猪木と東京五輪
2013.09.20
2020年の東京五輪開催が決定した。

安倍首相直属で設置された「オリンピック・パラリンピック東京招致推進本部」の本部長の馳浩氏は元プロレスラーで猪木の弟子。承知決定前には馳氏から猪木に対してIOC委員の紹介について協力要請もあったという。
さて、そんな猪木だが、実は前回の東京五輪は海外修行中だったため体験していない。ロサンジェルスにいたのだ。

1964年3月に武者修行のため日本を発った猪木はハワイ経由でカンザスシティに入ったものの、観光ビザで仕事をしていたためにあわや強制送還されそうになり、先輩の日系レスラー、ミスター・モトを頼ってロスアンジェルスへ拠点を移す。
リング上では、Inokiではなく、Little Tokyo Joeと名乗ったのは、就労ビザがないため、本名を名乗ることが出来なかったからだと、猪木は自伝の中で明かしている。
当時のロサンジェルスはプロレスがまだ人気であり、猪木はWWA王者フレッド・ブラッシーとも何度か対戦。ミスター・モトとのコンビではザ・デストロイヤーとハードボイルド・ハガディが保持するNWA世界タッグ王座にも何度も挑戦しており、ちょうど五輪開幕の10月には5度目のタッグ王座に挑戦を果たしているのだ。
1964年の日本のプロレスはというと、力道山の死の翌年。豊登とジャイアント馬場による「TB時代(ToyonoboriとBabaの頭文字)」であり、東京五輪を報じる東スポの記事には、開会式を見た馬場が手記を寄せている。
21歳の時に見ることができなかった東京五輪を猪木は77歳になって体験する計算だ。師匠、力道山も楽しみにしていた東京五輪で猪木はどんな関わり方をするのであろうか。