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川田十夢公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。https://twitter.com/cmrr_xxxhttp://alternativedesign.jp/

青雲、それは君が見た光。

川田十夢
公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。
https://twitter.com/cmrr_xxx
http://alternativedesign.jp/

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ジオメディアを研究するまえに、土地の力を知ろう。

2012.08.10

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たとえば、土を蹴り上げたら砂埃が舞う。それは一様ではない。どんな場所で、どんな気持ちで、どんなふうにそれを蹴り上げるのか。そこには、どんな風が吹いているのか。靴は汚れるのか。気分は晴れるのか。

「土地の力」という日本文学記念館が主催するシリーズ講演に通った。「土地に隠された文学の源をめぐって、ご自身の体験や読みを通して、じっくりと語っていただきます。 」とホームページにある通り、作家や歌人や詩人や評論家がそれぞれ土地に関する話をしてくれるという。ちょうど作家の声というものに興味があったので、気軽に参加してみることにした。以下は、その走り書きである。

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中沢新一:谷崎潤一郎と織田作之助-大阪アースダイバーから-
朝鮮半島南部、伽耶(かや)という国。四世紀くらいまでは、北九州から山陰までは同一の文化を築いてきた。稲作技術が同時期に持ち込まれたというのは誤りではないか。新羅とか百済と言ったりしたが、伽耶の人だった。彼ら(難民)が大阪に上陸してきた。太陽がかみさま。伊勢神宮の信仰。稚日女尊。天照大御神。日本の新党の歴史を考える上でとても重要。梅田も御堂筋も、また水のなか。巨大な古墳群。堺のちかく。大和川の源流付近。こんもりとした土。
大阪は野性的な文化。谷崎潤一郎の阪神見聞録。これを読んだとき、インドを旅行した時のことを思い出した。なんか、阪神はカルカッタと変わらないじゃないか。陰翳礼讃を思い出してください。谷崎はこの状況が嫌いじゃない。

「大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便させる人種である。」 谷崎潤一郎(阪神見聞録)

今東光。お坊さん。この人がいなかったら、瀬戸内寂聴は存在してなかった。勝新太郎の悪名は彼の原作。河内のおっさんの顔が見えてくるような作品。闘鶏の興奮は、中国南部のトランスに似ている。海洋文化の匂いがする。猪飼、猪を飼う人々。豚を飼う人々は誰でしょうか。ポリネシア、海洋民の文化。南九州に住んでいたハヤト族が日本書紀に出てくる。我が国皇室の歴史、古事記。ニニギがハヤトの王女(コノハナノサクヤビメ)と結婚した。顔に牡蠣をはりつけたような女(イワナガヒメ)と一緒に。イワナガヒメをチェンジしたのが原因で、日本人は短命に。今東光は河内を愛した。

織田作之助。船場。クール。計算高い。恋愛結婚は御法度。ボンは恋愛に情熱的。経営がうまくいっても、妾の家で打ち合わせできないと駄目。なめられるし、経済的にも無駄が多い。夫婦善哉。ボンが芸者さん上がりの人と一緒になる。遍歴を繰り返す。母親を求める。光源氏と同じ。山崎豊子も船場。ボンを演じたのは市川雷蔵。女性に甘えるだけ。織田作之助はそれを越えなくてはいけないと考えた。谷崎の細雪は、三姉妹。船場のクールな恋愛を描いた。モーパッサンやスタンダールに肉薄する。太宰さんなんかは駄目なんだと思う。

作家の声を知ることはいいことだ。何を根拠にして、何を掘り下げて、どうおもしろい話を展開するのか。自分の世界に引き込む手の内が、ライブで明かされてゆく。例えば、作家の声を通して聞く古典は、いつも瑞々しい。昨日書かれた話なんじゃないかと思える。モチーフの向こう側でしっかり呼吸しているから適うことだと、あとから理解する。

