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川田十夢公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。https://twitter.com/cmrr_xxxhttp://alternativedesign.jp/

青雲、それは君が見た光。

川田十夢
公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。
https://twitter.com/cmrr_xxx
http://alternativedesign.jp/

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「本末」から始まる「転倒」について

2011.08.16

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本末転倒から生まれるグルーヴ感(以下「本末転倒グルーヴ」)について考えている。根本的で重要なことと、取るに足らないことを取り違えることから生まれる位相逆転の速度なりリズムなり景色なりを重要視してみるという、本末転倒なグルーヴのことについてである。

「本末」:
僕は今、複数の原稿の〆切に追われている。考えるために書くという僕のスタイルは、いわゆる消費型ではない。すでにあるアイデアを書いているのではなく、考えるために書いているのである。この文章も考える為に書いているので、ここで時間を奪われたところで、〆切に何ら影響はない。ことはない。時間の有限の前に、想像の無限は無力でもある。
本末の「本」と「末」の間には、自ずと距離が生まれる。意味と無意味が織りなす面積だとも言えるし、緊張と緩和の緩急とも言える。グルーヴ感を出すには、その二点は離れていた方がいいのかも知れないし、近似値の中でそわそわしててもいいかも知れない。

先週、林雄司さんの牛肉きどりという本を読んだ。我ながら分かるようで全然分からない「本末転倒グルーヴ」について書かれてある気がしたからだ。彼の最初の自著作となるこの本には、108本のコラムが入っている。処女作というのは何かと力が入るだと思うのだが、この108本のコラムのうちの60本以上が「ガスタンク」について書かれている。この構成だけ見ても、彼が脱力に満ちたグルーヴの持ち主であることが分かる。読み進めてゆくうちに、僕の予感は次第に実体化されていった。「先人の凡ミスを受け継ぐ」というコラムのなかで、ドルの漢字表記「弗」と「$」は確かに似ているけど、よく見ると真逆だし全然違う。「よく見ろ」と、先人に苦言を呈していた。大阪の吹田市は「ふく」と「すう」が入れ替わってしまっているし、千葉県の八街市は「やちまた」というより「やまちた」だと続けている。この先人の凡ミスを「さらに増幅させてゆきたい」と締めくくっている。林さんは「本末転倒グルーヴ」の存在に気付いているに違いない。
林雄司さんの本は、実は結構前から手元にあった。でも、ずっと読まないでおいた。計算ドリルの答えを見るような後ろめたい感覚があったからだ。実際読んでみたら、僕とは違う位相にいるし、モノサシも違うことが分かった。においカミングアウトは未踏分野とも言える嗅覚の辞書だったし、小エロのひみつは空間軸のエロティシズムの引き出しだった。同じものを見ても、モノの考え方が違う。表現手法も違う。会話と対話でマルチアングルを楽しめる数少ない人だということが分かったので、また呑みに行きたいと思っていたら、林雄司さん本人からtwitter越しにリプライが来た。インドネシアからだとは思えない気軽さだった。金曜の夜の浮かれ具合だった。どこに居ても曜日感覚が変わらない人のことをグルーヴィーっていうのだと思った。

「転倒」:
転倒という小説がある。ディック・フランシスという元騎手の作家が残した推理小説だ。彼の一連の競馬推理小説の翻訳は、菊池光という翻訳家が一人で手掛けている。タイトルを「本命」「度胸」「興奮」「大穴」「直線」とするなど、全て漢字二文字の邦題を与えている。それをルール化することで、同シリーズに整然とした緊張感を与えることに成功している。ある時代における翻訳家というのは、同時にコピーライターとしての役割も担っていた。彼の手によって、ジョン・ブラックバーンの"For Fear of Little Men"は「小人たちがこわいので」となり、トマス・ハリスの"The Silence of the Lambs"は「羊たちの沈黙」となった。加える手数を最小限に留めながら、英語に内在するイディオムを見事に翻訳した。

少し前のことだが、ドクター中松を訪ねたことがあった。都知事選直後ということもあり、とても気落ちした様子だった。でも、僕にはこのタイミングでいくつか聞いておきたいことがあった。露骨に口を開かないドクター中松に、僕はAR三兄弟としての発明の数々を見せてご機嫌をうかがった。現在のコンピューティングの基礎を作ったのは、まぎれもなく彼だ。フロッピーディスクもハードディスクも、彼の発明なくして語れない。記憶媒体あってのプログラムだし、拡張現実なのだ。
ルーツ・オブ・コンピューティングなドクター中松を前に、僕は嬉々としてネタを続けた。ビームを出したり、鳩を出したり、一通りネタを終えても彼は無言だった。僕は、ルーツとかアイデアの根源に対するフィードバックができない表現なんて辞めてしまえと常々考えている。だから、この時も辞めてしまおうかと思った。が、中松の目は何かを考えている目なんじゃないかと、ある瞬間から僕は持ち直した。ネタがドクター中松とどういう関係があるのか、このAR三兄弟という連中は自分のことを本当に理解しているのか。僕は、彼の発明について、コンピューティングの基礎について、その発明の連続性について、敬意を以て段階的に話すことにした。数分後、彼は気持ちよく会話を楽しんでくれるようになり、最終的にはAR三兄弟のことも「いいセンいってる」と褒めてくれた。直前にエジソンをディスっていた人物からの褒め言葉。真に受けておいた方がいいと思った。最終的には、AR三兄弟の似顔絵つきのサインまで頂いた。この模様を収めたTVBros.の対談記事も、たいそう気に入ってくれているのだそうだ。よかったよかった。

そうそう。この文章を書き始めようとおもったのは、「ねじ山2011」の開催日が9/23から9/24に変わってしまって、秋分の日に山登って帰りに浴場寄るというだけで考えたサブタイトル「秋分(醜聞)と浴場(欲情)」が使えなくなってしまったからだった。でも、なんか書いてるうちにどうでも良くなってきた。この状態こそ、本末転倒グルーヴそのものだと気付いたからだ。このグルーヴに付いてこられる登山者の参加表明、お待ちしております。

ねじ山2011 -Climbing for Beer and Floppy-
要は、みんなで山登って、山でビール呑んで、ふろッぴィディスクに思い出を記憶させようとするイベントです。身体的にも精神的にも健康的な企画。山かねじかフロッピーかお風呂が好きな方は、どなたでも参加することができます。「ねじとねじ回し」のような信頼関係を築くことも、「森と電気ノコギリ」のようなキリキリした関係を築くこともできるユニークなイベント。ご気軽に参加ください。お申し込みはコチラから!

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