舞台は1940年。すこしずつ、戦争の足音が日本に近づいてきたころ。神戸で貿易会社を営む福原優作(高橋一生)と妻・聡子(蒼井優)は、瀟洒な洋館で不自由のない満ち足りた生活を送っていた。ある日、優作と甥・竹下文雄(坂東龍汰)は、物資を求めて満州へ渡るが、偶然、衝撃的な国家機密を知ってしまう。2人は正義のために、現地で得た証拠とともに、その事実を世界に知らしめる準備を秘密裏に進める。その事実を知った聡子は、穏やかで幸福な生活が崩れようとも、愛する夫を信じて、ある決断をする。
PROFILE

1978年、千葉県出身。中学生のころからギターを手に取る。2005年に、自身がボーカルとギターを務める「ペトロールズ」を結成し、同年に浮雲名義で「東京事変」にギタリストとして加入。柔軟なアプローチや唯一無二のフレーズで人気を獲得する。神出鬼没の音楽家であり、あらゆるミュージシャンの楽曲提供やプロデュースを手がけている。趣味は車と自転車。
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1978年、千葉県出身。中学生のころからギターを手に取る。2005年に、自身がボーカルとギターを務める「ペトロールズ」を結成し、同年に浮雲名義で「東京事変」にギタリストとして加入。柔軟なアプローチや唯一無二のフレーズで人気を獲得する。神出鬼没の音楽家であり、あらゆるミュージシャンの楽曲提供やプロデュースを手がけている。趣味は車と自転車。
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1971年、香川県出身。ROSE RECORDS主宰。90年代初頭より「サニーデイ・サービス」のヴォーカリスト/ギタリストとして活動をはじめる。下北沢に拠点を置き、レコードショップ&カフェバーの「CITY COUNTRY CITY」につづき、今年4月、同じく下北沢に「カレーの店・八月」「PINK MOON RECORDS」をオープン。ソロ活動と並行しながらプロデュースや執筆、俳優、店の運営など、多彩かつ自由な表現活動をおこなっている。
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1971年、香川県出身。ROSE RECORDS主宰。90年代初頭より「サニーデイ・サービス」のヴォーカリスト/ギタリストとして活動をはじめる。下北沢に拠点を置き、レコードショップ&カフェバーの「CITY COUNTRY CITY」につづき、今年4月、同じく下北沢に「カレーの店・八月」「PINK MOON RECORDS」をオープン。ソロ活動と並行しながらプロデュースや執筆、俳優、店の運営など、多彩かつ自由な表現活動をおこなっている。
自己表現である楽曲と
映画音楽の違い。
ー 長岡さんは、今回の『スパイの妻』で初めて映画音楽を制作されましたね。まずは、その感想から教えてください。
長岡:自分で作った音楽が映画の一部になっていて、本当に感動しました。生きていればこんないいことがあるんだなあって(笑)。
曽我部:スクリーンで試写したとき、最高の気分になりますよね。素晴らしい映画に関われたな、と実感する瞬間です。
長岡:制作に携わった皆さん、レコーディングに参加してくれた演奏家の皆さん、曲のアイデアを形にすることに力を貸してくれた方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。
ー プロデューサーの岡本英之さんから依頼があったそうで、企画段階から長岡さんの名前が挙がっていたとのことです。実際にオファーを受けて、いかがでしたか?

長岡:ストーリーや映像に音楽をつけるのは、おもしろそうだなと以前から思っていました。岡本さんとは10年以上前からの付き合いで、以前から「絶対に映画音楽をやったほうがいいよ」って言ってくれていたんですよ。だから依頼を受けて、ついにきたかと思いました。今まで短い映像作品に音楽をつけたことはありますけど、映画音楽となると初めての経験でした。
曽我部:その短編作品は、好きに作った感じ?
長岡:そうですね。1曲だけ作って、あとは自由に使ってもらいました。
曽我部:それは、また映画とは違うもんね。
ー 具体的に、どのように違いますか?
曽我部:映画音楽って、時間とかがきっちり決まっているから、短編をみんなで協力して作るのとは、感覚がすこし違うと思います。
ー 映画音楽を制作する場合、楽器の指定とかまであるんですか?
長岡:『劇場』ではどうでしたか?
曽我部:『劇場』の場合は、「ここはロックで」とか、「ここは沈んでいる感じで」とかニュアンスを言ってもらったし、「ここにチェロを入れたい」って具体的な楽器の要望もあったので、作曲を始める前の段階で、行定監督が立ち会ってくれました。監督の頭のなかには、細かい音楽の設定まであったみたい。もちろん、監督さんによって、音楽の付けかたは違いますけどね。監督の想像力に入っていくようで、いつも自分で作曲している感覚と違って、楽しかったです。
長岡:たしかに、他の人の想像力に入り込む感覚ですね。僕も作ってみて、楽しかった。そういえば、最初の打ち合わせで「この作品(スパイの妻)には、音楽が鳴っているイメージがあまりありません」って言われたんですよね(笑)。
曽我部:あまり音楽が強調されていませんでしたね。でも、効果的に音楽が入ってくるから、難しいことをやったなあ、と思いました。

ー 初めて映画音楽を制作して、苦労した部分はあります?
長岡:台詞があって、環境音もある。それを邪魔するものは必要なくて、どこに落とし込むかを探求することが大事でした。まあ、それは苦労したことって言えないですけどね。
曽我部:映画音楽とバンドの作曲は違いますからね。自分でやっている音楽は全部好きなようにやればいいけど、映画は共同作業の一部を担うということですから。ステージに立って、お客さんに聴いてもらう感覚とは違って、裏方中の裏方。そういう作業は、今まであまり経験がないので、すこし難しい部分かもしれない。完成している映像をワンステップ上げなきゃいけないから、責任は重大です。