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清野茂樹アナウンサー/イノキスト1973年神戸市生まれ。フリーアナウンサー。ラジオ日本「真夜中のハーリー&レイス」、WOWOW「ザ・プライムショー」、TBSテレビ「ツボ娘」などで活躍中。

猪木研究修士論文

清野茂樹
アナウンサー/イノキスト
1973年神戸市生まれ。フリーアナウンサー。ラジオ日本「真夜中のハーリー&レイス」、WOWOW「ザ・プライムショー」、TBSテレビ「ツボ娘」などで活躍中。

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猪木と幻のオールスター戦

2013.08.24

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8月26日と言えば、馬場と猪木による「BI砲」が最後に結成された日として僕の頭には刻まれている。


「B」は「Baba」、「I」は「Inoki」の頭文字で、2人のタッグチームは1967年から1971年まで日本最強の座にいた。


1971年に仲違いして解散してしまった「BI砲」だが、1979年の夏、東スポが主催した「夢のオールスター戦」で8年ぶりの再結成を果たす。そして、結果的にこれが最後の「BI砲」になったというわけだ。


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オールスター興行のメインとなった馬場と猪木のタッグ結成は、東スポの本山良太郎社長(当時)と政治家・二階堂進氏の話し合いにより決定した。対戦相手のタイガー・ジェット・シンとアブドーラ・ザ・ブッチャー組については、東スポの紙面で募集した結果により選ばれたものだが、これほど「善」と「悪」が明確な構図はプロレスとしては最高なマッチメイクだと思う。


ちなみに、当時のファンはどんなチームをBI砲の相手に望んでいたのか?以下、投票結果のトップ10について書き記そう。


1位 タイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャー 
2位 ザ・ファンクス
3位 ジャンボ鶴田、藤波辰巳
4位 アンドレ・ザ・ジャイアント、アブドーラ・ザ・ブッチャー
5位 ハーリー・レイス、ボブ・バックランド
6位 アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク
7位 ハーリー・レイス、ニック・ボックウィンクル
8位 坂口征二、ジャンボ鶴田
9位 アンドレ・ザ・ジャイアント、ボブ・バックランド
10位 ビル・ロビンソン、バーン・ガニア


いずれもドリームタッグばかりで、1979年当時の人気レスラーの指標としても興味深い。全体的に全日本系の外国人が多めで国際勢はひとりも入っていない。


2位のファンクスは1971年のBI砲解散前最後の相手という因縁がある。3位の師弟対決が実現していれば、猪木と鶴田の対戦が見られたわけだ(なぜか馬場と藤波の絡みには胸躍らないのだが・・・)。


当時は団体とテレビ局は独占契約を交わしていたので、大会のテレビ放送はなく、日テレとテレ朝が当日深夜にスポーツニュースのハイライトで取り扱ったのみ。BI砲のラストマッチは未だに映像化もされていない幻の試合である。


テレビ中継に関して、テレ朝は社内調整をして例外的に放送しようと交渉に努めたが、日テレ側が頑なに認めてくれなかったと、当時のテレ朝のプロデューサー栗山満男氏は著書で明かしている。


試合前の8月8日、猪木は「合同秘密特訓」と称して馬場が滞在するホノルルを訪問、また試合4日前の8月22日には札幌で馬場と会談を持っているが、当然ながら試合についての作戦会議であるはずがない。猪木はなんとかしてテレビ中継しようとギリギリまで馬場と直接交渉したに違いない。


しかし、交渉はまとまらずに試合は中継はされなかったのである。


両局で放送するニュース用の映像についてはテレ朝側が収録を行い、素材を日テレに渡したそうだが、栗山氏によると、この幻の一戦の実況を担当したのは、入社3年目の古舘伊知郎氏であるという。


もちろん、古舘氏が馬場の試合を喋ったのはこれが唯一である。熱心な猪木信者が果たして馬場のことをどう形容したのか?実況アナの僕としては、その部分が最大の興味であったりもする。