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高橋睦郎:歌枕とトポスの力

聴衆のために言葉を単純化しきれない作家の声を聞くのも、またいい。因数分解の限界は、逆にモチーフのユニークを物語る。要するにカタカナの多い講演であった。

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木内昇:文士日記にみる東京

声に魅力のない作家が織り成す、饒舌とは真逆の緊密もいい。吃音と冗長が、ある一行を辿ることで息を吹き返す。すとんと腑に落ちる。鮮明が宿る。これもまた、文学である。

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川本三郎:鉄道が作り出した風景

昔は鉄道好きなんていうと女性は口を聞いてくれなかったが、最近では鉄子なんて言われて状況が変わった。私もカミングアウトした。
夏目。三四郎。福岡、山陽本線、東京。芥川。蜜柑。切符を持たない汚い女の子。横須賀線。トンネル。見送り。蜜柑投げる。谷崎潤一郎。細雪。電車恐怖症だったはずなのに、うっかり書いた。松本清張。鉄道を描くには理由がある。昭和三十年代は鉄道の黄金時代。人の移動が活発になった。時代と作品が重なった。点と線、時刻表トリックは国内初。砂の器。亀嵩(かめだけ)。三次線。小説によって有名になった空前絶後の駅。スイッチバックが多い。蕎麦屋を兼ねている。駅長は店長。北海道、留萌本線。増毛町駅、駅ステーション、高倉健。鉄道が描かれているが、電車の中の人間風景が主となっている。ローカル線のボックス席が少なくなっている。ロングシートで食べる駅弁は味気ない。話は脱線するが、東京駅で売ってるシュウマイ弁当はうまい。一冊まるまるそれを描いた漫画(「なぜ今日もシウマイ弁当を買ってしまうのか?」ラズウェル 細木)まである。
一人旅をすると、風景がとても大事になる。最初にそれをや楽しんだのは、林芙美子。風景を見ている。初期の短編、風琴と魚の町。窓から見える風景から、これからの人生を決める。尾道に住む。瀬戸内に面した綺麗な町。志賀直哉の暗夜行路。小津安二郎。東京物語。志賀へのオマージュ。戦争未亡人原節子。鉄道が去ってゆくラストシーン。列車は人を乗せて走る。人生を重ねやすい。
林芙美子。漁師町。海が大事になってくる。津波を見てから、おおっぴらに海が好きだといいにくくなっているが、海が好き。東京から近い海は湘南と千葉。前者はおしゃれ、後者はまだ未開発なところがあっていい。夏目漱石。こころ。房総半島を鉄道で旅する場面がある。海水浴を最初にうたったのは、大磯。近藤敬太郎の作品の例外を除いて、にほんには海洋文学が少ない。作家にとって、房総半島の海辺が特別な場所になる。
鉄道というのは、最初から終着駅が決まっているわけではない。鉄道が風景を発見する。フランスの印象派。19世紀半ば。パリに住んでいた画家たちが海を知った。林芙美子は画が好きな人だった。画家たちが房総の海辺に興味をもっていたのも知ってた。林芙美子のデスマスクを書いた画家も、海辺が好きだった。
安田たけしという評論家。庶民は房総半島へゆく。三島由紀夫。竹岡駅。海が見える駅。吉行淳之介。五十代は房総半島にハマった。中年房総族として、本まで書いた。全然売れなかった。汽車というタイトルの唱歌。夏目が三四郎を書いた時代に歌われていた。短い歌詞の中に、日本の四季を織り込んでいる。(じいちゃんばあちゃんのコールアンドレスポンス)。箱庭のようなこじんまりした街や田畑を走り抜けてゆく。子どもたちが、こんなにも鉄道が好きな国はない。近い鉄道、略して近鉄。東海道本線。熱海。相模湾。
鉄道に乗ることによって、風景を発見できる。3.11以降、海辺を礼賛できなくなってきたが。三陸鉄道乗ってみてください。

