羽田からJFK。また、この場所へ
10月の晴れたある日。東京よりも少し先に秋めいてきたイーストビレッジに、大橋高歩はいた。
もう何十回目かもわからないマンハッタン。彼がこの地を踏むのは4カ月ぶりだ。
今年は大橋にとって、いつにも増してニューヨークのエネルギーに触れる機会が多い年だった。1997年以来の、そして最後の来日となったウータン・クランのライブアクトを横浜で観た翌月に大橋が飛んだNYは、NBAファイナルのタイミングに意図して合わせたもの。結果、ニックスは53年ぶりの優勝を果たし、街は大いに沸いた。
そんなタイミングに不思議な縁を感じてNYでの撮影を大橋に提案したところ、彼は先に決まっていたいくつかの予定を調整し、快諾してくれた。
「彼女と一緒に撮影ができるなんて、自分にとっては本当に光栄なことだったから」。
スー・クウォン。’80年代から今日までNYを拠点に活動を続ける、この地の文化と強く結びついた写真家で、『The Source』での仕事をはじめ、錚々たるアーティストたちの姿をカメラに収めながらヒップホップの躍進を切り取る一方で、名前もわからない市井の人々の日常を追ってきた。中学時代にヒップホップを知り、夢中になった大橋もまた、そうとは知らないうちから彼女の写真を見て育ってきたひとりだった。
「仲のいいシュプリームのクルーとか、自分がよく行くゴールドのジュエラーから、スーの名前が出てくることが以前からあったし、自分の中ではNYのアイコンのひとりという感じ。実際に会った彼女は、エネルギーの塊のような人でした。NYという街自体がそういうところだと思うんですが、ここでサバイブしている人たちみんなに共通するのが、彼女のようにとにかくエネルギッシュだということ。そして、街や人から愛されていること。スーもすごく愛の深い人だなと感じたし、やっぱりこれがNYでずっと生きている人なんだなと感じました」。
撮影の日に合流した大橋は、キャンバーのフーディにウッドランドカモのカーゴパンツ、そしてティンバーランドのワールドハイカーといういでたち。ヴィンテージの膨大なアーカイブを持ち、渡航時にもそうしたレアピースに袖を通すことが少なくない彼のオーソドックスなチョイスは、自身の原点を振り返ったものなのかもしれない。
「自分が初めてNYに来たのは30歳のときでした。買い付けのために来たのが最初です。確かそのときも、(フィールドブーツの)ビーブロを履いてた気がします。何度も来るうちに楽を覚えてスニーカーを履いたりするようになったけど、最初はやっぱり好きなものを探しに、買いに行くんだから自分の好きな服と靴を身につけていくものだと思ったんです」
ロウワーイーストサイドからマンハッタンブリッジのほうへ。ダウンタウンを練り歩きながら、日中の長い時間をかけて撮影は行われた。スーと並んで歩く大橋の後ろ姿に、ヴィブラムソールの黄色い刻印が時折覗く。ティンバーランドは彼にとってなじみ深い足元だけれど、ワールドハイカーは他のモデルとは少し勝手が違うそうだ。
「自分はブートキャンプ・クリックが大好きで、『ダック ダウン・ビジュアルズ』というVHSをずっと繰り返し観ていたんです。確かワールドハイカーは’94年に出ているはずなんですけど、そこに収録されていた(ブラック・ムーンの)『Buck Em Down』のPVで、バックショットがワールドハイカーを履いていたんですよね。その後も他のアーティストが履いているのを見たりしたんですが、イエローヌバックでもなく、ビーブロでもなく、この“ALL WEATHER”の表記が入ったワールドハイカーは他のティンバーランド以上に特別で、機能的なものに思えたんです」。
彼がティンバーランドを初めて履いたのは高校生の頃。学校から近かった水道橋の靴屋でフィールドブーツを買ったそうだ。いまはもうなくなり、名前も思い出せないお店だが、そのラックにはブラウンやトープといった、オリジナルカラーのワールドハイカーが並んでいた。まだ並行輸入しかなかった時代、現在の定価よりもはるかに高額だったワールドハイカーに、彼がそんなイメージを抱いたのはごく自然なことだった。
