレーションによるショー構成、彼の話す言語そして若さ。2000年の1月にパリで行われた彼の8番目にあたるショーは私が始めて見たものであったが、これは非常に印象に残っている。コレクションタイトルを"CONFUSION"としたこのショーではブラック、ホワイト、グレーをメインカラーとして、数人のモデルはスポーツカーのデロリアンや黒いリムジンに乗って登場した。RAFは語る。「あれは僕の中でもフェイバリットなショーの一つだよ」。しかし現在の心境では「実はあの時、全てに飽き飽きしていたと思う。僕は31才で18人ものスタッフを抱えていた。全てはあまりにも早く大きくなってしまい逃げ出したい気持ちだったんだ」。
RS9.jpg
それでどうしたか?RAFは彼自身のメゾンをクローズしてしまいファッション界から逃れて安息を選んだのだった。しかし1年後には"RIOT,RIOT,RIOT"という復活にとても相応しいタイトルのもとにコレクションを発表している。このコレクションではとにかくレイヤー、レイヤーというルックが目立ち、フードブルゾン、ボンバーJKT、ビッグコートなどのアイテムを多用してモデルの顔はスカーフで覆われていた。それらはRAF独特のシャープなテーラリングにてまとめられており、PUNKイメージ(SEX PISTOLSのイメージ)をTシャツに用いて表現したものだった。しかし、それは薄汚れた行儀の悪さを表現したものではなかった。このラディカルなイメージは継続されるものではなかったが、メゾンRAF SIMONSの毎シーズンのコレクションにうまくミックスされる事となった。
 
RAFは常に自身のショーにおいてアントワープのストリートでハントした少年を起用する。彼はショーにおいてのコレクションを少年が着る服のごとくデザインするが、しかし少年の為の服とは考えがたい。
「君も知っているとおりティーンエージャーはジーンズにTシャツを着ているよね。でもそれは僕が作るものではないんだ」。彼は言う。「僕は人の青春期と成熟期の末端で起こる事の心理学的な側面に興味をそそられるんだ」。彼のコレクションは年老いた人々の服を若者向けのカッティングで製作したように見えるケースが多い。特に彼の初期のショーにおけるブラックスーツにグレーのカーディガン、ケーブルニット、ロングコートなどなど...。 しかしそれらは常にユースカルチャーからの影響下にある。MANIC STREET PREACHERSがセーターを着ている写真、NEW ORDER、そしてJOY DIVISIONの楽曲。反乱を連想させる様々なスローガンやセンスなどにRAFのイメージソースの根源がある。
 
昼食をとった後に幾つかの話をしてRAFは立ち上がり音楽を変えた。ここ2時間はTHE XXのデビューアルバムをリピートにてかけていたのだが...。「ちょっと戸惑ったかい?」。彼は言う。「でもね。これが昨年ずっと聞いていた唯一のアルバムなんだ。常にかけていたね。初めはあんまり好きではなかった。なぜなら憂鬱になるような音だからね、まるでANNE CLARKみたいだと思った。しかし逆にそこが僕にとってはフックとなった、これは新しいクラシカルミュージックと言えるね。決して退屈なものではないよ」。

この続きはまた明日、本ブログにアップ致します。

※コメントは承認されるまで公開されません。