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渡辺俊美TOKYO No.1 SOUL SET / THE ZOOT16福島県出身。TOKYO No.1 SOUL SET のギター、ヴォーカル、サウンド・プロダクション担当。並行してソロユニットTHE ZOOT16でも活動中。

水月デスロック

渡辺俊美
TOKYO No.1 SOUL SET / THE ZOOT16
福島県出身。TOKYO No.1 SOUL SET のギター、ヴォーカル、サウンド・プロダクション担当。並行してソロユニットTHE ZOOT16でも活動中。

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Vol.3 バスタオル

2011.09.25

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僕のふるさと福島。
生まれたのは自然豊な川内村(今も変わらず静かな場所に築100年以上の生家がある)、5歳から隣の賑やかな富岡町(当時、第一、二原子力発電所の建設や運営で多くの関係者がこの地区辺りに住んでいた)に移って高校を卒業するまで過ごした。

僕のおやじはスポーツ万能で釣り名人の二級建築士、母は美術と音楽と酒が大好きな小学校の先生、そして真面目で勉強が出来るナイス・ボディーの3人の姉(5歳、3歳、1歳上)の中で育った。

僕が小学校の入学時にその小学校の真正面に引っ越した。
1番上の姉が6年生、次が4年生、そして2年生と1年生の僕。さらにその学校には母・カツ子が美術の先生として働いていた。
1番上の姉は生徒会長もしていたので、今考えると渡辺家の為にある小学校だったのではないかと思ってしまうぐらいだ。そんな環境の中、僕はいつも母に怒られてビンタを浴びていた(打たれ強そうな顔は母によって形成された)。姉達にもよく怒られてストンピング攻撃された。
理由はよく姉達のお小遣いを盗んでいたからだ。見つかって逃げ回って、捕まってストンピング攻撃!でも、ヘラヘラ笑ってた。
それが楽しくて何度も盗んだ。しかし、度が過ぎると母が鬼になり、何度も殴られ家の外に立たされて姉一人一人からブリキのバケツにタプタプに入った水を頭からかけられて、そのまま放置された。
しばらくすると母には内緒で姉達が「大丈夫?ごめんね」と心配してきてくれた。僕も涙を流しながら謝った。でも、そんなことが僕の記憶では3回もある。

姉達も少女から女性になり毎月やってくる生理痛に悩み、僕もその理由がわかり始めた頃、おやじが設計した待望の家が建った。今度は中学校の真裏だった。
1番上の姉と一緒で2階の部屋だった。意味も無く階段を上り下りしてはしゃいでいたが、喜んでばかりではいられなかった。
忘れた頃にやって来る姉達の生理前後のイライラの標的は僕だったからだ。
理不尽に怒鳴られた。まるで家の中に地雷が仕掛けられている状態だったので出来るだけ静かにしていた。
しかし、3人の姉だけでなく母まで同時期になった時は静かに隠れていても誘導ミサイルが飛んでくる状態だった。
僕はついに、黙っていられなくなりその仕返しをする事をした。

姉のパンティーを履いて頭と袋を三方向からはみ出させ、目の前で踊る精神的苦痛攻撃はみ出しチャンピオンを実行した。

が、しかし、速攻でおやじにチクられて家族全員を敵にまわしてしまった。

仕返しを諦めかけていたある夜、僕はオシッコがしたくなり起きてしまった。
その日はちょうど怖い映画を見て1階のトイレに行くのが怖くなってモジモジしていた。
その時、暗闇の中から白いバスタオルが目にはいった。1番上の姉は髪を長くしていた為バスタオルを巻いて寝るのが日課だった。

これだ!仕返しするチャンス!!

僕は姉が頭に巻いてあるバスタオルを静かに解いた。
そして、バスタオルを鳥の巣状態にしてゆっくりとオシッコをした。
それをまた姉の頭にゆっくりと巻き戻した。
ドキドキした。笑いも止まらなかったが必死にこらえた......仕返し達成!

次の朝、洗面所で姉が鼻歌を歌いながらドライヤーで髪を乾かしていた。
バレてない.....。でも、すごく後悔した。
姉が悪いのではなく、生理が悪いのだ。僕にはその不愉快さが全然わからない。
だから、姉が生理の時は優しく何でも言う事を聞く事にした。大好きなお姉ちゃんとの35年前の話である。


渡辺俊美


チェックのシャツが大好きだ。好きだから着る。好きでないと似合わないと思うし、着なくなると似合わなくなってしまう気がする。
自分にとって『お洒落』とは、自分が大好きなの洋服を素直に着ることだと思う。
このシャツは2年前に誕生日のプレゼントで頂いた「ISSEY MIYAKE」のモノです。

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写真:埼玉泰史