猪木とシュツットガルトの惨劇
2013.11.25
11月といえば、1978年11月25日に猪木が巻き込まれた"シュツットガルトの惨劇"がある。
"シュツットガルトの惨劇"
まるで世界史の教科書にでも登場するような仰々しい名が付けられているが、要約すれば、猪木がドイツ人レスラーのホームタウン・シュツットガルトに乗り込んで行ったら負けてしまったという話だ。
ドイツ南部のシュツットガルトは今でこそ、サッカー選手の活躍で日本でも知られるようになったが、プロレスファンにとっては、この頃から耳馴染みの街である。
宣伝文句は、
モハメド・アリと闘った東洋のレスラー、イノキ来たる。
対戦相手はドイツ人レスラーの名はローラン・ボック。興行主として、猪木を招聘した欧州ツアーを主催し、前哨戦として11月8日にデュセルドルフで、12日にはベルリンで猪木と対戦している。
シュツットガルトで迎えた3度目の対決が"惨劇"と呼ばれるのは、日本のヒーロー猪木が試合の主導権を握らせてもらえずに固いマットに投げられまくり、判定負けしたからであり、もちろん、日本のマスコミからの目線である。
ちなみに、ジャッジ3名のうち2名はドイツ人、残り1名のジャッジは猪木の通訳(!)として日本から同行したケン田島氏であった。
すでにプロレスが衰退していた当時の欧州で猪木の相手が出来るようなレスラーは少なく、ボックの他には、元柔道家のウイリアム・ルスカ、プロボクサーのカール・ミルデンバーガー、金メダルレスラーのウイリアム・デートリッヒなどプロレスの素人ばかり。相手をする猪木にとっては骨が折れる仕事だったに違いない(実現しなかったが、五輪柔道金メダリストのアントン・ヘーシンクとの対戦も予定されていた)。
しかも、ツアーの日程は西ドイツをはじめ、ベルギー、オランダ、スイス、オーストリアなど、約1か月で22戦(それ以外にもあったとの説もある)という過密ぶりであった。移動に関してはボックが飛行機を使っているのに対し、猪木陣営は常に乗用車だったという。
お客であってお客ではなかった猪木は、のちにこの遠征について訊かれても試合より環境の悪さばかりを口にしているほどだ。
暗く、寒く、固い...というシュツットガルトのイメージは、猪木によって植え付けられたままである。