川本三郎という人の印象がガラっと変わった。もっと悪い意味で難しい人だと思っていた。本を読んでみよう。

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浅田次郎:江戸の基礎知識

暑いの苦手。いい原稿は大体冬に書いてる。時代小説大ブーム。読むより早く書く作家。今の電気屋さん、売ってるものの9割知らない。60才だけど、古い人間。ここは昔デパートだった。江戸時代は、蜂須賀家の上屋敷。隣の国際フォーラムは、土佐藩の上屋敷。大名家、270-280人。いまでいうとこう、みたいな言い方があるが、近代の考えとはまるで違う。違うものとして楽しんだ方がいい。東京オリンピックの際に、破壊されたものが結構ある。お堀の周囲には、大名の上屋敷がならんでいた。江戸の古写真。ブラックアンドホワイトの世界。白黒でも色褪せない。秀吉。小田原征伐。道中、家康に命令。関東威風。家康は悩まない。忍耐と決断の人。女房子供殺したのはおいておいて。当時の江戸は戸数百戸程度。水運、海運が当時は一番の流通経路。水利の読み。テンカブシン。土木工事をはじめる。神田駿河台、人の手によって山を崩しただろうなという場所がある。だんだん、プラタモリみたいになってきた。ここは、やっぱり暑い。埋立地だから。湿気が強い。新宿の方がまし。尾根道。高いところにある。渋谷は谷。湿度が高い。しかし、二百六十年を一時間で話すと難しい。東京湾はいまだに埋めたて続けている。てんかぶしんは、家康五十歳。いまでいう七十歳。老人。江戸時代を作ろうとは考えていないが、江戸文化を作ろうとはしていた。デザインしていた。形から入る。見栄っ張り。中身がついてくる。九年後に関ヶ原。1600年。将軍宣言。江戸幕府開府。幕僚の幕、軍隊の司令部。軍事政権を意味する。武士が作った軍事政権。信長と秀吉はなぜ幕府を開かなかったか。まだ準備できてなかった。子飼いの家臣の成長。譜代大名。大名の半分は愛知県出身。40%は岡崎周辺。家康は人を作るのがうまかった。夏の陣。翌年、鯛の天麩羅を食べて死亡。胃癌だったらしい。江戸城の縄張り。大手門、馬場先門。二重橋。姫路城。ぜひ行ってください。世界遺産。江戸幕府は大名から一切税金をとっていない。天領から上がったものだけで、なんとかしていた。二百八十の国の、いわば合衆国。これで成立してたおおらかさ。知性は凄い。こういう目で時代小説を楽しんでください。一週間働いたら、一週間休む。日が沈んだら、働かない。一刻は二時間。寛容に。

作家が伝えるべきは、正しい情報ではない。

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稲葉真弓:志摩半島 地霊との出会い

半島。土地が持っている不遇。それがもととなる、やさしさというものがある。磁力のようなものを、脳に感じる。見ると言葉が生まれてくる。震災。ふるさとを奪われた。目地区茶にされてゆく過程を見せつけられた。私にとってはかけがいのないものではないかもしてない。ふるさとを奪われる気持ちとは、どういうものなのか。被災地への警戒が解かれたあと、現地に戻って自殺をした人の記事を読んだ。私はそういう死もあるだろうと思った。

凛とした女性の声には、明確な視点とやさしい視線が備わっている。故郷との距離が、すなわち文学者の視点でもある。

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葬式には何を着ていくか。香典はいくら包むか。墓に入るにはいくらかかるか。死がふんわり漂う会場。

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藤田宣永:三島由紀夫の場所(トポス)

