猪木と東京プロレス
2013.10.14
10月と言えば、1966年に猪木が東京プロレスを旗揚げした季節である。

当時の猪木は23歳。
海外遠征に出かけてそのまま独立してしまったのだ。
猪木の行動は普通の会社に例えると、研修旅行に行ってそのまま会社を辞め、自分の会社を興すような非常識な行動である。やはり、普通に帰国して馬場に次ぐポストに収まるのを良しとしなかったのであろう。
その猪木が作った新会社「東京プロレス興業」の旗揚げは10月12日に蔵前国技館で行われた。メインイベント、猪木とジョニー・バレンタインによる30分を超す激闘は会場を大興奮に巻き込み、今も語り草になっている(猪木の名勝負で最も映像化が望まれる試合だ)。

会社の「旗揚げ戦」であると同時に、自身にとっても2年7か月ぶりの「凱旋試合」で見事に結果を残した猪木は試合後、興味深い発言をしている。
「何度でも誰とでもやります。僕はプロだ。プロレス以外のボクサー、空手マン、だれの挑戦でも受けて立ちますよ」(東京スポーツ10月14日付)
のちにモハメッド・アリをはじめとする異種格闘技戦に猪木を走らせたのは、ライバルである馬場が独占するNWAを越えるための奇策との説もあるが、そうとも言い切れないことが証明される発言だ。
格闘家と闘うという動機は、もっと前から猪木が抱き続けていたものであり、自分の強さを試してみたいという、もっともっとピュアなものだと思うのだ。