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COLUMN

成り上がり。

文:瀧川鯉斗

どんな職業でも一人前になるには修行が必要かもしれません。その間、時間を掛けてしっかり仕事を覚え、社会での心得を学びます。それは落語家も同じ。年齢や経歴に一切関係なく、誰でも前座から階級をスタートさせます。瀧川鯉斗さんもこの世界に入った時は前座でした。有名な師匠方や先輩方がひしめく、厳しい伝統芸能の世界。そこには落語界ならではの気苦労があったみたいで…(笑)。

第三話 前座修行・其の一

さぁ、晴れて2005年3月1日に寄席の楽屋入りした僕が、まず一番初めにやることはご挨拶です。立前座と一緒に、師匠や先輩の兄さん方々お一人お一人に「今日から楽屋に入ります鯉昇の弟子の鯉斗と申します。よろしくお願い致します」と、きっちりご挨拶することから始まります。

 

このご挨拶もなかなか難しい所がありまして。

 

僕が所属している「落語芸術協会」には当時約100人くらいの師匠、先輩たちがいらっしゃいました。一回挨拶をさせていただいた師匠に、二回のご挨拶は当然失礼に当たりますから、一度で師匠たちの顔と名前を覚えないといけません。

 

寄席は、10日間興行でまわってまして、毎月、上席が1〜10日、中席が11〜20日、下席が21〜30日、31日がある月は余一会といって特別興行が行われます。

 

しかも寄席には代演がありまして、正規で出演している師匠が別の仕事で出演できない時に、他の師匠が代わりに来てくださいます。

 

正規に顔で入っている師匠が1日しか出演できなくて、あとの9日間は全部違う師匠たちが代演に来るなんてことが当時は当たり前にあったので、師匠たちの顔と名前を覚えるのにとても苦労しました。

 

そこで、僕ら噺家には重宝帳というものが配られます。

   
 
 

これは、「落語芸術協会」と「落語協会」に所属している噺家全員の名前が書いてある、入りたての前座には大変ありがたいアイテムなのです!

 

これに、挨拶をした師匠の特徴を書いていました(笑)。

 

たとえば、ハゲの師匠はたくさんいらっしゃるので、◯◯師匠は後頭部ハゲ! ◯◯師匠は、ハゲているけど右の毛を強引に左に持っていってるバーコードハゲ! 鏡の前で油性ペンで髪を増やしている◯◯師匠! とか。その時に強烈に目に焼きついた印象を、忘れないように記入してましたね。

 

この作業と同時にやるのが、お茶を出す前座の先輩の後を付いて、師匠たちへのお茶の出し方を見て覚えることです。

   
 
 

これも師匠たち一人ひとり、熱いお茶が好きな師匠もいらっしゃれば、冷たいのが好きな師匠やぬるめが好きな師匠、なかには熱いお茶と冷たいお茶の両方を出す師匠もいますので、これも重宝帳に好みを記入して覚えました。

   

あとは、高座返しもここで覚えます。お茶を出す先輩の高座返しを、袖から見て覚えていましたね。

 

前座たる身分は、楽屋で師匠たちの邪魔になることは絶対にやってはいけないことなので、気疲れでヘトヘトになりながら毎日過ごしていました。

 

楽屋入りしてから1カ月が経ち、ようやく見習い前座から正式な前座になって楽屋で働くのですが、やることはほぼ一緒です。

 

見習いで見たことを、今度は実際に自分がやるのです。いわゆる、お茶係前座ですね。これは、基本的に一番下の前座がやることになっています。高座返しもそうです。

 

実は、このお茶出しの時期が、寄席の時間配分を徹底的に体に教え込むことができる大事な時なんです!

 

寄席の高座時間は15分、トリの師匠、主任は30分あります。基本は15分の高座なので、楽屋での師匠たちの動きを教わることができます。その楽屋の空気、時間に合わせられる噺家の心得を習得していくのです。

 

こうしてお茶出し前座も3カ月経ち、楽屋にも慣れた僕に、これからどうゆう展開が待っているのか!

PROFILE

瀧川鯉斗
落語家

落語芸術協会所属。1984年名古屋生まれ。高校時代からバイクに傾倒し、17歳で地元の暴走族の総長に。2002年に上京。新宿の飲食店でアルバイトをしている時、師匠・瀧川鯉昇の独演会を観たことをきっかけに弟子入り。05年に前座、09年に二ツ目に昇進し、2019年5月、真打に。

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