灰野みたいな風貌。寺尾あきらのような低音。オリンピックと寝不足の導入。

風土。哲学者。中村悠次郎。トポス。中上健次。水上勉。引越。転勤。結婚。逃亡。隠遁。ホームレス。旅。土地にひきつけられる。みんなパリにいきたい。都会と田舎。海か山か。国か外国か。日本人は国籍を捨てない。藤田嗣治は捨てた。高校のとき、福岡から東京へ。ビートルズ来日。1966年。ホームシックはなかった。ベケット、マルクス、ディスコ。共同体、孤独死。村八分という言葉もある。一面的に語れない。共同体は異物を嫌がる。排除、同化がはたらく。みんな一緒じゃないといけない。フランスにおいては、僕は異物でった。町内会なんてパリにはない。ファジーな感じの共同体。親しいけど、距離がある。同化がおきない。ベタっとしたものがない。
沈める滝。昭和29年、短期連載。大岡昇平が評価。観念的過ぎて、一般の評価が低い。小説の主人公には不向きな主人公である。電力会社で技師としてはたらく。夜はデート。即物的な興味。征服欲はない。無名の任意の人物になりきる。空虚。人妻に出会う。無感動。不感症。石と鉄を祖父に与えられた。恋愛ゲーム、科学の実験みたいに。ダムの工事。手紙のやりとり。閉ざされた雪の世界。嫉妬。すれ違い。人間的な感情を覚える。半年後、会わないうちに不感症なおっちゃった。変貌した彼女に失望。女性はのぼる君の気持ちを知って川に飛び込んで自殺。のぼるはダムを眈々と。
自然描写が秀逸。朗読が苦手。三島由紀夫の文章、美しい。潮騒の翌年。それとは真逆。非人間的。すいさんちょうの人間に、自分の気分にあう場所を聞いたらしい。あまりに合理的。自分の反気質が潮騒、人間的でないものが気質。書いて自己改造する。難解と絵解きの人。気質を大事に。ダムイコール芸術の象徴。ダム建築現場では、冬は雪解けと春を待つしかない。芸術はダムと同じ。場所はどこでもよかった。ダムじゃなくてよかった。石と鉄があればよかった。人生的幸福を潮騒で書いた。土地の力は利用しているが、一次的ではない。
社会の共通体験。それがないと話せない。文学は、共通体験がズレたものを描くべきだ。社会とは断絶しなくてはしなくてはいけないが、作家はわかって欲しい人種でもある。共同体がもつ何かに擦り寄らなくては、ならない。自画自賛の個人的な体験に人は感動しない。共同体と深い関係がある。
三島由紀夫とは、リアリストなんだけどなんでも学ぶ。痛みがわからないから、漬物石を足に落とした。アンテナ。恋愛してるとき、それを書こうと思う。土地の力をもらって書く。三島は合理的でわかりやすかった。

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町田康:めっさ、むっさ、げっさ

倫敦五輪。不愉快な五輪の話、BSプライムニュース頼みだったのに、昨日アスリートがいじめについて語っていて。筋肉で生きてゆくと決めたはずなのに、阿保か。大多数の人が金メダルとる人に好感をもっている。

