FEATURE | TIE UP
フィールドブーツ、不整路の足跡。
Real in the field. Takayuki Ohashi & Timberland

フィールドブーツ、不整路の足跡。

高校時代にはじめて履いたあの日から、大橋高歩さんの玄関にはいつだって〈ティンバーランド(Timberland)〉のブーツがありました。箱から出したときと同じく「フィールドブーツ」のシューレースを緩めに結んでドアを開け、ある日は吉祥寺にある自身のお店へ、ある夜は池袋のクラブへ、またあるときには空港へと向かって…。そうして都市部のアスファルトを踏み締めてきた大橋さんの足は、次第に未舗装の地面や草むらにも向かうように。サブカルチャーに夢中になり、「フィールドブーツ」に傾倒してきた大橋さんは、いまその靴紐を結びながら何を思うのでしょうか。

  • Photo_Koji Honda
  • Text & Edit_Rui Konno

PROFILE

大橋高歩

1979年生まれ、東京都板橋区出身。2009年に吉祥寺でセレクトショップ「ジ アパートメント(the Apartment)」を開き、自身が感化されたニューヨークのカルチャーやその熱量を世に伝えている。プロダクトのテストを兼ねた釣りがここ数年のプライベートのハイライト。
Instagram:@theapartment_tokyo

’90年代の日本だと、本当に高級なブーツだった。

―大橋さんが「フィールドブーツ」を認識したのは、やっぱり音楽がきっかけだったんでしょうか?

大橋:そうですね。ヒップホップのアーティストが履いてるのを知ったところからです。最初に認識したのはブーキャン…ブート・キャンプ・クリックの人たちかな。でも、写真とかではあまり残っていないのかもしれないんですけど、「フィールドブーツ」はたぶん、’88年ぐらいからニューヨークのストリートシーンの人たちが履きはじめて、’90年代になると一通りみんなニューヨークの人たちが履いていた靴なんじゃないかなと思います。

―アメリカでも局所的なトピックという感じではなかったんですか?

大橋:いや、むしろフィールドブーツは〈ティンバーランド〉のなかでも一番イーストコースのイメージが強いです。そのなかでニューヨークという括りでいえば、ハーレムの人も履くし、ブルックリンの人もクイーンズの人も履くっていう感じだったのかな。まさにニューヨークの靴っていう感じで。少なくとも自分が最初に認識した’90年代の頃は、サウスの人とかはあんまり履いてなかったんじゃないかなと思います。それが2000年代に入ってカラバリがバーッと出てきはじめたときに、他の地域の人たちもよく履くようになったと思うんですけど。

―特にイーストコーストに根付いたのは何かしら必然があったんですか?

大橋:もともとは’80年代の後半くらいにアップタウンの有名なドラッグディーラーの人とかが履くようになって、そこからラッパーに広がっていったっていう感じだと思います。やっぱりニューヨークは寒いので、普段はスニーカーの人でも冬はブーツになったりするから、履いていて威張りの利くブーツを、という形で〈ティンバーランド〉が支持されたんだろうなと。

―それは特定のモデルに限らずということでしょうか?

大橋:はい。これは自分の感覚なんですが、いまでこそ「ティンバーランドジャパン」もあって手に入りやすくはなりましたけど、’90年代の日本だと〈ティンバーランド〉って、本当に高級なブーツというイメージだったと思うんです。ヒップホップが好きな人たちにとっても、やっぱりちょっと格が違うというか。値段も並行(輸入)で入ってきていたものだったから、すごく高かった印象で。それでも’90年代に入って、特に中ごろくらいからはヒップホップシーンも〈ティンバーランド〉一色になっていったイメージで、’98年くらいになると、スニーカーよりも〈ティンバーランド〉を履いてるBボーイの方が多かったんじゃないかなって思います。

―その変遷の理由はどこにあったと、大橋さんは考えられていますか?

大橋:日本のストリートファッション…特にヒップホップのファッションでいうと、’90年代の頭の方だと〈ポロ(ラルフローレン)〉が人気だったり、いわゆるダンサーファッションみたいなものが強かったと思うんです。〈ポロ〉に「エアマックスBW」なんかのスニーカーを履いて、とか。それが’90年代中ごろから後半にかけて変わっていった気がします。

「ユーロハイカー」のときにも少しお話ししましたけど、’94年頃にナズとかが出てくると、その頃から東海岸のニューヨークのヒップホップが一気に盛り上がってきて、音も暗いモブ・ティープみたいなスタイルが主流になっていくんです。ファッション的にもそれまでの原色が入ってくるノリから、迷彩やダークカラーのレザージャケットとかに変わっていったりして。そういう音だったりファッションのトレンドだったりが、全部〈ティンバーランド〉に寄っていったっていう感じなんじゃないかなと。

―まさに過渡期のエピソードですね。

大橋:’98年ぐらいの東京だと、ヒップホップが好きな人たちはほぼ100%ニューヨークを追っかけているような感じでした。横浜とか、西のほうに行ったりするとクルマのカルチャーとリンクしてるエリアもあったりして、西のヒップホップを聴いてる人たちもいたと思うんですけど。で、そうなると目にするアーティストがほとんどみんな〈ティンバーランド〉を履いてるので、みんなそれをお手本にして欲しがるっていう。

ーその頃の「フィールドブーツ」のイメージもこのビーフ&ブロッコリーだったんですか?

大橋:マッケンチーズのほうが日本では一般的に人気だったと思います。自分が覚えてる限りだと’90年代後半から2000年に入るくらいだったかな? そのくらいの時期に、グレーにサイドパネルが赤の「フィールドブーツ」が出たと思うんですけど、それが変わったカラーの「フィールドブーツ」のカスタムを最初に見た記憶です。そのちょっと前に、例えば〈ニューエラ〉でもスパイク・リーの赤のカスタムが出はじめたりして、見慣れたものの色のカスタムが出る、みたいな動きが人気になりはじめたころでした。だけど基本的にはやっぱり「フィールドブーツ」はマッケンチーズで、ビーブロはそのときはそんなに人気が無かったと思います。

―ビーブロのほうがよりレトロな印象があったので、勝手にそちらが先なのかなと思っていました…。

大橋:たぶん、あの時代は〈ティンバーランド〉と言ったらウィートカラーみたいな認識が強かったからだと思います。’98年に「エアフォース1」のウィートカラーが出たり、2001年には「エアジョーダン16」のウィートカラーが出たりして。全体的にウィートカラーが人気な時代だったはずです。

INFORMATION

ティンバーランド/VF ジャパン

電話:0120-953-844
オフィシャルサイト

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