PROFILE
1973年生まれ、東京都出身。「EDIFICE」や「L’ECHOPPE」でのバイヤーを経て、現在は自身のブランドである〈FOUNDOUR〉のディレクションや、「BOUTIQUE」のオーナーとして活躍。一方、ファッションディレクターおよびコンセプターとしてさまざまなブランドの舵取りも行ない、今春よりアメリカのアウトドアブランドである〈FILSON〉のディレクションも手がける。
Instagram:@keijikaneko
絶対にみんな着れるという確信が得られた。
ー金子さんが〈フィルソン〉の服をはじめて手にとったのはいつ頃なんですか?
Kaneko: ぼくのファッションの入り口はアメカジだったので、当然〈フィルソン〉の存在も10代の頃から知っていました。当時のぼくはウエスト29インチのパンツを穿くような細い体格だったので、いわゆるヘビーデューティーな服は全然着れなくて、古着屋で見つけても憧れの眼差しで眺めるような感じだったんです。
ーそうすると、着るようになったのは大人になってからになるんですか?
Kaneko: 正直な話をすると、今回のオファーをいただいてから古着を見つけて、はじめて袖を通したんです。それで感じたのは、〈フィルソン〉は日本でよく知られているブランドだけど、ぼくのように憧れたまま大人になったひとって結構多いと思うんです。日本人がこのブランドを着こなすって、あんまり想像がつかない。その溝を埋めるのが今回のぼくの役割なんじゃないかって気づいたんです。
ーそこにかかっているバッファローチェックのジャケットがその古着ですか?
Kaneko: そうですね。これは1930年代のもので、通称“フィルクロ(フィルソン・クロージング)”と呼ばれる、当時リブランディングで生まれたネームが付いています。この時代のウールは、薄手なのにギュッと目が詰まっていて、個人的にすごく好みの生地感なんです。パターンも立体的に引かれているから、華奢な日本人でも着やすい。後年には、より汎用性の高いパターンになっていくのですが、屈強な欧米人以外は、着こなすのが難しくなりました。
ー〈フィルソン〉にもそんな歴史があったんですね。
Kaneko: もともと〈フィルソン〉は19世紀末にゴールドラッシュに沸くアメリカで、シアトルからアラスカに向かうワーカーたちに向けたものづくりをしていました。それ以降は森林警備や、森で働く人たちのための服を生産し続けていたのですが、あるマーケティング担当者が「もっと服を売るためのインパクトが必要だ」と提案して、リブランディングが行われたそうなんです。そうして街着としても着てもらえるようにと、1930年代にこの“フィルクロ”という名称が誕生したんですが、1940年代には元の表記に戻ってしまった幻のネームなんです。
ー1930年代当時はまだ工業化されていない時代ですよね。
Kaneko: そうなんですよ。だからパターンもひとのカラダに合わせて丁寧に引かれていました。〈フィルソン〉の道具としての機能美を土台にした上で、立体的で美しいパターンが構築されているところに大きなヒントを得たんです。それで「絶対にみんな着れる」という確信が得られたというか。
昨年の夏に〈フィルソン〉のセールスミーティングがニューヨークであり、この服を着て行ったんです。真夏で暑いんだけど、なんとか印象を残そうと思って。現地の直営店も視察できたし、そこで得たフィーリングを今回のものづくりに活かしていますね。