土地の力ということで聞いている。大阪。いまは静岡。たまに大阪いくけど、景色かわっている。根本はそんなに変わらない。包帯してる。気になって話に集中できないと悪いので。枝を剪定してて、自分の指を。めっちゃ。音便化。松屋町はまっちゃまちと読む。めちゃはやいとか、めちゃうまいとか。めっさ、むっさ、げっさは同じ話。個人的な言葉を駆使する人は狂人。タイトルは重要。最初から考えない。講演は先にタイトルを出さなくてはいけない。忌野清志郎の、瀕死の双六問屋。タイトルの意味は?適当につけたんでしょ?そうそうそう。
京都、奈良、滋賀。かつての歴史的なこと。話したかったのだが、びっくりしたのだが、それに関して何の知識もない。胸がはりさけそうになって、その日は清酒を飲んで寝た。パンクに身を投じていたので、勉学をしてない。が、大阪の言葉は話す。阿保ですけど、毎日のように文字を書く仕事をしているので、その背景にあるもの。パンクの癖で音として言葉をとらえることもある。
どてらい男(どてらいやつ)。花登筺。昭和48年にドラマ化。筋書きは知っていた。福井から大阪へ丁稚奉公へ。型破り。丁稚でありながら、優秀な営業実績。十九で独立。魅力的な人物形成。危機を何度も乗り越える。さらに凄くなる。何がおもしろいか、主人公が商人だから、全部ゼニカネとの関係が描かれている。それがあるから、極度におもしろい話になっている。読み返しているが、現在4巻。電子書籍で復刊したら儲かるんじゃないか。主人公は福井のひと。ドラマでは西郷輝彦。変な大阪弁。立売堀(いたちぼり)という土地じゃないとできないか?できる。一応成立する。しかし、大阪が作者によって選ばれた。気分がでやすい。作者にとっても、読者にとっても。たとえば、農民が大阪弁だと気分が出ない。そこは東北弁がいい。気の毒な感じのがして。たとえば恋愛。米子では駄目。シャルルドゴール空港。フレイバー。プリングス。あんなもんはただのじゃがいも。サワーオニオンいうても、たまねぎあらへん。じゃがいもやん。フレイバーに過ぎないから、場所を移しても内容は変わらない。気分のバックグラウンドで動いている。感心はする。ほほーん、と。船場とはこんな風に違うのか、と。(客席の咳)大丈夫ですか?
筒井康隆の小説夜を走る。上着を脱ぐ。異常な暑さ。アル中のタクシーの運転手の独白。一年半前から治療。一度でも飲んだら逆戻り。タレントっぽい美女を乗せる。女の高慢な態度に幻滅。学者は自慢する。市長とあったらね。こんないやな思いするなら、酒飲みたい。不幸なおとこだ。こんな不幸なのに酒が飲めない。おかしいのではないか。飲んでもいいだろう。飲んだら気分が悪い。二杯飲んだら、三杯飲んだら。強姦してしまう。気分が悪くなる。最後はネタバレになるから言わない。この大阪弁が、気分を共有するためのフレイバーに過ぎないのではないか。他の地域でも成立はする。読者がおもしろいと思えるかという話。陰惨なだけの話にならないか。大阪弁だからこそおもしろい。単なるフレイバーではない。他の小説と何が違うのか。
頭の中で思うことをいっている。(朗読、めっさうまい。)下手ですけど。僕のデビュー小説もこんな感じ。ヨリアイザケ。上方落語。なんであんなもん書いたと言われて、参照したと、かしましとか、いろいろ答えたが。これだったかも知れない。酒呑みという所が勘所。ポイント。もともと文字に変換していない、激情酩酊中の人を主人公にすれば成立しやすい。頭の中ではみんな気違い。文字にするから正気。何かの筋道について考えているとき。金を借りにゆく。中西に借りる。前に借りた。金融屋に借りにいかなあかん。いややなあ。腹減ったなあ。鰻喰いたいなあ。あそこの鰻屋は味落ちたなあ。文章は、私たちを狂気から救っている。意味のあること、筋道をつけられる。大阪弁というのはフレイバーで使えばいい。つまり、文字がわれわれを救っているとは思わない。盗人にも三分の利。文字の側の言い分。単に検閲して、不用品は捨てているとも言える。文字とか言葉の側に言わせれば、
ゲージの信頼性はどこまであるのか。みんな大体の領海の内側にあるもの。ラインはどこに引かれているのか。会議で決まるものではなく、文字が検閲している。人間社会全体の正しいこと悪いことは文字が決めてる。法律も文字て書かれている。人間にとって運のよかったこと。文字の決まりがいい加減。会計とは何という本を読んだら、何も理解できなかった。銭が値打ち。銭が銭の価値を保証されている。根本の価値を誰も考えないまま、そいつが振舞う。言葉とどう向き合えばいいのか。感情の関係。答えとして、自分だけの土地をみつけて、自分の言葉を見つける。OSの上で走るソフトウェアではなく、別のOSを自分でもつ。

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とまあ、こうして読み返してみると、作家の言葉なのか、僕が書き足した補足なのか、気分なのかフレイバーなのか。まるで分からないが、土地の力なるものの存在については肉体と言葉でしっかり理解できた。

たとえば、好きな小説は何度も繰り返し読む。物語の中の時間は変わらない。自分は年を取る。視点と焦点が、以前読んだときと違う。分からなかったことが分かる。分かってたことが分からなくなる。メディアというものは、それを取り巻くテクノロジーというものは、こういう情感めいた根拠に対して寛容でなければならない。拡張現実(AR)という文体の中で、僕はそれをあらわしてゆく。必要とあらば、小説だって書く。土を蹴り上げる。

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