いまではそんなシューズを自身が仲間と営むお店で取り扱うようになり、雑誌やブラウン管の中でしか知らなかったNYを何度も訪れては、街中で偶然大橋を見かけた知り合いが声をかけてくるようになった。憧れだった街に受け入れられた感覚が、今の彼にはあるものかと尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「受け入れられてるなという感覚は、いまも全然ないですね(苦笑)。というか、受け入れられるはずがないなと思っています。自分がNYにまつわるプレイリストをつくるときに、例えば『Englishman In New York』とか、そういう曲を入れたりするんですけど、自分はやっぱりよそ者で、それはずっと感じているし、きっと住んでる人たちもそれは感じている気がします。ましてや自分はニューヨーカーじゃなく、東京の人間なので」。
いつまで経ってもどこかよそよそしくて、深入りしても距離を感じる都会の情景。だからこそ誰しもがそこにいられて、誰のものにもならない場所。東京で育った大橋は、そうした街と人との関わりを少年時代から感じていた。どれだけ憧れていたとしても、知り合いがどれほど増えても、彼のNYでの立ち居振る舞いはずっと変わらない。
「みんなそうだと思いますけど、10代の頃とかに調子に乗って痛い目を見たり、そういう経験をしながらだんだんロウキーになっていったというか、大人になっていったと思います。初めてNYに来たのが19歳だったら全然違ったのかもしれないけど、自分は十分大人になってからここに来てるから。嬉しい気持ちもすごくあるんですけど、例えば買い付けのときにキャッシュで値段の交渉をするときだったら自分は絶対笑わないし、歯を見せないようにします。とにかくはしゃがず、でも誠意を持ちながら人と接するっていうのは、初めからすごく意識していました」。
よそ者としての自覚、他者の街ではどうあるべきか。その強い意識が、大橋の中には常にある。「人がどこか別の街から来るって、要はリプレゼントしてるわけじゃないですか」と彼は言い、こう続ける。
「自分は当然日本人として、東京の人間としてNYに来ているわけですけど、東京にいるときとNYにいるときとで自分が違うのってちょっとおかしいよな、と思うんです。だから、本当に地元にいるときと同じように、できるだけ人にはナイスに接するようにしていて」。
日本で外国にルーツを持つ人と出会ったときに、そこで暮らしている人なのか、あるいは旅行者なのかは多くの場合、すぐわかる。観光客がはしゃいで浮き足立つ姿は微笑ましいが、彼らがそこに根差した人々の生活の一部になることはきっとない。大橋がかつて実際に訪ねたNYで強く惹かれたのは、絵になる名所や話題のスポットではなく、やっぱりそんな現地の人の生活を感じる場所やお店だった。
「例えば『三十四丁目の奇蹟』のメイシーズとか五番街とか、映画やガイドブックで見るNYってそういう場所じゃないですか。観光客だなと思われてあからさまに拒否されることはなくても、そこで閉じてしまう扉はあると思います。例えば日本に海外から来た人が、『忙しくて時間がないときとかは富士そば、食べてるんだよね』となったら、この人わかってるなとなるじゃないですか(笑)。そうやって、人は街にすごくジャッジされると思うんです。それは着ているものもそうだし聴いている音楽もそう。それこそ食べに行くお店とかも全部そうですよね」。
スーとの撮影が決まってから、大橋は彼女に対して事前に何かをリクエストすることはほぼなかった。ただ一言「オールドニューヨークを感じる場所で撮ってもらえたら、すごく嬉しいです」とだけ伝えて。きっとそこには憧れに対する彼なりの敬意の示し方と、作法があったのだろう。
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